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第一話


 終わる…―――今日で私の命は、くしゃくしゃに丸まった紙屑の様に、風に飛ばされ消えていく――――…


 渡された屋上へ出る扉の合い鍵は、“あいつ”に指定された場所には戻さず自分のコートのポケットに入れた。

 軋む音を立てる金属の扉を開けると、冷たい風が吹き込んで私の前髪を乱した。目の前に見える空は低く垂れ込めるような曇天で、自分が死ぬ日まで神に見放されているのかと思えて、私は小さく自嘲した。

 古びてひび割れたコンクリートを敷き詰めた屋上へ出ると、地上15階からの景色が視界に飛び込んできた。辺りは皆このビルより低く、高いビルは離れた場所に立っている。

 なるほど、と思った。


 なるほど、自殺するには打って付けの場所だと。


 もう自分の命の大切さとか、親が悲しむとか、あいつらが喜ぶとか――――全ての事がどうでも良かった。

 このところ続いていた、全身に濡れて重くなったコートをずっと着続けているような不快で投げやりな気分と、それから早く脱したいという気持ちは強くなるばかりだった。

 母親はきっと私が死んでも通り一遍の悲しみの後、すぐに日常に戻るであろう私に無関心な人間だし、友達も私を裏切ってあっち側についたし、先生―――…ああいたっけ?って程度の存在だし。

 本当―――自分という人間の価値なんて、大してそこら辺のゴミと変わらないのだと思い知らされ続けた、この一年にも満たない期間が終わるだなんて―――…軽くお祝いでもしてもいいんじゃないか?

 ま、いいか。さて…


 私―――楠森薫くすもりかおるは16年の人生を終えるべく、高さ1メートルほどの錆びた鉄製の柵に手を置いて下をのぞき込んだ。


 …ああ、本当だ。ここなら確実に死ねる。

 下は草一本生えていない裏道のアスファルト――――これじゃあ助かる見込みなんて皆無だろう。

 私は斜め掛けしたナイロン製の濃紺のボディバックから、一冊の分厚いスケッチブックを取り出した。

 深緑色をした30×20センチほどの大きさの、外国ブランドのスケッチブック。表紙に金色の文字が装飾され、中の紙も安い画用紙じゃなく少しクリームがかった上等な紙のそのスケッチを、私はゆっくりと開いた。

 そこには色とりどりの花や鳥、私が唯一の安らぎにした美しい想像の世界が描かれ――…ているわけもなく、ただただペンや色鉛筆で激しく荒いタッチでつづった奇怪な“化け物”が描かれていた。

 私はそれを一枚一枚確かめるようにめくっていった。

 一つ一つに名前を付け、どんな能力を持っているか細かい設定も書き加えられている。

 虫のようなもの、不定形なもの、人型やキメラのようなもの、悪魔、獣、悪霊――――どれも皆一様に禍々しいオーラを放っていた。

 これは、私をいじめた奴らを想像上で殺すために描き続けたもの。その身をかみ砕かれ、血を吸われ、体をバラバラに引きちぎり、とにかくありとあらゆる拷問を加え、長く苦しみながら殺すために何度も何度も憎しみにかられながら描いた――――私の“宝物”だった。

 これは私のせめてもの復讐だ。

 これを持って死ねば私の死体が発見された時、私がどれだけあいつらを憎んでいたかが想像出来る。そして復讐のカギはもう一つあり――――それは私の部屋の机の上に置かれている。

 私が平穏な生活から転落したきっかけとなった出来事から、今日までの克明な日記―――いや、記録だ。全部実名で書いてある。何一つ漏らさず、私の毒に満ち満ちた感情を乗せて。

 私はただでは死なない……だから私の死は、無意味じゃない。

 スケッチブックをバックに戻しその存在をしっかりと確かめると、バックを背中側に回して私は柵を乗り越えてビルの縁に立った。

 曇天の下の灰色に染められた景色はあまりに無表情に広がっていて、世界の日常から自分が完全に切り離されてしまった様な、とてつもない寂しさが不意にこみ上げた。ーーーー…体が手すりから離れようとしない。手がしっかりと冷たい金属の柵を握り、全身が情けないほどブルブルと震えてくる。

 痛いのかな…痛いだろそりゃ、怖い…怖い、怖い怖い怖い怖い――――!!

 金縛りにあってしまったかのように、目を見開いてただ地面を見下ろす私の脳裏に、不意に“あいつ”の顔が浮かび上がった。

 綺麗な顔をして爽やかな笑みを浮かべながら、私にこの屋上への合鍵を渡したあいつを―――…

 

 “楠森さん、死にたいなら○○ビルの屋上に出る、この合鍵を使えばいいよ”

 

 まるで世間話でもするように、あいつは私の命の始末を話した。

 『――…だってもう限界でしょ?松本さん達も良くやるな、よほど暇なんだね』

 私はあいつが話す間、その差し出された鍵を凝視していた。頭が真っ白になるほど―――こんな憎しみがあるなんてこと、生まれてこの方私は知らなかった。

 私は半ば無意識のまま震える手でその鍵をつまんでいた。あいつの目を真正面から、多分初めてまともに見据えると私は言った。

 

 『いいよ…―――あんたを呪いながら、死んでやる』

 

 その時のあいつを…心が露わになった、そのどこまでも透明で―――空虚な瞳を私は見つめた。

 こいつは多分人間の形をした、人間じゃない何かだ。そこには嘲りも、怒りも、喜びすらなかった――――ただどこまでも、どこまでも深い“虚ろ”があるばかりだ。

 あいつは透明な瞳のまま、囁くように言った。

 『楠森さん…僕は君を、可哀想だなんて思わないよ』

 

 パァアンンッッッ!!!

 

 私はその言葉を理解した瞬間、思うより先にあいつをひっぱたいていた。廊下に響く頬を打つ音に、他の生徒が何事かと振り返る。

 『あんたっ……化け物だ』

 私の声は怒りと怯えに震えていた。

 『あんたは…――幸せも不幸も、理解出来ないんだろ。…人を“異物”としか思ってないんだから…!!』

 あいつは変わらない瞳に、少しだけ愉快そうな感情を浮かべた。体中に虫が這いずったような嫌悪感を覚えながら私は後ずさると、鍵を握りしめて奴から逃げ出した。

 (そうだ…あいつを殺すか、それが出来ないなら……死ぬしかない。)

 私には、あいつを殺そうという気になんてなれない。あいつを殺して、私が犯罪者として生きていくなんて―――…考えただけで吐き気がする!!


 “お前―――逃げろよ”


 あの時、“月島”はそう言った。

 …でも逃げて、あいつらがケラケラ笑いながら普通の生活を過ごしていくなんて絶対に許せない。あいつ等の人生に傷を付けてやる――――あいつ等が人生の節目で、常に自分は一人の人間を殺したと思い浮かべ、私のせいで自分の人生がダメになったと感じるように。

 私は眼下の冷たいアスファルトをのぞき込んで、誰も下を通行していないことを確かめた。

 息が荒い―――体は、私の37兆個の細胞は“死にたくない”と絶叫してるんだろうか。まるで磁石に引っ張られるように、体が落下することを拒否している。

 「もう…終わりなんだよ…――――私の…この、クソみたいな人生は…」


 私は掴んでいた手すりを離し、体を空中へ投げ出した。


 アスファルトが近づいてくる―――冷たい風が体をなぶり、重力を感じた。意識が最後まで残っていることを煩わしく感じ、やけにそれが長く感じられた――――その時。


 ――――ーーッ…ドック…ンンッッッ!!!


 「…えっ…?」

 私が見つめていた地面が、波打った。


 ―――ー…ッド…ックゥウ゛ッッッン゛ン゛ン゛!!!


 地面が高く盛り上がり、それが水の波紋の様に彼方へ広がりながら消えた。

 「――ーッ!!!」


 落下した私は地面に衝突し、そのまま海中に没するかのように体が“地中へ”沈み込んで行った。


 「な゛…っ!!?何で――…っ!!?」

 私の混乱した意識は置き去りのまま、体は止まらずどんどん沈んでいく。

 体を何かに引っ掛けようとめちゃくちゃにもがくけれど、両手足は何にも引っ掛からない。周りは“真っ黒な水”に満たされいるような感触がし、なのにちゃんと息は出来ている。

 体がかなりのスピードで落下しているのを感じ、このままどこかへ叩き付けられ結局自分は死ぬんじゃないのかと唐突に思い当たった。

 (――ーじゃあ別に…このままでもいいか)

 何だか変な事になってしまったけど、当初の予定と同じなら何も焦らなくていいはず…いや、こんな地中に沈んでしまったら私の死体が見つからなくなるんじゃ…っ!?そうしたら私は行方不明者にされて、自殺だと判定されなくなって…っ!!

 私は何とか浮上しようと必死に両手で黒い水を掻いた。

 「…ぐ…っ!!」

 しかし強い力に引っ張られた私の体は、1ミリも地上へ向かわない。

 (ーー…ダメだっ!!)

 私は虚しいだけの努力を止め、遠くなる地上を絶望的な気分でただ眺めた。

 (―――…何だよ…私は、自分の復讐さえまともにやらせてもらえないのかよっ…)

 体はまだ先があるのかと心配になってくるほど、いつまでも落下を続けている。私は自分の落下先が気になり、体を下向けにして水平に保ったままの姿勢になって、地面が見えないかと目を凝らした。

 (もしも…永遠にこのままってことは…)

 私が恐怖と共にそう思った時――――遥か下にポツリと光の点が見え、それは落下するにつれ段々と大きくなっていった。

 私はその光を見て、もうすぐ自分の終わりが近いことを知った。きっとどこかの空間にでも出て、私の体は地面にでも叩きつけられるんだろう。

 「―――…ふ、ふはっ…はは…っ」

 私の口から力の抜けた笑いがこぼれた。

 

 ――――まるで道化だ。


 勢い込んで自殺して…自分の死は意味があるだなんて―――…

 「…ねぇよ、そんなもの、最初っから――…」

 そんな私の虚脱をよそに、光はさらに大きくなり――――不意に私の全身をその薄い緑の光で包み込んだ。

 

 その瞬間、体が膜を突き破ったような感触がして私の体は確かにどこかの空間に出た――――そのはずだった。

 

 先ほどまでの高速落下が嘘みたいに、私の体はゆっくりとしたスピードで落ちながら、漂っていた。

 その時空間の下に広がるものを見つけ、私は思わず呟いた。

 「な…何、あれ――…」

 

 私の視界いっぱいに広がるもの――――それはとてつもなく巨大な化け物の“胎児”だった。

 

 空間は薄い緑の光で満たされ、よく見るとそれは細かな葉脈のような血管で覆われていた。

 その中心で体を丸めて浮かんでいるものを――――私は生まれてこの方、一度も見たことなどなかった。

 かろうじて人型だと判別可能な灰色の皮膚に覆われた体格、大きな頭は黒い血管が浮き出て、皮膚と同じ色の角が何本も生えかけている。

 閉じた目は全部で6つ――――三角形とそれを下に反転させた2つの三角の、それぞれ6つの角の頂点に目があった。腕も2本ではなくその途中から枝分かれしながら手が生え、その何本もの手に生えた指も数えられないほど生えている。背中には良く分からない突起が何個も生え、胎児の体を包み込むように展開されていた。

 (何なのこれ…こんなのが――――地球の地下にいるの…!?)

 私の体は、その化け物の眼前に向かってゆっくりと落下していった。自分が自殺しようとしていたことも忘れ、私はこの化け物が今目の前で目覚めないことをただひたすらに願った。

 こんな化け物に食われて終わるだなんて、いくらなんでもあんまりだ。

 

 しかし私がちょうど6つ目の目の前に来た時――――そのうちの“一つ目”がうっすらと開き始めた。

 

 「―――ッ!!!」

 私はその大きさが、優に100メートル以上はあるんじゃないかという巨大な目に見つめられていた。

 その一つの目の中に眼球が少なくとも“4つ”はある、虎に良く似た瞳孔を持つ金色の瞳は、4つの眼球をそれぞれに動かしながら私を注視しようとしていた。

 「ッ!!―――…」

 私は言葉も忘れて、飲み込まれるような化け物の視線をただ受け止めた。息が乱れ、虫けらの如くちっぽけな自分の存在を思い知らされながらあまりの恐怖で体に力が入らないまま、私はただガタガタと震えているしかなかった。

 下から水中を何かが動く鈍い音が聞こえ振り返ると、化け物の幾つもの“手”が私に向かって伸びてきていた。

 「―――ッ!!ちょっ…」

 私は落下して来た上方へ向け、それこそ必死になって迫りつつある手から逃れようとした。しかしさっきと同じように、私の体はどんなに必死で掻いても決して上方へは浮かばず無情にゆっくりと落下し続けた。

 下を見れば、巨大な指が私目指してすぐ近くまで肉迫している。

 「ッ!!…や゛っ…――」

 巨大な灰色の指が、私の傍らを通過して行く。1本、2本――…それらの指が上空を覆うと影を作り、私は化け物の手の中へと自ら包み込まれていった。

 まるでイソギンチャクのような無数の灰緑色の“指”が、ウネウネとくねりながら私を捕獲せんと迫って来た。

 (これが死…っ?私の―――…これが…っ!!?)

 こんな死に方予定してない…こんな――――こんなの酷すぎるっ!!!

 灰緑色の指の一つが私の胸に触れ、それを振り払おうとした右腕にもう一本の指が絡みついた。芯に硬さを感じるヌメヌメとした感触のそれが肌に触れ、私の全身は総毛立った。

 「や゛っ…放せっ!!やだあっっ!!!」

 そう叫んで暴れている間にも、幾つもの指が私の全身を絡め取ろうとする。その中の一本が私の首筋をなぞるように触れ、顔の輪郭をズズズッとゆっくりなぞっっていった。

 私はあまりに気色の悪いその感触に目を固くつむりながら顔を背けた、その時。


 キャははハ…


 私の頭の中に、何人もの赤ん坊が一斉に笑ったような声が響いた。


 アはハ……きゃハはハハはハはあっっっ!!!


 その声はからかっている様な―――嘲笑っている様な―――でも純粋に喜んでいる様な――――とにかく今まで生きてきた中で聞いた事の無い、常軌を逸したとしか思えない声だった。

 私の顔をなぞっていた指が、おこりに罹った様に震える私の唇に当たり――――ヌルリと口の中へ入ろうとした。


 ――ーッブォオ゛ア゛ア゛ッッッ!!!


 「ぅあ゛っっっ!!!」

 その時突然、物凄い力で何かに襟首を掴まれた私はそのまま急激に下方へと引っ張られた。

 

 『ギャアあアアアあァああアア――――――ッッッ!!!』

 

 空間を震わすほどの大絶叫が、次の瞬間私の脳みそをつんざいた。

 「…っ…!!?」

 私は何が何だか分からないまま、自分を抱え込みながら高速で下方へ向かう何かに必死ですがりついた。化け物の叫びが徐々に上空へと小さくなる頃、私はやっと今なお移動し続けている何かを確かめるため、そっと目を開けた。

 

 私の目の前には――――灰濃紫色の“甲冑”があった。

 

 背中に回された大きな腕の感触から、私を抱えているのは人型をした何か―――“何者”かだと理解出来た。

 私はさらに視線を上げ、それがどんな顔をしているのか確かめようと―――してその途端、自分が遠く見える“地上”へ向け、頭から突っ込む形で落下している状態だと気付いた。

 「――ッ!!ちょ、ちょちょちょっ!?落ちっ落ちお――…!」

 

 『自殺しようとしてた奴が、何今更慌ててんだよ』

 

 パニック寸前の頭に届いた至極落ち着いたその声を、私はあの時確かに聞いていた。


 “お前―――逃げろよ”


 ぼさぼさの髪に隠れ、ダサいおやじが掛ける様な太いフレームの黒メガネの奥の眼は見えない。

 私は頭から掛けられた何色もの絵の具で濁った水を落とすため、人気の無い外の水道で頭から水を浴びながら声を押し殺して泣いていた。

 そいつは背が高いため、その髪型とメガネをどうにかすればモテるかもしれないのに、周囲の視線や評価などどうでもいいと言いたげに、いつも泰然と一人で誰ともつるまずに学校生活を送っていた。

 

 私はあり得ない思いで、その時自分に声を掛けた相手の顔を見上げた。

 そこには私の思い描いていた顔は無く、金属で覆われた見慣れない兜しかなかった。けれど私は、多分そうであろう彼の名を呼んだ。

 「―――…月島…月島暁つきしまあきら…?」

 金属のマスクの奥の、深紅の瞳がチラリとこっちを見た。

 『……もうすぐ着くぞ』

 私の問いに答えないまま、そっけなくそいつは言った。その感情をあまり感じさせないぶっきら棒な喋り方を聞いて、私が感じていた疑問は確信へと変わった。

 (やっぱり、こいつ――…)

 私は怖々と顔を上げ、近づいてくる異界の地上を眺めた。

 周囲は段々光度を増し、地上はまるで暮れなずむ街並みのように黒い影となって浮かび上がっている。ただ――――光の種類が地上とは全く違っていた。

 周囲に満ちる光は蛍の光を思わせる黄緑色のもので、街の光もそれで統一されていた。私は落下しながら辺りを見回し、不意にそれに気付いた。

 「―――…何、これ…」

 それはあまりに巨大すぎて――――しばらく眺めてから、初めて正体がわかる代物だった。

 どれほどの太さかすら判らない黒々とした幹には、脈動しながら蛍色の光が血管の様に張り巡らされている。所々に伸びた枝の先には、これも蛍に似た光を放つガラス質の葉が生い茂っていた。


 それは巨大な――――とてつもなく巨大な“大樹”だった。


 私はあまりに非現実的なものを見せつけられ、しばらく言葉を失った。そして呆けた様にまた地上へと目を転じた途端、ギョッとなって叫んだ。

 「ビッ、ビルうっ!?何ここ、異世界じゃないのっ!?」


 眼下に広がる眺望は、大樹を中心に広がる“大都会”そのものだった。


 私は半ばパニックに陥りながら、ただ口をあんぐりと開けた間抜けな表情で近付いて来る蛍色の光に包まれた高層ビル群を眺めた。

 よく見てみると、それは現実の風景とは違っていた。

 ビルは至る所で折れたり傾いていて、しかも何より違うのは蛍色の光が電灯によるものではなく――――ビルの間に縦横無尽に張り巡らされた“木の根”から漏れたものだということだった。

 私は傍らを振り向き、今なおその全容が確かめられない大樹を見た。

 「――――…この樹の根っこ…?」

 『この木は“胎蔵界大樹(ガルバヤーツ・マハ―リュージュ)”―――…神を育む樹だ』

 月島の発した言葉に私は振り返り、未だに見慣れる事の無いその姿に戸惑いながら疑問を挟んだ。

 「神って…――ーあの、化け物のこと?…あれが神…?」

 『ああ。あれが覚醒することによって―――…俺達の“次の世界”が決まる』

 「――…は…?――…何、言ってんの、…何それ」

 月島の言った言葉が上手く消化出来ずに混乱する私をよそに、月島はまるで日常会話をしているような気負いの無さで話を続けた。

 『俺達の世界は、そうやって500年に一度更新されながら、続いてきたんだ』

 「ごっ…だって、そんな話今まで聞いた事ないよっ!?今、西暦2028年だよね、ってことは…その間に4回こんなことがあったってこと!?でも――…」

 『この“胎蔵界ガルバヤーツ”で起こった事は、人類の記憶に残らない。…残るのは――――次の世界を定義した“選定者ブハヴァ・アグラ”ぐらいだ』

 「ぶ、ぶはぶぁ・あぐ…?じゃあ、何で月島は知ってるの」

 『…俺の先祖が、かつての選定者だったからだ』

 「――――…」

 “何言ってんのこいつ?”

 それが私がいの一番に頭に思い浮かべた感想だった。

 何がガルバヤーツ…選定者とか、神とか―――…あんたラノベでも読みすぎたんじゃないの。俺様最強チート☆世界を定義する!!ってか?

 頭が今直面してる現実に追い付いていかない。大体今まさに自殺しようとしてた人間に、世界が更新とか、異世界とか―――…私は不意に月島が神だと言った、胎児の化け物に捕らわれそうになった記憶を恐怖と共にまざまざと思い出した。


 「――…っふざっっけんなぁ゛あ゛あ゛っっっ!!!」


 私は気付くと叫んでいた。

 「何なんだよっ!!あっさり死なせろよっっ!!!世界なんかどうでもいいっ私は…っ!私…は―――…っ」

 熱い涙が頬を伝うのを感じて、自分が泣いていることに気が付いた。

 「…これで…ーーやっと終わるかと思ったのに…」

 一気に全身の力が抜け、ぐったりと私はうなだれた。そんな私を月島は慰めることもせず、ただ無言のまま地上へ向かい降下し続けた。

 ビル群が近づいて来るーーーー。

 (あぁ…ーーまた“現実”だ。また誰かに踏みにじられて、誰かに嘲笑われる…あの地獄が始まるんだ――…)

 私は沈んだ気持ちで地上を見つめていた、その時。


 ッヴォオ―――…ン゛ン゛ン゛ッッッ!!!


 「――ッ!!何っ…視界がっっ!?」

 異音が鼓膜を揺らしたのを感じたと同時に、空気ごと見えていた世界がぐにゃりと“歪み”始めた。

 『―――…最後の調整が始まった。俺達は飛ばされる、しっかり掴まってろ』


 ヴォワォヲアァ――…ッォオオオオオ゛オ゛オ゛ッッッ!!!


 世界が徐々に激しさを増しながら振動を強めていく。頭が脳みそごとシェイクされているようなめまいが襲い、目を開けることすら出来ないまま、私はただ必死に月島の体にしがみついた。

 「う゛ぅ~…っ!!」

 その振動が頂点に達した瞬間、私達の体は強烈な力によって右方向へ引っ張られた。


 ッッウォワワァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛…ン゛ン゛ン゛ッッッ!!!


 「…ッ!!?わぁああああ――――ーっっっ!!!」

 まるで排水溝に吸い込まれる水の如く、私と月島は一緒くたになってどことも知れない場所へ引きずり込まれていった。全身が激流に弄ばれる木の葉のようにもみくちゃになり、それが長い間なのか短い間なのか判別出来ないまま、私はとにかく必死にそれに耐えた。

 月島の体から私の指が徐々に抜けかけ、それに危機感を覚えた瞬間――――体から強烈だった引力が突然消えた。

 「――ーッ!?…はぁっはっ、は…っ―…」

 恐る恐る目を開けた、その視界に入った光景に私は目を見張った。

 「――――…ここ…どこ…?」


 先程まで、確かに傍らにあったはずの大樹はどこにも見当たらなくなっていた。

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