第一二話 卒業〜別れ〜
三月の気候は乙女心みたいに難しいみたい。
三月に入った時は、めちゃくちゃ暖かくて例年よりも桜の開花が早く予想されるだろうってニュースでも言ってたのに、一週間も経つと冬に逆戻りしたかのように寒くなる。
この前まで暖かったからなめくさってちょっぴり薄着で学校に来た愚か者。それが俺です。
今日は曇ってるから更に寒さが増してくっそさみぃ。
それにしたって、今日はせっかくの卒業式だってのに、どんより曇り空。
せっかくなら晴れた空の下で先輩達を送り出してやりたかったよなぁ、なんて在学生がほざきます。
そんなことを思いながら、ぶぁっくしょん! と豪快なくしゃみをしながら、「うぅ、さみぃ」なんて体をさすりながら暖房の効いた教室にとっとと入り、いつもの席に着席する。
「ていっ」
「っうぉ」
首元になにかが当たる。それが温かいものだとわかり、心地良くなったところでそれが離れてしまう。
「ちょっとは温まった?」
夏枝が小さいペットボトルの紅茶を持ち、覗き込むように聞いてきた。
どうやら、先程まで俺の首元にあったのは温かいペットボトルだったみたい。
「まだ足りんな。貸して」
ベッと舌を出されてしまい、ペットボトルの蓋を開けて中身を飲み始める。
答えはノーってことですかい。この小悪魔様は相変わらず行動が小悪魔的なこって。
「ん?」
飲み物を飲んだ途中で夏枝が俺の顔をジッと見つめてくる。
「なんか四ツ木顔赤くない?」
「そりゃ夏枝みたいな美人に見つめられたら顔も赤くならぁ」
「それはそうなんだろうけどさ」
そこは普通に認めるのね。
とかなんとか思っていると夏枝の手が俺の額に手を置いた。
ひんやりとして気持ちが良い。
「うーん。ちょっと熱い? いや、普通か。うーむ」
「ちょっ。それ、恋人がやるやつでは?」
「大袈裟じゃない? でもまぁ、確かにこんな姿を加古川先輩に見られたら怒られちゃうな」
夏枝が慌てて手を引っ込める。
「加古川先輩といえば、京大学受かったんだってね」
「ああ」
卒業式の前日。
昨日は未来の希望校の合格発表の日であった。彼女が受けたのは日本屈指の大学。日本の賢いが集まる大学に見事合格なさったもんだからね、いやはや、もう頭が上がらないのなんのって。
「凄いよね。現役で京大学合格なんて。憧れちゃうな」
「夏枝も受ける?」
「綺麗さだけの試験なら余裕だけど、学力が必要なんかじゃ受かるわけねー」
相変わらず、ぐぅ正論なナルシスト発言をしながら、あっけらかんに笑う。
「ささ。そんな偉大なる彼女の卒業式へと向かいますか」
「ああ。そうだな」
♢
卒業式の在学生がやることなんてほとんどない。ただ体育館に並べられたパイプ椅子に座って卒業生達を黙って見送る。それだけの簡単なお仕事のはずなんだけどね。
ごほごほとちょっと咳き込んでしまう。俺は黙って見送ることもできないダメな後輩ですよ。
「世津くん、大丈夫?」
隣に腰掛ける美月が心配そうな表情で尋ねてきてくれる。
「でぇじょ、はっぶっしっ!」
ずぅ、ずぅと鼻をすすると、美月がポケットからポケットから駅前等で配られているだろうポケットティッシュを渡してくれる。
「ありがと」
遠慮なく、ずぃぃっと鼻をかむと美月が手を出してくるので、鼻をかんだティッシュを反射的に渡しそうになって思い止まる。
「いやいや。こんな汚物を美月に渡せるか」
「そ? あたしは別に気にならないけど」
なんて本気で言っているのか、冗談なのかはわからないが、美月が俺の顔をジッと見つめてくる。
「風邪?」
「さぁ。熱はないっぽいけどな」
「全く。今日は寒いのに、そんな薄着してるからだよ」
「返す言葉もありません」
「熱がないなら大丈夫かもだけど、今日は温かくして寝ること。わかった?」
「はい」
そこまでしんどくはないが、幼馴染の言葉に素直に頷くしかなかった。
明日からはちゃんと天気予報を見よう。
『加古川未来』
体育館に響き渡る校長の声。
壇上には未来が卒業証書を受け取る姿が確認できる。
「あ、ほら。加古川先輩だよ。世津くんが付き合えたのが奇跡な恋人なんだからしっかりお祝いしなくちゃ」
「すっげー棘のある言い方」
だけど、美月の言う通りだ。
恋人の門出。ずぅずぅ鼻をすすってる場合じゃねぇや。
未来が卒業証書を受け取ってくるりと振り返った時、在校生からの拍手が送られる。
その中でも俺は一際大きく拍手を彼女へ送った。
こちらの拍手が伝わったのか、なんだか目が合った気がして、彼女はいつもの笑顔をこちらに向けてくれた気がした。
♢
『屋上集合』
スマホに送られたメッセージを見て、俺は今から卒業参りでもされるのではなかろうかという不安に一瞬なるが、送り主は加古川未来。俺の恋人なため、その可能性は皆無だろう。
学校の中庭には卒業生と在校生の笑い声と泣き声が入り混じっている。
夏枝が部活の先輩に挨拶に行くってことでみんなで中庭に訪れた次第だ。
だが、俺は俺で未来に呼び出されたので、この場から抜けようとした時に、くらっとしちまった。
「おっと」
聖羅が小さな体で俺を受け止め、支えてくれる。
「四ツ木くん。大丈夫?」
「ごめん、聖羅。怪我はない?」
「にゃはは。軽くぶつかっただけだから怪我なんてしないよ。てか、顔真っ赤だね。本当に大丈夫?」
「元アイドルに支えてもらったら赤くもなるか」
「よぉし。そんな軽口叩けるなら大丈夫だな。ほら立て」
「なんか急に冷たい」
「ぼくは元じゃなくて、活動休止中なだけだぁ」
いつもの返しをいただいて、お互いに笑い合うと俺は手をあげる。
「わりぃ聖羅。未来に呼び出されたから行ってくるわ」
「なるほど。顔真っ赤にしてる理由は彼女に会いに行くからか。このラブラブ野郎め」
「悪口だっさ」
「確かに。今のは咄嗟の悪口にしてもクオリティが低かったね。罰として、みんなには上手いこと言っておくから加古川先輩の所行っておいで」
「サンキュ、聖羅」
互い手を振り合って俺は中庭より屋上を目指した。
♢
立ち入り禁止の養生がしてあるコーンとバーを簡単に跨いで階段を上がって行く。
掃除が行き届いていない階段を、埃を撒き散らして上がって行くと施錠された扉がでてきた。ドアノブを握って右斜上に持ち上げて押すと、簡単にドアが開く。
「うおっ」
校内は負圧のため、一気に風が入ってくる。軽くセットした髪が乱れてしまった。
「未来」
屋上のフェンスに手をかけて外の様子を伺う未来へ声をかける。遮るもののない屋上には強い風が吹いており、彼女のショートボブが靡いている。
「世津」
こちらに気が付いた彼女が手を振ってくれるので駆け足で近寄る。
はぁ、はぁとなんだかやたらに息が切れちまう。
「走って来たの?」
「いや、はぁ、なんか、やたらと……息が切れる」
「……? 世津、めっちゃ顔赤い」
「みんなにも言われたな」
「もしかして……」
未来が俺の頬を持つと、そのままおでこを合わせてくる。
キスできる距離。彼女の吐息が当たり、やたらめったらドキドキしちまう。
「世津。熱あるじゃん」
「こんなに綺麗な恋人の顔が近くにあれば熱も上がるっての」
「そんな軽口言えるなら大丈夫だろうけど。ごめんね、早く帰ろう」
「良いのか? 写真とか、第二ボタンとかの伝統的な儀式は」
「そんなことより世津の体調の方が優先。ほら、帰ろ」
少し強めに言って先を歩く彼女。だけど、高校の卒業式は今日しかなくて。だからこそ、これだけは言いたかった。
「未来」
名前呼ぶとくるりと振り返ってくる。まだショートボブの髪が揺れてる早いタイミングで見切り発車てきに言っちまう。
「卒業、おめでとう」
この特別な言葉をきみに伝えたかった。
今日は未来が未来へ羽ばたく特別な日だもんな。
「ありがと」
こちらの言葉を受け取ってくれたのに安心して、一歩彼女へ近づこうとする。
ふらっとしてしまい、体重をフェンスに預けることにした。
ガシャン!
「え……!」
なにが起こったのか全くわからなかった。
体がジェットコースターみたいな重力を感じた時に理解した時には遅かった。
どうやらフェンスが外れて俺は屋上から落ちているらしい。
おいおい。屋上のフェンスが外れるなんてあんのかよ。
いや、だからこそ屋上は立ち入り禁止なんだな。本当に危ないから。
まさに今、落下しそうな時、もう助からないと思うと世界がゆっくり進んで感じる。
未来がスローモーションで駆け寄ってこちらに手を伸ばすが、届く距離ではない。
繋がることのない手と手。無情にも俺はそのまま屋上から地上へと落ちていく。
「世津……! いやああああああ!」
最後に聞くのが恋人の悲鳴だなんて俺はなんて最低な男なんだろうな。
体に強い衝撃を受けると、俺の意識はぷつんと途切れてしまった。




