第十六話
「いやぁ~自分から声を上げたとはいえ、あの巨体に3体も挟まれるとさぁ~…」
夜も遅いこともありボッダン達3人から解放された海藤さんは、言いながら深いため息を吐いて後頭部を掻いた。
「脅されたりとかは無かったんですか」
私は聞いてみた。
「いや、それはないよ。とにかく食への探求心がハンパないんだあの3人。また教えてくれって言われたけど――…料理の腕も素人の手習いみたいなもんだからなぁ、俺…」
海藤さんはそう不安げにぼやいた。
「きっと大丈夫っすよ」
吉永が明るく答えた。
「俺達は魔神に連れてこられた選手みたいなもんでしょ。だから戦うことがあくまでメインで、それ以外のことまでシビアに要求されることは無いと思いますけど」
「あぁ…そっか、選手ね…」
俯いて言った海藤さんの声は暗く、吉永と無言で視線を交わした私が口火を切った。
「…あの、海藤さん。私達が連れてこられたのは、何か――…能力に目覚めた人間を、あの魔神が試すためだと思うんです。それで――…これからのことを考えて、私達と一緒に神殿を探索してみませんか」
海藤さんはキツネにつままれたような表情になった。
「…えっと、それって――…パーティー組んで探索して力を強化する、みたいな?」
吉永が勢い込んでうなずいた。
「そうですそうです!今のとこ俺とこっちの隣の楠森と、本田栞さんって女性も参加してくれるってなったんですけど、やっぱもう少し人数多い方がいいよなって楠森と話してて―――…どうっすかね、海藤さん」
海藤さんはあごに手を当て考え込みながら、何やらブツブツと呟いた。
「更なるモンスターの捕獲によるLVアップ…シングルプレイよりかはやっぱパーティ組んだ方が…」
「…っ…」
私と吉永はその様子を固唾をのんで見守り、結果が出るのを待った。
「―――…うん、いいよ。俺も探索は必要だと思う」
私と吉永は顔を見合わせ、思い切り破顔した吉永は海藤さんに話した。
「じゃ、じゃあ明日の8時頃に食堂に集まって話すようになってるんで、ぜひ来てください。」
「え?時間なんてどうやって…」
「あぁ、それは…」
吉永が本田さんから聞いたこの世界の時間軸の情報を、海藤さんにも説明した。
「あぁなるほど、上手く出来てんなぁ…ちょっと待って」
海藤さんはそう断り、ポケットからメタリックな青のスマホを取り出して起動させると、キッチン内に掛かっていた時計と自身のスマホの時間を見比べた。
「…本当だ、何でか分かんないけど同じ時間になってる。あの地震で電波基地局なんて絶対ぶっ壊れてるはずなのに。…分かった、これでこの世界の時間は統一で来たってことか、8時ね。―――…でもこれで、俺も含めると4人になったわけだけど、この人数で良いの?」
吉永が首をひねって答えた。
「うぅ~ん…欲を言えばもう少し多い方がいい気はするんすけど、この時間じゃあ声を掛けるにしても皆寝てると思うし…」
「あの――…実は小林さん、井上さん、相澤さんの3人にさっき声はかけてみたんですけど。…なんていうか覚悟の違いっていうか、結局3人の足を引っ張りかねないかもと答えを出して、チームを組む話は流れてしまって…」
海藤さんはギョッとした表情になっていった。
「うぇっ!あの3人に声掛けたの!?勇気あんなぁ~。…確かにあの3人とは、俺も組もうって言われてもあっちはガチ勢っつうか、世界観が違うっていうか…」
吉永も激しくうなずいて同意した。
「俺も正直ちょっと怖かったっす。ガチ度が全然俺らなんかとは違ってました、なあっ!?」
そう言って吉永は、私に話しの続きを振った。
「…まぁ。でも見た目ほど悪い人達じゃ全然なかったですよ。至極まっとうな方達でした」
「あぁうん、それはそう!格好いい人達だったよな」
調子いいなこいつ、と思いつつ私はうなずいて同意した。
「じゃあ、まあ…今の所は4人だけど、明日の朝食の時にでも他の人に声掛けたりして、まだメンバーが集められるか聞いて回るっていうのはどう?」
海藤さんが肩をグルグル回し、若干眠そうな様子で提案した。
「そうですね。私もそれが良いと思います」
「俺も、賛成っす!」
海藤さんはうなずいた。
「じゃあ本田さんとの集合は8時30分だから、それまでに全員集合ってことで」
「分かりました、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまっす!」
「あぁ…何とか上手くやっていこう」
私達3人は意思を確認し、いったん解散することにした。
「いやぁ~収穫ありって感じじゃね?」
「うん…そうだな」
私と吉永は食堂を出て、ドーム天井のラウンジで何となく話をしていた。
「ほら…あと峰さんはどうよ、楠森。あの人お前が助けてあげたじゃん」
「…うん。部屋がどこか分かんないから訪ねていけないけど、明日姿見たら声掛けてみる」
「あっ!ちなみに俺の部屋は、男子側に入って右側の一番奥の部屋だから、いつでもウェルカムだぞ楠森!」
親指を立てニカッ!と笑いながら言った吉永に、私は思い切り不愛想な顔で答えた。
「…分かった。何かあったら多分行くと思う」
「お前の部屋は?」
(…っ…、ぅわあ教えたくねぇ~…)
嬉々とした表情の吉永から顔を背けてそう思ったが、探索を組んだ相手として連絡手段を用意しないのはさすがにマズい。
「…女性側に入って、左側の手前から3つ奥の部屋。無断で入ったら殺す」
吉永はヒェッとわざとらしく情けない声を上げた。
「無断で入った罰としては重すぎるだろ!?ちゃんとノックするよ~」
「…じゃあ明日食堂で。遅れるなよ」
「えぇ~もう行くの?もうちょっと話してもさ…」
「さよならお休みまた明日」
「ん゛もぉっつれなぁ~いっ!」
盛大に嘆く吉永を置き去りに、私は足早に自分の部屋に帰った。
『ふぅ~んそっかぁ。良かったね話が進んで』
旅兄さんは、ベットを一つ占領した状態でそう言った。
シャワーを浴び、洗面所で運よく用意されていた歯ブラシで歯を磨いた私は、その隣のベットに大事なボディバックを布団の中に隠し、着ていた上着やパンツを脱いで布団の中に滑り込んで満腹感から急激に襲ってきた眠気と戦いながら、食堂でのことやチームを組んで探索することを旅兄さんに説明した。
「旅兄さんも一緒に来るんでしょ」
『うん。食料も確保したいし、神殿内部の構造も知りたいしね』
「ん~分かった。じゃあ明日の朝一緒に行こう」
『一体どんな構造なのかなぁ~ワクワクするよ!』
はしゃいだ声で話す旅兄さんに、ジャドガラに急襲されて死ぬような目に遭ったのにずい分のん気なもんだなぁと、半分呆れながら私はベットの中で息を吐いた。
「…他の皆とも、何とか一悶着なく出来れば、良いけど――…」
『僕としては、神殿の中心部にぜひとも探検してみたいんだよね。だって魔神の生活領域だよ?そこを命の危険のリスクも無しに出入りできるなんて…』
『おい旅兄』
『ん、何?』
薫の頭の横に現れたヴァルが、いつの間にか寝入ってしまった様子の薫を目で示した。
『…あぁ、ごめん。今日は散々な目に遭ったからね』
ヴァルと旅兄さんは安らかな顔をして眠る薫を見守るように、その寝顔を見つめた。
広い通りは様々な露店が店を開き、行き交う異形の人々の浮かれた話し声や料理の匂いが辺りに満ちている。
“私”はその中にあって時々埋もれそうになりながら、それでもその人込みを軽やかな足取りで通り抜け、花々に止まる蝶のように軒を連ねる露店をあちこちのぞき込んでいる。
様々な料理に瓶詰になった何かの臓物、見た事も無い生物達に何のための物か分からない色鮮やかな品々―――蛍色の光に照らされたそれらに、見ていた私は眩暈に似た感覚を覚えた。
私が不意に振り返り、背後に立った半透明のこちらをまっすぐに見据え微笑んだ。
「来ていたのね、薫。ねぇ凄いわねぇ!分からないものがいぃ~っぱい!…あっ、あれなんだろ」
私は身をひるがえし、右側の露店の一つをのぞき込んだ。
そこには鬼に良く似た2対の角を生やして凶悪な浅黒い顔をした店主がいて、その手前の陳列棚には精緻な装飾が施された装飾品の数々が並んでいた。
店主は私の全身を上から下までジロジロと眺め顔をしかめると、不機嫌に言った。
『金の無い奴に売るモンはここにはない。どっか別のとこへ行きな』
背後に控えた私はヒヤヒヤしたが、もう一人の私は魅入られたように陳列された品々に見入り、店主の凄みを効かせた言葉など聞いていなかった。
『おい…』
もう一人の私は並んだ品の中から、隅にあった古ぼけて色褪せたペンダントを手に取った。
『ふふっ…これ素敵。ねぇおじさん、これいくら?』
店主は一瞬虚を突かれ、次の瞬間あからさまに馬鹿にした表情になった。
『ハッ!それはとっくの昔に効果が切れた物だが、価値ある年代モンだ。ガキになんて買える代物じゃ…』
『いくら?』
『…24万バラ(※…1バラ=一円)だ。払える訳ないだろ!!』
私は小首を傾げう~んと考え込んだ。
『おじさん、“バラ”ってお金のことよね』
店主は珍妙な生物でも見るようにもう一人の私を見やった。
『そうだよ!だからさっさと…』
『見せて』
『ぁ゛あ゛っ!?』
『そのお金というもの、見せて』
『…おい、こっちは商売の真っ最中なんだよ。これ以上ガキのお遊びに―…』
言いながら店主は腰に差した小剣を抜き、立ち上がろうとした。もう一人の私は素早く視線を巡らすと、店主の傍らに置いてあった翡翠に良く似た、不思議な七色の光沢を放つ平べったい鉱石を手を伸ばして掴んだ。
『あ゛っ!!てめえっ!!!』
『ふ~ん…』
激昂した店主を尻目に、私はしばしそれを見つめて鉱石を手のひらに握り込んだ。店主はカウンターを避けて私の傍へ来ると、襟をつかみ上げようと手を伸ばした。
「はい、これでいい?」
その寸前、もう一人の私は店主に開いた手のひらを差し出した。
『はぁ゛っ!!?―――…っ…!!なっ…にぃ゛い゛っ!!?』
差し出された手のひらの上には、5枚の翡翠があった。泡を食った様子の店主に、もう一人の私が小首を傾げた。
『これじゃまだ足りない?じゃあ…』
広げられた手のひらが淡い蛍色の光を帯びた途端、同じ翡翠が泉が湧く様に現れ収まりきらないそれが石畳にジャラジャラと音を立てて零れ落ちた。
店主は大口を開けて呆然とその様を見た。
『…嘘だろ、それ一枚で10万バラだぞ…偽造は、魔神マヤースラ様の秘術によって不可能―――…ッ!!に゛っ…偽物だ、こんな物!!おっ、お前一体どんな幻術を…』
もう一人の私は、ぶぅ~っと不満げに頬を膨らませた。
『んもぉ~、そっちがお金がいるっていうから出したのに!もぉいいっ!!』
そう言って憤慨した私は、やおら手を伸ばすと陳列された装飾品の中から例の古ぼけたペンダントを掠め取り、一気に店外へ飛び出した。
『ぁ゛あ゛っ、クソッ…泥棒ぉおっっ!!』
走り出した私は振り返りあっかんべぇをした。
『泥棒なんかじゃないもん!べぇ~~っだ!!』
もう一人の私は行き交う人の波を一度もぶつかることなくかいくぐり、店主の追跡を簡単にまいて姿を消した。
人気の途絶えた裏路地で、もう一人の私は足を止め背後の私を振り返った。
『酷いよねぇ薫。私はちゃんとお金で払おうとしたのに』
(…っ…)
『何?このペンダントがそんなに気になる?』
もう一人の私はそう言って、指に引っ掛けたペンダントを揺らして見せた。
『これはねー―…効果が切れた物なんかじゃないの。“中にいる子”が魂を閉ざして深く眠ってしまったから…それを覚ましてくれるような存在が誰もいなかったから、こんな姿のままなの』
笑いながらペンダントを眺める私の瞳が蛍色の光を放ち、それは徐々に強くなっていく。
(…ッ!?)
まるでそれに呼応するかのようにペンダントが小さく震え出し、褪せて黒ずんだ金属の表面に葉脈そっくりの蛍色のエネルギーが広がり出した。蛍色の光は脈打ちながら輝度を増し、ペンダント全体が蛍色に覆われていく。
もう一人の私の顔に、冷たく妖艶な笑みが浮かんだ。
『さぁ…――目覚めなさい“アクシャラ”。お前を縛るものは、もう何も無い』
(う゛っ…!!)
光はいきなり太陽の様に一気に大放射し、私は直視できずに目を覆った。
やがて光は消失しーーーー視界が戻った私が見ると、もう一人の私の手にあったはずのペンダントは跡形も無くなっていた。
私が呆然としていたその時、複数人の足音がして瞬く間に私達に迫った。
(ちょっ…何!?)
私ともう一人の私は、手に武器を持った8人の厳つい異形に取り囲まれてしまった。その中にあって特にガタイの良い異形が歩み出た。
黒い被毛に覆われた、水牛を更に凶暴にしたような顔。頭部には一メートルはありそうな大きな一対の角が生え、筋肉隆々な体に粗末な服をまとい、鉄串がいくつも刺さったでかい棍棒を片手で軽々と携えている。
水牛の魔族の男は、目を細めて舌なめずりして口を開いた。
『お嬢ちゃん、さっきのは一体どうやったんだ?店主の野郎目を白黒させてたぜ、あの金は“どう見ても本物だ”ってなぁ…』
(見られてたんだ…ーー)
思わず心配になった私は、もう一人の私の表情をうかがい見た。
『これから俺等と来て、その技を披露してくれよ。この先ゆっくりとな゛あっ…!』
下卑た笑いを浮かべ、魔族達はもう一人の私に対する包囲網を狭め近づいて来る。水牛の魔族の手が触れそうになった、その時。
ズズズズズズゥウ゛ッ…
(…ッ!?何!?)
何か重い物が這いずる音がいきなり響いた。
『な゛っ…何だ!?』
『今あっちで何か…』
路地は高い石壁の建物に囲まれ、道幅は数メートルほどある。表通りにある街灯が遠いために辺りは暗く、まばらに存在する蛍色の小さな結晶の光だけが頼りだ。
魔族達が警戒して辺りを見回す更に外の闇の中で、見えない“何か”が這いずり回っている。
ズズッ…ズズズッ、ズズズズゥッ…!!!
音は石壁に反響しながら、そこら中から響いてくる。
たかが子供一人と侮っていた所に予想外の出来事が起こり、魔族達は明らかに動揺している。
『クソッ!!…まさかお前かガキっ!!さっさとわけわかんねぇことを止めさせろっ!!でないと…』
無邪気に自分を見上げるもう一人の私に向け、水牛の魔族が鐵具氏がびっしり刺さった棍棒を振り上げた。
『てめぇを今すぐミンチに…』
ドズンンンッッ!!!
水上空から落下して来た“黒い塊”が、牛の魔族の傍らに重い音を立てて転がった。
(な゛っ…にあれ!!?)
その正体を見た私は思わず後ずさっていた。
大きさは一メートル以上はある。表面にびっしりと細かな黒い根のようなものが生え、虫の触手か何かの様にそれが気持ち悪く蠢いている。黒い塊はそのまま動いて向きを変えると、こちらに反対側の面を見せた。
『ギェッギェゲゲゲゲゲェ゛エ゛ッッ!!!』
(――ッ!!)
塊の中心には赤錆び色の“口”が大きく開き、その中にびっしりと生え揃った針のような牙がこちらに向かって打ち鳴らされた。
『な゛っ…何』
ズドドドドドドドドォ゛オ゛ッッッ!!!
水牛の魔族がたじろいだ次の瞬間、重い落下音と共に黒い塊が魔族達を取り囲むようにいくつも落下してきた。
『ゲゲッ…』
『ギェッ、ゲッ…!』
『『『ギェゲゲゲゲゲゲゲゲェエ゛エ゛ッッッ!!!』』』
一様に魔族の方を向いた黒い化け物が大口を開け、嘲笑うかのように魔族達を威嚇した。
もう一人の私は、うっとりと恍惚の表情を浮かべ笑った。
『この子はね…獲物を感染させて自身を増殖しすぎてしまって、周囲に何も無くなってしまったから休眠状態になっていたの―――…ふふっ!でももう大丈夫ね、300年ぶりの“食事”よ』
水牛の魔族の仲間達がうろたえた様子で喚いた。
『お、おいっ!!何だよこれっ…ただのガキ相手じゃねぇのかよっ!?』
『うろたえるんじゃねぇっ!!!』
水牛の魔族が一喝した。
『1、2匹倒して退路を作れ!!俺は…』
水牛の魔族はそう言って振り返ると、もう一人の私に向かって迫って来た。
『このガキを捕らえる』
『あら、仲間に加勢しなくていいの?』
『お前をすぐ捕らえたら、そうする』
水牛の魔族は腕を伸ばし、無抵抗なもう一人の私を捕らえようとした。
ズグゥ゛ッッッ!!!
『…がっ…』
『え゛っ!!?』
『お、お゛い゛っ!!!』
水牛の魔族の背後から突き刺さった“黒い根”が、分厚いその体を貫通し体外に突き出ていた。
黒い根を伸ばしたのは、水牛の背後の建物の壁に張り付いた一際巨大な“黒い塊”ーーー大きさ数メートルはある全身蠢く長い根に覆われた化け物が、十メートルは離れた場所から延ばした根によって魔族を串刺しにしていた。
蠢く根に覆われたその中心には、体格に不釣り合いな程の小さな赤錆色の“面”が付いている。どこか冷酷な表情の面長の面を取り囲むように、赤錆色の外側に湾曲した数十センチから二メートルの長さの棘が花びらのように生え揃い、意志があるものの様に内側に向かって収縮している。
化け物は水牛の魔族を貫いた根を一気に引き戻し、根を引き抜かれた魔族の体は膝から崩れ落ち、獲物であるこん棒が手から離れ路面を転がった。
『…あ゛っ…が、ぁあ゛っ…!!』
流れ出た血が広がる路面にひざをついて座り込む形になった水牛の魔族は、そのまま事切れると思ったーーーしかし魔族は全身をガタガタと震わせながら、なぜか自身の両腕を凝視している。
『…ぐっ…ぅ゛う゛…っ!!?』
(――ッ!!何あれーー…赤い…根っ!!?)
水牛の体から赤錆色の細かな“根”が伝い、両腕の先に向かって急速に根を伸ばしていき、両腕だけでなく同時に首から頭部へと魔族の体が赤錆色の根に侵蝕されていく。
『ごぁ゛っ…ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!』
全身を痙攣させ、白目をむいて天を仰いだ魔族のその白目さえも赤錆の根は侵蝕し、大きく開いた口からいきなり大量の根が噴出し上空に広がった。
(…っ…!!)
あまりに陰惨な光景に、私の体は恐怖で凍り付いた。
『…ぐっ…げ…っ』
赤錆の根にやられ、今度こそ死んでしまったと思った水牛の魔族の口から声が発せられ、私は目を見開いた。
魔族の全身を覆った赤錆の根は皮膚を突き破って体外に突出し、蠢きながら魔族の全身を覆い尽くしてしまっている。水牛の魔族が膝をついてユラリと立ち上がると、俯いていた顔を上げた。
『ぎぇっ…げェゲゲゲゲゲェ゛エ゛エ゛ッッッ!!!』
狂ったように叫び出した水牛の目は、蠢く赤錆の根が突き出て完全に塞がれている。
『ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!』
(…ッ!!?)
突然聞こえた絶叫に振り向くと、魔族の仲間が黒い根の攻撃に遭い全身を刺し貫かれていた。
(…嫌だ…)
退路を開こうとしていた他の魔族達も取り囲まれた黒い塊の攻撃に傷付き、その傷付いた箇所から赤錆の根が広がり始めている。
(いやだっ…こんなのもう見たくないっ…!!)
私は首を振りながら後ずさり、一刻も早くこの陰惨な悪夢から逃げ出したいと強く願った。
『薫』
声に思わず振り向いた私を、蛍色の光で輝くもう一人の私の双眸が射抜いた。
『素敵でしょう。このヒラニアガルバヤーツには、こんな能力を持った魔物も存在するのよ』
もう一人の私の目はあふれ出る歓喜で爛々と輝き、その微塵も疑いの無いあまりにも純粋無垢な様子に私の背中を戦慄が走った。
(…あ…あんた、何っ…何がしたいのっ!!?こんなっ…)
私達を取り囲んでいた8人の魔族はほぼ全員が黒い根に攻撃され、赤錆の根に侵食されてしまった者達が力無く路面にうずくまっている。それもの束の間ーーーやおら顔を上げて上体を起こした彼らは皆一様に叫びを上げた。
『『『グェゲゲゲゲゲゲゲゲェエ゛エ゛ッッッ!!!』』』
重い音が傍らでしてハッと振り向くと、水牛の魔族を襲った仮面を付けた一際大きな黒い塊がもう一人の私の元へ身を寄せていた。
もう一人の私は蠢く黒い根にうずもれる形なったが、根は水牛達のようには私を害せず、まるで甘えるかのように優しく触れるにとどまっている。
(…っ…)
黒い根に身を預け、慈しみ深い慈母のような表情をしてもう一人の私は言った。
『これがこの世界の生物の“ありのままの姿”なのよ、薫―――…あなたはそれを良く理解しておくべきなの』
(………)
もう一人の私が私を見据えた。
『この暴力的で混沌とした“力”こそが、全ての世界の根源―――…善も悪も大して意味をなさない。あなた達の文明化された力さえ、一気に飲み込んでしまえる程にね』
もう一人の私がにっこりと笑う。
『…だから薫…あなたも存分に力を振るえばいい』
私を見つめるもう一人の私の瞳が蛍色に怪しく光り、その威圧が巨大化しながら私を飲み込まんとする。
(わ…私はっ、そんなことしたくないっ!!だって…私は普通のっ…)
『…奪い、犯し、壊して傷付け――…』
呪言の如く昏く呟くもう一人の私の瞳孔が散大し、私はその深い闇の中に急激に吸い込まれていく。強く目をつぶった私は激しく首を振って全てを拒絶した。
(やめっ…!!)
『―――…そして“殺す”の』
暗闇の中に、もう一人の私の声がはっきりと響いた。