第十四話
すんなり開いた扉の先はは真っ暗で、その暗い部屋に入った途端、パッと明かりがついた。
部屋の中は先程見たドーム型のラウンジ同様、西洋風のホテルの一室で、部屋の左側の壁の奥と手前に木枠のベットが二つあった。入り口のすぐ左と奥の壁に収納タンスがあり、ベットの対面の部屋の右側には小さなソファセットがある。ソファセットの右の壁に沿って低い収納棚と、その上にはテレビが――…。
「…え?テレビ!?」
私はいったん素通りした視線を慌てて戻して、再度それを見つめた。確かにそれは、32インチほどの薄型テレビだった。
「スラー…あれ、どういうこと?何でこの世界にテレビなんて…」
『はぁ…これは我が主、アシャ・ワヒスタ様しか確かなことは存ぜぬことなのですがぁ…どうやらこの時空を“固定化”しているようでして…。この時空には、人を宿泊させる施設を移転しているようでして~…ワタクシめにも、それ以上のことはさっぱり…』
「…そう、なんだ――…?」
分かったような、全然分からないような…―――とにかく、今この目の前にある空間は、私達の時代の宿泊施設らしいことははっきりとした。
ふと天井を見上げればアンティーク調のランプが灯っているけど、それは古い時代のものなんかじゃなく、明らかにLEDで灯っているようなタイプのものに見えた。
「…信じられない。けど――…」
目の前にあるんだから、信じるしかない。
部屋の右壁の手前と一番奥には二つの木の扉があり、ここが宿泊施設というならその先にはきっとシャワー室でもあるかもしれない。
「スラー、あそこの扉の先は、トイレとか浴室があるんじゃない?」
『手前の扉の先は空っぽでしたが…奥の扉の先には、確かに湯あみ出来そうな施設と、何やら陶器の白いイスがございましたぁ…』
「そっか、うん分かった…あと私達が案内されるべき場所とかは、神殿内ではない?」
スラーは顎に手を当てユラユラと考え込んだ。
『そうでございますねぇ…ワタクシめからは注意すべきことは…。――…この神殿の最奥部は、アシャ・ワヒスタ様の寝所となっておりますので…あまり冒険心を出して、踏み込まないほうがよろしいかとぉ…それにその近辺はジャドガラ様以下、側近の方々が常駐しておりますので~…それもお気を付けたほうが、よろしいかとぉ…』
「…最奥部って…どうすればわかるの?」
『赤味が強く、豪華絢爛な装飾になっている場所でございます。炎がそこかしこにありましてぇ…そちらのダイモン様が共にいらっしゃれば、気配でお分かりになるはずです、はい…』
「――ヴァル、ほんと?」
問うと、私の影の中から金色の双眸が現れて声が聞こえた。
『ああ、多分な』
「分かった。スラーはこの部屋に常駐するんだよね」
『はいぃ…普段は姿を消しておりますゆえ、名を呼んで下されば、現れますぅ…』
私は少し考えていった。
「…スラーは私の能力や、私に関する情報を誰かから聞かれたら、答える?」
『別段、禁止事項とはなっておりませんので…聞かれれば答えますね…』
私はやっぱり、と思い真剣な表情になって続けた。
「―――…じゃあスラー。私に関する能力や情報は、これから一切誰にも漏らさないでって私が命令したら、あんたはそうするの?」
「はい…ワタクシは我が主様より、あなた様の家令として使えるよう、申し付かっておりますのでぇ…」
「そっか。じゃあスラー、私に関する能力や情報は人間や他の魔物やダイモン、誰にも一切教えないこと。それに…アシャ・ワヒスタ以外の魔族にはどう?それは無理?」
スラーは急にアワアワとし出して、半透明の体を小刻みに揺らした。
『そっ、それは、ワタクシめの様な最下級の魔族には、とても~…』
私はため息をついた。
「分かった…じゃ、それは無理ってことね。でもそれ以外の人間や魔物やダイモンは駄目。それは確約できる?」
『はいぃ…かしこまりまして~…』
私は部屋を見回してあるものに気付くと、その前に移動した。
テレビ下の棚に小さな冷蔵庫が備え付けられていて、さっきから喉が渇いていた私はその扉を開けてみた。
「…何だ、酒ばっかじゃん」
清涼飲料水やミネラルウォーターを期待してたのに、大半を占めていたのは酒類だった。その中には少ない種類の清涼飲料水もあり、私はスポーツ飲料を一本取った。
「あぁ~…喉渇いてたんだぁ」
何せ黒紫の炎にあぶられ、今度は黄金の炎に全身を巻かれたのだ。私は急いだようにペットボトルから直飲みし、3分の一ほど飲んでやっと一息ついた。
「あのさ、スラー。魔族って酒とか好き?」
何となく気になったことを、取りあえず聞いてみた。
『はいぃ、それはもう…人間界との融合でもたらされる恩恵の一つでございますね…特に上級の方々ほど、お好きな方は多いかとぉ…』
(ふ~ん、賄賂にでも使えるかな…)
ペットボトルを傾けた私は、今聞いた情報を頭の隅に刻んだ。
「今って、時間どのくらいなんだろ。スラー分かる?」
『今はぁ…深夜を回ったところです…』
スラーはなぜかクンクンと空気を嗅ぐ仕草をして言った。何でそれで分かるんだろう…。
「はぁ~…ヴァル、何だか疲れて来たかも…」
私は近くにあったソファにどっかりと座り込み、背もたれに深く背中を預けた。私の肩に黒い影が這い登って来て、チビ獣人化して実体化したヴァルが金の瞳で私の顔をのぞき込んだ。
『仕方あるまい。災難続きだったからな』
「―――…あ!スラー。これから魔物をここに呼びたいんだけど、部屋に呼んでも大丈夫?」
『神殿とこの領域との間の扉には許可されたもの以外、何人たりとも侵入は出来ませんが…中に入ってしまえば、多分大丈夫だとぉ…』
「そっか…多分ね…―――スラー。これから現れる魔物の事も…あと、ヴァルに関する一切の情報も、他人に口外しないで」
スラーは恭しくお辞儀した。
『はい~…かしこまりました…』
私はソファから立ち上がって広い場所に移動し、自身の影を見下ろして言った。
「旅兄さんっ、生きてる!?出て来ていいよ」
床に伸びた影が水が広がる様に丸く広がりながら面積を広げ、その中から大きさ2メートル程の大きさの旅兄さんがのっそりと現れた。ベットがあるこの部屋の広さは20畳ほどで、旅兄さんが元の大きさになれば、部屋は手狭に感じてしまうだろうと思った。
旅兄さんは前肢を上げ大きく伸びをすると、ブルブルと茶色い体を震わせた。
『あ~、やっと出られたぁ』
「旅兄さん、久しぶり」
『色々大変だったね、全部見えたよ』
「ああ、うん――…とんでもないことに巻き込まれる羽目になったよ、どうしよ…」
旅兄さんは私の方を振り返り、つぶらな複眼でしばらく私を観察した。
『…その手足錠を付けてる限り、神殿の外へ行くのは難しそうだね。アシャ・ワヒスタはとても強い魔神族として、ヒラニア・ガルバでは有名だから』
「…下手に脱出しないほうがいいのかな。でもここに残ってたら―――…人間同士で、殺し合いを強要されるかもしれない。そんなこと、私…」
そんな物騒な覚悟、私は全く出来ていない。それどころか私はもう、二人の人間を実質救助してしまっている。その峰さんや吉永と戦うことになって、彼等を殺せるとでもいうのか――…。
『薫、しかしな…』
ヴァルが腕を組んで難しい声を出す。
「…うん、分かってる。でもさ、ヴァル――…私達人間はあんた達と違って、戦争や生き死にが当然の世界にいたんじゃないんだよ。一応平和で、殺し合いや飢餓もほとんど無い国で育ったからさ…人を殺すなんて…」
『…お前が殺すのではない、我が殺すのだ。それにここでの“死”は人間界の死とは違う、“融合”だと言ったのを覚えているか、薫』
「それは―――…詭弁だよ、ヴァル。融合の事だって、次の世界が元居た世界に元通りになる保障すらないのに」
『――――…』
私はこれ以上この問題について考えるのがしんどくなり、二人の間にはしばらく沈黙が流れた。私は話題を変えることにした。
「ねえ――…旅兄さんは、手足錠されてないでしょ。なら神殿の外れにでも行って、そこから外へ旅兄さんを逃がすことは可能なはず。もちろん行くよね、旅兄さん」
旅兄さんは口爪をモグモグ動かし、しばらくの間何も言わなかった。
『う~ん…その後すぐに地下に行ければいいけど。たぶん君と別れた後、他の魔族に襲われる可能性も少なからずあるよね。…だったらむしろ、地底へ続く場所で別れたほうがまだ安全かなぁ』
「地底…か。スラー、神殿の領域の外に出たら、この手足錠が稼働するんだよね」
私は手錠をスラーに示しながら言った。
「それって、地底に出た場合はどうなるの?」
『ふむぅ~…そうでございますねぇ…神殿の地下階ならばまだ領域内と言えるでしょうが…魔物達が勝手に神殿と繋げてしまった様な穴倉はぁ…領域外でしょうね…』
「…やっぱそうなるか。――…でもヴァル、旅兄さんを逃げすためにその地底への道を探してみるのは良いかも。もしこの手足錠が何とか出来たら、そこから脱出を試みれるかも」
ヴァルは両腕を組んで考え込んだ。
『しかしそこから地上へと逃亡を果たせるのか分からんぞ、薫。地下は広大で入り組んでいると、前に旅兄は話していた。そこへ食料も水の準備も無しに入ったら、お前の身の安全は保証出来ぬ』
「ん~…だよね。簡単に考えすぎか…」
私は大きく息を吐いた。
「――…でもとにかく旅兄さんは逃がすよ。それでいいね、ヴァル」
『面倒ごとがまた増えるな』
ヴァルはそっけなく答えた。
「スラー、地下への入り口って、どっかで見たことない?」
『…申し訳ございません…ワタクシ、普段は壁などは透過して移動しておりますのでぇ…地下の入り口は、やはり弱い魔物の出入り口の奥に作られているかもとしか~…』
「つまり、自分で探すしかないってことか…」
『僕は鼻で地下の入り世界の空気を嗅ぎ分けたりしてるから、匂いである程度のことは分かるはずだよ』
「なら見つけるのはそんなに難しくはないか。後は――…」
言葉を途切れさせた途端に重い疲労感が襲ってきて、私は近くのソファに身を預け天井を仰いだ。
「はぁ~…実質ゆっくり出来たのって二日だけかぁ…。まさかあの時、月島に近づくなって警告された神殿なんかに来る羽目になるなんて――…」
まるで激流に翻弄される木の葉かジェットコースターのように、自分の運命が自分じゃない何かに左右されまくっている気がする。こんな状況がこれから先も続くのかと思うと、いい加減うんざりしてくる。元々自殺しようとしていた私に、生き残るための気力なんて有るはずがない。ただ惨たらしく死にたくないがために、その場その場で切り抜けて来ただけだった。
気分が重く沈んで、私の口からは重いため息がこぼれた。
「…今度はもしかして、同じく生き残った人間と殺し合うかもとか―――…勘弁してよもおっ…」
天井から灯るライトが明るく、腕で目を覆いながら私はそうぼやいた。
“そんなに私は生き残りたいのか?”
人を殺してまで―――頭の中にその問いはさっきから居座り続けているが、答えがいつまでたっても出てこない。他人に殺されるなんて嫌だし、痛いのも惨い死に方も嫌だった。でも―――それは今までだって同じことで、自分の望んだ生き方なんて全く出来た試しなんかない。
私の思考はいつもここで停止する。要するに私は“楽”になりたいのだ。生きるにしても、死ぬにしても。
「はぁ…ほんっと、情けない―…」
(ブハヴァ・アグラとか、次の世界とか、神とか―――…こんな自分の人生さえままならない人間が、何言ってんだって次元の話だよな…)
「…ねえ、旅兄さんはさ…何が楽しくって生きてるの?」
私は腕を顔から上げながら、旅兄さんの方を向いて聞いた。さっきまで隣にいたはずの旅兄さんは移動して、ベットの上に乗ってマットレスの感触を確かめていた。
『僕?ん~そうだなぁ、やっぱりいろんな所へ行って、いろんな新しいことを体験するのが楽しいかな』
「…そんなにこの世界って面白い?何か…私にとってはそんな印象、まるで無いんだけど」
私が見たのは完全に崩壊した人間世界の残骸で、しかもそこは醜い化け物になり果てた元人間のヴェーダラの巣窟と化していた。
『そうだね、人間の世界と融合しちゃった今は、だいぶ様変わりしてしまったけど―――…でも例えば、こんなアシャ・ワヒスタの神殿みたいなとこ、向こうにある?』
「あ―…ない、ね。こんな馬鹿でかい神殿なんて…」
『でしょ!?地下にも魔神族の領域があるし、天空にだって水の中にだってあるんだ。地形や天候も不思議なところがいっぱいあって、地下に氷の世界があったり、天と地が逆さまの空間があったり、そりゃもう面白い所ばかりだよ!』
(ぅわあ…そんな無茶苦茶な世界ってのも、どうなのよそれ…)
旅兄さんの異界自慢を聞いて、私は世界の多様性に胸躍らせるどころか、逆にドン引きして萎えた気持ちになってしまった。
何てハードな世界なんだ。そりゃ魔物や魔族でもなけりゃ生きてけないよ、そんなとこ。人間なんて毛の無いサルもどきにしかなれっこない…。
「凄いな、旅兄さんは…。そんな世界で冒険して来てそれが楽しいなんて。私は――…」
私は両腕を掲げて細い糸のように両手首を縛めている黒紫の炎を見つめ、その両腕を力無くストンッと降ろした。
(自分がこの世界で何がしたいのかなんて、全然分からない――…しかも他人に戦えとか強要されてるし…。…こんなの、まるきり奴隷以下じゃんか…)
馬鹿馬鹿しい―――全てが酷く億劫で、私の心は鬱屈と凪いだままに何の希望も見い出せなかった。
“グキュルゥウ~~…ッ”
その時まるでタイミングを図ったかの様に、私の腹が盛大に鳴った。あまりの自分の間抜けさにため息をついた私は、ソファから体を起こした。
(何か何にもしてないわりに、すっごくお腹減って来たな…ーーー夜になって食べると太るっていうけど…)
「…旅兄さん、食事はどうする?」
『あ、それね。ヴァル君に何体か分けてもらったから、今は空いてないや』
『こ奴が勝手に掠め取ったのだ!我は許可した覚えはないっ!!』
肩の上のヴァルが足を踏み鳴らしてがなった。
「もぉいいじゃんかヴァル~…あんなに入れ食い状態だったんだから。じゃあスラー、私お腹減ったから、食堂に案内してもらえる?」
『もちろんにございます~…』
ソファから立ち上がった私に先んじて、スラーがフヨフヨと移動を始めた。
自室を出て神殿との出入り口近くのラウンジまで戻り、その奥に進んで十段ほどの階段を下りた短い廊下の先に、食堂が広がっていた。
ホテルの食堂そのものといった雰囲気のその部屋は、大きなテーブルセットが7つほど間隔を開けておかれていて、何人かの人間がそこで食事をとっているのが見えた。
(あ…)
特に目立っていたグループが目に入った。
やたらガタイの良い男3人が集まったテーブルで、その中の一人はあの巨大なバイクに乗って現れた相澤鉄夫だった。相澤の対面には、つなぎ姿で挨拶をしていた小林真壱が座り、小林の右隣にはギターケースを持っていた、確か―――井上彰太が座って、3人とも黙々と飯を食っている。
(何か…悪いけど、刑務所の中の人が食事してるみたい――…)
ガタイの良い、人相もあまりよろしくない男が集まった空間には威圧感があって、他人が容易に近づける様な雰囲気じゃない。
相澤達以外には、美人秘書の綾部さんと自分は陶芸家だと自己紹介していた東さんが二人でいて、全身黒い服の黒メガネの本田栞さんと、周囲の人間に自分を怒らせるなとイキってドン引きされていた、近衛陽平が、それぞれ離れた場所にいて一人で食事をとっていた。
『こちらでございますぅ~…』
スラーが示す方向に行くと、テーブルのあるスペースの奥にコンビニやスーパーでよく見る陳列棚が並んでいて、棚には本当の商店かの様に弁当やパン、果物なんかが雑多に並べてあった。
「…えっ!?スラー、これってどこから?」
『アシャ・ワヒスタ様の、配下の魔族が集めてきた物や…神殿の中に生えた宝樹になったものなどを、取り揃えましたぁ。これは食べ物ではないというものは、仰って頂ければ取り除きますのでぇ…』
「…それじゃ、好きに取ってもいいんだ?」
『はい、どうぞ~。こちらの物でも良いですが、奥には専用の料理人もいますのですよ…』
「…料理人?」
(え…もう人間を、料理人にでもしてるの?)
私は棚の列を抜け、更に奥の料理器具が並んだ厨房をのぞき込んだ。
厨房の中は、一部のライトがスポットライトの様に薄闇の中厨房を照らしている。その明かりの下に3体の白いコックスーツを身にまとったでっぷりとした大きな背中が見え、小刻みに揺れる3体の間からガツガツという、何かを貪る品の無い音が響いて来た。
『うめぇっ、これもうめぇなっ!!』
『赤い酒に、肉か…早く同じもん見つけねぇとなっ!!』
『500年経つと、食いもんもこんなに変わるんだなぁ…!!』
それぞれ声質の違うだみ声が、せわしないそしゃく音の間から聞こえてきた。
喋っているのは体長3メートル近くある、黒、白、茶色の二足歩行で立った“豚”ーーー肘まで腕まくりした白いコックスーツを身にまとい、3体の豚達は自分が持ったコンビニ弁当を一心不乱にむさぼっている。
「…っ…」
あまりに異様な光景に怯んでしまった私は、とても自分から声を掛けることなど出来なかった。
『こちらのお三方にお声を掛けていただければぁ…お時間は多少かかりますが、皆様のご希望の物をご用意可能かと…』
『んお?何だ、新客か?』
スラーの声に気付いた茶色の豚が振り返った。
顔はその体格から予想したように、完全に豚だったーーーしかしそれは予想を裏切り、人間界の豚の持つ可愛らしさなど微塵もないただただ凶悪な人相をした、3つ目の金の瞳をもち、鋭く長い牙を持った“異形の豚の怪物”だった。
他の白、黒の豚も同様に私を振り返った。
『何だ、何か食いたいもんでもあるのか?』
『まだ誰も、俺等に注文はしてねぇぞ』
『ま、そりゃそうだろ。なんせ今の所、500年前の食いもんしかねぇ状態だからな』
茶、白、黒と順に喋ると、豚達は私の返事を待つように私に視線を集めた。
「…あ、の―――…わ、私はカ、カオルって言います…よろしくっ…」
3頭の気迫に押されながら、私は何とかそう答えた。
『カオル…俺ぁ“ボッダン”。んで、こいつが“ディンジャ”、こっちが“ガムドゥ”だ』
茶豚がボッダンと名乗り、白豚をディンジャ、黒豚をガムドゥと紹介した。声も姿も厳ついけど対応は至極まともで、私は何だか拍子抜けした気分になった。
「よ、よろしく…」
『今はよぉ、悪いが開店休業中のようなもんで。品ぞろえも料理の材料も、さっぱりそろってねーんだわ。悪いが手前の棚のもん食っといてくれ』
黒豚のガムドゥが、親指で私の背後を指してそう言った。
「あぁ、分かりました」
私は3頭の方を向いたまま後ずさると、陳列棚の方へ引き上げた。
「うわぁ~、すっごい迫力…」
『あの方達は~…一度食した物を、その通りに作る能力をお持ちの方達ですのでぇ…凄い方達なのですよ…』
「え!?…ああ、だからあんなに―…」
今も3人はものすごい勢いで食べ物をむさぼっている。ただの食い意地の張った食いしん坊、ってわけではないのか…。
私は一息つくと、取りあえず目の前の弁当やパン、果物や飲み物の中から好みの物を選び始めた。
「やっぱ野菜は毎日取りたいけど…ここで入手するのって難しそうだよな、生ものだし…」
私は、コンビニで売っている野菜サラダのパックを手に持ちながら言った。
「…ねぇ、生の肉とか魚って、この世界ではどうなってるの?」
『人間世界の物でしたら…宝樹で大体の物はそろうかとぉ…』
「生肉とか魚も?…だって腐っちゃうでしょ、それ」
『いぃえ~…宝樹になっている限り、そのものが腐るという事は、無いでございますよ。それに――…この明かりや、ワタクシめらにはまだ理解の及ばぬ機械なども、活用しようと思えば出来るでしょうし…』
「…ッ!そっか――…」
なぜか電気がこの世界でも通用することにハタと気付き、ボッダン達がいまだにむさぼり続けているその場所を振り返った。
(…どうしよっか。こんなことして何のメリットも無いけど―…)
私はいったん手に取ったサラダを棚に戻すと、ボッダン達がいるほうに近づいた。
(…やっぱり、ここってキッチンだよな―――…)
天井を見れば電灯が灯っている。キッチンを取り囲む機材は完全にステンレスの業務用の物で、3人が集まって場所もステンレス製のキッチンカウンターだった。
『――ー薫、一体何をするつもりだ?』
足元の影からヴァルの警戒する声が響いた。
「ん…まぁ、あんま戦いとは関係ないんだけど―――…あのっ」
私が思い切って声を掛けると、食事中だった茶豚のボッダンが口の周りにご飯粒を付けながら、凶悪な表情で振り向いた。
『何だ?何か作って欲しいのか?』
「ううん、そうじゃなくて―――…あの、もしよかったらこの部屋、見て回っても良い?ここにある機材、もしかしたらどうやって使うのか私何となく分かるかも」
ボッダンと他の二人は顔を見合わせ、次いで自分達を取り巻く銀色の機材を見回した。
『…ああ、まぁここが料理作る場所だっつーのは、分かってんだが…確かに、今だに何に使うか分かんねぇもんもあるなぁ』
ボッダンは、たるんだあごに手を当ててうなった。
『人間のもんは人間に聞くのが確かに早いもんなぁ、いいんじゃないか?』
白豚のディンジャがそう言って私を見た。
『手は洗ってくれよ。あまり汚くされたくはねぇからよ』
黒豚のガムドゥもそう同意した。