第三話
不意にラッパ状の口から下に一直線に続いていた裂け目が、上の方からめくりあがる様に下に向けて開き始めた。その内側にも、粘液にまみれたのこぎり状の銀歯がびっしりと生え揃っているのが見えた。
『グォアッッグォ…ッグォオオオ゛オ゛オ゛ァ゛ア゛ッッッ!!!』
逃れるための叫びは、もはや助命を懇願する叫びへと変わっていた。
がんじがらめの化け物を、アジの開きのように開いた人喰い草の内側が妙に丁寧に包み込んで行き、そしてピタリと吸い付いた瞬間――――人食い草は胴体をグニグニと蠕動させた。
『ゴ…ッゴゥォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』
化け物が発するあまりの絶叫に私は自分の耳を塞いだ。けれど目だけはその光景に釘付けのまま、しっかり見開いて離すことが出来ない。
まるでしごくように激しく上下するのこぎり歯によって、化け物は全身の肉をそぎ落とされていた。粘液がその傷口に触れると強烈な酸の溶ける音と共に肉を溶かし、そこに更に銀歯が肉をそいでいった。
(…同じ―――…あの時想像したのと、全く同じ…!!)
『ウォアアッッギャア゛ゥア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――――ッッッ!!!』
もう一方の背むしの化け物も、同様に人食い草によって消化されていた。
人喰い草は全身の筋肉を蠕動させ、ものすごいスピードで捉えた獲物を消化していった。2体の化け物は、すでに原形すら留めておらず、激しかった叫び声もいつの間にか止んでいる。
その時――――不意に1つのツタが私の元に近づいて、顔をのぞき込んで来た。
「―――ッ!!!」
私は自分が食われると思い込み、全身が硬直してしまった。
ラッパ状の口から粘液がしたたり落ちると、下の階段が音を立てて溶かされた。ツタは更に近づくと、私の目と鼻の先でピタリと止まった。
「…はっ…はぁっは―…っ」
私は目を見開いて怯えながら、荒い息を吐いた。
(言葉――…通じるの!?でも、でも…っ)
どうしたらいいか分からず軽くパニックにおちいった、その時。
『素晴らしい』
人喰い草が明瞭な声で喋った。
そしてラッパ状の口を大きく裂いて、ニヤァッと私に“笑い掛けた”。ツタは私から離れると、何本ものツタをうねうねと動かしながら感極まったように叫んだ。
『まったく素晴らしいっ!!このどす黒い怨念じみた熱情!!狂気すら感じる密度の高い創造性…っ!!――…お前に出会えたことは、まさに黄金胎蔵神の僥倖と言わざるを得ないなっ!!』
堰を切ったように滔々と話す目の前の化け物を、呆けた様に見つめていると不意にカクンッと力が抜け、私は階段にへたり込んでしまった。
そんな私の様子にも人喰い草は全く頓着しないまま、再び私に近づいて来た。
『この力さえあれば…お前は“選定者”にさえなれるやもしれんぞ。ー―…次の世界の“神”だ!!』
私は無言で視線をそらすと、人喰い草に捕らわれた化け物を見た。最早ツタの中に完全に包み込まれて動かないその姿に、獲物を飲み込んだ大蛇を想起した。
私はまだ震えの残る指でそれを指しながら言った。
「…あれ――…あんたの…栄養?」
ツタは後ろを向くと、何でもない事のように答えた。
『そうだ。栄養というより“融合”の方が合っている。この世界は、そうやってある程度集約化されるのだ』
私は改めて―――人喰い草と化した化け物を見上げた。
「……で?あんたは――…一体何なの?」
「“ダイモン”…つまり精霊か何かってこと?」
人喰い草は今や何十メートルにもわたって壁に根を伸ばし、1階から上にいる化け物を次々と捕食していった。
芽生えた根の近くまで運ばれてくる人喰い草の内容物を時々薄気味悪く思いながらチラ見しつつ、私は目の前の相手の言葉に集中しようと努めた。
『我々は“創造性”を感じるものに取り付き、それが人のものであるのならその者を“主”とする存在だ。お前のスケッチブックは実に見事だ、豊かな創造性を感じる。我はその輝きに導かれ、このスケッチブックに憑依したのだ』
人喰い草は棘の生えた丸っこい頭で、ツンツンとスケッチブックの入ったバックをつついた。
私はバックからのぞく深緑色のスケッチブックを取り出し、ページをめくると目的のイラストを見つけ、それを信じられない思いで見つめた。
赤黒い棘の生えた長いツルの胴体―――粘液にまみれた銀色の牙――――私は目の前の人喰い草に改めて視線を移した。
「人喰い草は、一度獲物を見つけるとどこまでも伸びて、棘である体毛から麻酔針を射出して獲物を麻痺させ――…」
『…生きながら獲物を喰らう。そして強力な酸性の粘液で獲物を速やかに消化する―――だったな』
人喰い草が、私が読んだ説明文の文章を引き取って話した。
私はスケッチブックに目を落とすと、ページをめくりながら熱に浮かされたように喋った。
「じゃあこのっ…氷のムカデ“氷姫”とかこれ――…“屍産蜂”も…っ!?」
『ああ――…お前が望めばどんな形態にでも変化し、お前の目障りな者どもを全て融合してやろう』
スケッチブックを持った両手が震え出した。
この…ただただ自分をいじめた奴等を、より惨く、より苦しめるために描き連ねた力が―――具現化した…。
『…しかもそれだけではない。そのスケッチブックの白紙に新しく描けば―――我はどんな姿にでも具現化可能だ。白紙はほぼ無限に増やすことが出来る…つまり、描いても描いても―――白紙はなくならない』
人喰い草はまるでアダムとイブをたぶらかす蛇の様に、笑いを含んだ声で私に囁いた。
「な――…何で…?何でそんな力が持てるの?」
『それは、次の世界の“神”を選定するためだ』
「―――…神って―…」
私は言いながら、思わず笑ってしまった。
(…何言ってんのこいつ。こんな力持ったからって神になれるわけないじゃん。月島もこいつも…頭イカレてんじゃ…)
そこで私は、自分がこの世界で初めて見た巨大な胎児を思い出し、質問をぶつけた。
「じゃああれは…?あの、確か月島が“胎蔵神”とか呼んでたあの馬鹿デカい胎児。あれが神じゃないの?」
『…ほう、一番初めに胎蔵神に出会ったというのか―――…あれは確かに神だ。だがお前達の世界の神ではない、我々の“神”だ。お前達選定者はかの神の前に行き、自身の理想とする世界の創世を祈る。その時胎蔵神は産声を上げ、その覚醒によってお前達の世界は再生されるのだ』
……荒唐無稽もいいとこだ。あれが目覚めることによって次の私達の世界が決まる―――?
私の頭は確かに人喰い草の言葉を理解はしていたけど、その内容は到底理解出来るものではなかった。それにもう一つ、気になることがある。
「…今あんた、“お前達”って言ったよね。じゃあーー…私以外に、同じ能力を持ってる奴がいるってこと?」
また一つ、人喰い草が喰らった化け物のなれの果てが運ばれてきた。数があまりに多くて、人喰い草の体が枝豆の様に連続して膨れている。異様すぎてシュールさすら感じるその光景から、私は無理やり目を引き剥がした。するとすぐ目の前に粘液を垂らした人喰い草の顔があり、わたしは思わずひぃっ!と情けない声を出してしまった。
『――ーそうだ。創造の意志の強い者なら、皆なにがしかの能力を得ているはずだ。お前達は選定者の座をかけ、殺し合わなくてはならない』
人喰い草は最後に口をニィッと裂いてそう言い放ち、私は壁際に後ずさりながら反論した。
「な゛っ…嫌だよそんなの!!なんで殺し合いなんて――――…私はっ…ついさっきまで自殺しようとしてたんだ。…それってこの世界を捨てたのと同じじゃんか!次の世界とか、そんなのどうでもいいよっ!!」
人喰い草は私から離れて距離を取ると、少々呆れたように言った。
『…ではその自殺した原因が、全て無い世界でも願えばいいではないか』
私はハッとなって人喰い草を見つめた。
私が自殺した原因――――あいつが…“東羅聖”がいない世界…。
あいつさえいなければ…私は一応平穏な学校生活を送れてた…あいつも、取り巻きの松本達もいなくなれば―――…
「…でも、そのために能力者同士で殺し合いなんて…―――大体あの胎児の元へ行くなんて、飛んでいけば一番早いじゃんか。つまり飛行さえ出来れば…」
『それは無理だ。“界樹”の外から飛行して、胎蔵神に近づくことは出来ない』
「ダ、ダーツリュージュって?」
『巨大な柱のような大樹だ。我々は胎蔵神が生み出したこの“胎蔵界”の重力により、ある一定の高度以上を飛行することは不可能だ。それこそ、よほど強大な魔神でもない限りな』
私は知らないワードがポンポンと飛び出す人喰い草との会話に苦労しながら、またぞろ出てきた新しい謎のワードの質問をした。
「ガルバヤーツ…それがこの世界の名前ね。で…?“魔神”って何なの。人間が化け物化する以外にも、ここには何かいるってこと!?」
人喰い草は笑いながら答えた。
『それはそうだ。ガルバヤーツは古から存在する。そこにはあらゆる種類の生物や種族がいて、その頂点に君臨するのが“魔神”と呼ばれる種族だ。機会があれば、お前も会いまみえる事があろう』
私は目がくらむ様な感覚に見舞われた。
「魔神…!?そいつらとも戦わなくちゃならないの!?」
『魔神はこの世界で互いに“領域”を持っている。お前が来たここも、きっと誰かの領域に違いない』
「―――ッ!!ねぇ…もしかして魔神って…神殿なんかに住んでたりする?」
『そうだ、話が早いな。魔神は様々な場所にすみかを持っているが、神殿を築く者もある。領民に自身の威厳を示すためにな』
「そんな…」
『だが何も、魔神と戦わなければならないという事は無い。選定者同士の戦いに参加するメリットは、魔神や領民には何も無いに等しいからな』
私は込めていた全身の力が一気に抜けるのを感じながら、ホッと安堵のため息をついた。
『…ところで、結局どうするのだ。お前は選定者を目指すのか?』
人喰い草に問われて、私は答えに詰まった。
「…そんな――…先の事とか、まだ分からないよ。今さっきこの世界に放り出されて、明日生きてるかどうかすら分からないんだから。――…まずは生き延びること…それが、今は一番重要だと思う」
“生き延びる”?―――ー自分で言ったその言葉に違和感を感じながら、私は混乱した頭で何とかそう口にした。人喰い草はしばらく無言で私を見つめていたが、気を取り直して話した。
『そうか―――ではこれからどう生き延びる?主よ』
そう問われ、その言われ慣れない“主”という言葉に顔をしかめた。
「私は主なんかじゃない――…私の名前は楠森薫。名前で呼んで、人喰い…」
『そうか、お前が望むならそうしよう。主―――…いや“薫”』
私は人喰い草の形をした精霊を見返した。
「あんたは…?名前無いの?一々違う名前で呼ぶのもめんどいし…」
人喰い草は、私の煩悶する様子に頭を傾げた。
「名前…―――そんなものは今まで必要無かったからな。お前が好きに付ければいい、薫」
それを聞きながら、目の前の存在にぴったりな一つの“単語”がその時私の頭の中で閃いた。
「前から思ってたけどーー…ここの言葉って“サンスクリット語”だよね。ヒラニヤガルバにブハヴァ・アグラ、ガルバヤーツ…」
『お前達の世界ではそう呼ぶのか。我々の世界では古代文字として伝わっている』
「私もそういうの興味あるから、ネットで調べたりもしたけど―――…あんたの名前にぴったりなのも、その時見つけたよ」
『ほう…?それは何だ』
人喰い草は満更でもなさそうに、声に期待をにじませていた。私は息を吸い込むと人喰い草に向かって言った。
「―――…“万物の形”…万物の形って意味」
人喰い草―――もとい、ヴィスヴァルパは頭を振り上げると上機嫌になりながら言った。
『万物の形か…!なるほど、変幻自在な我には確かにぴったりだな!気に入ったぞ薫!!』
「あ~でもさ、長くて呼びにくいから“ヴァル”って呼んでいい?」
『む゛…!…しかし我がヴィスヴァルパであることには、変わりは無いのだな』
「あぁ、うんうん変わらないよ。えーと“ヴァル”……あんたはさ、私を守ってくれる?」
私は主のくせに、声にはすがるような響きがこもっていた。
だってもう私にはこいつしかいない――――これを失ってしまったら、私も月島が言っていたあの屍鬼に堕ちるしかなくなる……そんなのは絶対に嫌だ。
ヴァルは私へと近づくと、真正面から私と顔を合わせた。
『当たり前だ。我はそのためにこの世界へ生れ出たのだからな――――ヴィスヴァルパとして』
私は無意識のまま、ヴァルの赤黒い棘に覆われた頬に触れた。指に伝わった硬い木と粘液の感触はリアルで、決してイラストのような2次元のものとは思えなかった。
私は――――もしかして、この世界で生きていけるのかもしれない。
安堵とも…希望とも言えない複雑な気分を抱え、私はヴァルに告げた。
「じゃあヴァル…まずは生活品を手に入れよう」
私はポケットから出した例の蛍色の光を放つ結晶を掲げながら、2階への階段を上がり切った。ヴァルは近くに伸ばしてあった根から、新しくツタを生やしながら私に付いて来た。
「ヴァル…2階にもうヴェーダラはいない?」
『ああ、2階はな。3階から上はまだ掃討中だ』
ここはいくつかの企業が入っていたオフィスビルなんだろう。2階の廊下は私の目の前から奥へと、もう一方は私の左から奥へと続いていた。
目の前から奥へ続く廊下には2つの扉があり、左へ続く廊下の両側にも扉がいくつもあった。
大樹―――ヴァルが“界樹”と言っていたものの根が、まるでビルを締め付けようとでもするかのように、こんな所まで根を張っている。その根から所々蛍色の結晶が大小様々な大きさで生えていて、辺りをぼんやりと照らしていた。
「…まるでホラーハウスだな」
自分で言って不安な気持ちになり、でもあの化け物はもういないと自分に言い聞かせ、とりあえず目の前にある手近な扉を開けてみることにした。
中は一間続きの広いオフィスだった。
部屋の中は巨大な地震に見舞われた様に悲惨なありさまで、机がグチャグチャに散乱し壁際のコピー機や書類棚が倒れ込んでいる。
「…ヴァル」
『何だ』
「ここ、生きてる人間はいなかった?他の階にも」
『いなかったぞ。今掃討している階にも見当たらない』
「…皆、どこに行ったんだろ。逃げたのかな…―――ッ!!」
歩みを進めたその先に、干からびた死体が書類の間に転がっていた。服だけがその体に残っていて、こんな姿になる前の彼が男だったという事が分かった。
「ねえ…本当に、この人達も再生するの?」
干からび切ったこの人物が、次の世界で元通りになるなどにわかには信じられなかった。
『全ての存在は胎蔵神の元で一つになり、選定者が望めば元の世界で再生する』
「…選定者が望めば?―――…じゃあ、選定者が次の世界を望まなかったり…人間なんかいない世界を望んだらどうなるの?」
ヴァルはこっちを向き、何を言わずもがなの事をという様に平然とした口調で答えた。
「だとしたらその通りだ。次の世界は無く、人間もいない」
「じゃあっ…私も消えるってこと?」
『お前が選定者でなければ、そうなるだろう』
私は大きくため息を吐いた。自分の存在が消えることについては、特に何の感情も湧いて来ない。
(でも――…誰か大切な人がいたりする…私と違って“まとも”な人は、そんな世界嫌だろうな)
私は目の前のミイラを見下ろしながらそう思った。
この目の前で倒れるこの人にも、誰か大切な人がいたのだろうか。しかも今は…―――私は余計な感情を半ば無理やりシャットアウトし、ミイラ化した男に近づいた。
「…何か、使える物持ってないかな」
男は仰向けに倒れていた。私は恐る恐るといった態で手を近づけ、スーツのポケットをまさぐった。
「…ガム、ケータイ…何これレコーダー?」
携帯は起動していたがログインパスワードが設定されていて、私自身向こうの世界ではスマホを持っていないこともあって、とりあえず脇に置いておくことにした。ポケットを探る度にミイラ化した体がカサカサと動き、死んでいると分かっていても気味が悪い。私は次いで内ポケットを調べた。
「…財布か。ねえヴァル、この世界で私達の通貨って使えるの?」
中には16000円入っていた。
『貨幣…そうだな。現地の種族は、こういうお前達の世界の物を珍しがるかもしれん』
「この世界にも通貨があるの?」
『ああ、ある。お前のそのライトにしている結晶―――それを我々は特殊加工して貨幣としているのだ』
「…ッ!!じゃあこれ…この結晶自体価値があるんじゃない!?」
『そうだが――…しかし荷物入れを手に入れなければ持ち運べもしまい。一人で持つには限度がある』
「だよね―ー…」
頭が混乱状態だった。これから生きていくのに、何が重要で何を最優先すべきかがいまいち分からない。
「まずは食料だよね。それにどこか安全な場所を見つけて、そこを拠点に情報を集めないと…」
トイレはどうしたらいいんだろう、それにお風呂は―――?ガスも電気も水道さえなくて、これから一体どうすればいいのか―――…。
私がぶつぶつ呟きながら、他に使えそうなものはないかと探そうとしたその時。
いきなりフロア全体の明かりがパッと点灯した。