第一〇話 井の中蛙大海を知らなくても最強説
「未来お姉ちゃんと」
「世津きゅんの」
「「三時間クッキング!!」」
よいしょー! なんて掛け声と共に、パチパチと互いに手を叩く音がキッチンに響き渡る。
まるでどっかの料理番組を意識したオープニング。お互い、バンダナにエプロン姿だし、ちゃっかりスマホで撮影もしているし、割とガチで料理番組っぽい。
「……って、三時間は時間かけ過ぎでは?」
「三分だったら思いっきりパクリでしょ。著作権的なやつに触れるだろうからね。それと三時間ってのは語呂が良いだけ。実際はそんなにかかんないよ」
「さいですか」
未来が提案したのは、「一緒にお昼ご飯でも作ろう」というものだった。
起きた時間帯が朝でも昼でもない中途半端な時間だし、料理が終わるころには早めの昼食って感じ。今日は手をこんだブランチと洒落込もうというところに落ち着いた。
「それで未来」
「もぅ。カメラ回ってるんだから、未来お姉ちゃんで統一してよね」
「こだわるねぇ。それでは未来お姉ちゃん。本日の料理の紹介をお願いします」
「うむ。よろしい」
未来は満足げに頷いくと、本日のブランチの発表へと移る。
「本日の料理は、『世津きゅん悶絶。未来お姉ちゃん特性の萌え萌えふわとろオムライス』です」
「……」
「材料はこちら」
絶句するしかない料理名に、こちらの反応を無視して材料紹介を始めやがった。
「鶏肉に卵。たまねぎにマッシュルーム。あとは昨日の残りのご飯というシンプルなオムライスです。あ、もちろんケチャップとかも使うよ」
「シンプルな材料ですが、シンプルだからこそ美味しいですよね」
「シンプルイズザベスト。では早速、助手の世津きゅん。材料を切っていきましょう。まずはたまねぎからで」
「おっけー」
キッチンに並べられた材料。鶏肉やら卵やらの中から、たまねぎをまな板に置いて包丁で切っていく。オムライスなのでみじん切りにしていくと、未来お姉ちゃんがムスッとしていた。
「なにか間違いでも?」
「なんか世津って、意外と料理できてムカつく」
「おい、きゅんを付けろ。カメラ回ってるだろうが」
「ここは、『未来お姉ちゃん。俺、料理できないよ』、『仕方ないなぁ。貸して、お姉ちゃんがやってあげるから』、『未来お姉ちゃん、なんでもできてすげー。結婚して』の流れでしょ」
「いつも手料理を振舞ってもらってありがとうございますだけど、その流れでのプロポーズはいかがなものでしょう?」
「とにかく、世津がみじん切りできるとか納得できないって言ってんの」
「そんなこと言われてもな」
元々、料理はできる方だ。ただやるのが面倒なだけで飯を作れと言われればできる。
最近は料理動画なんて大量に出回っているんだから、それを見ながらならなんとかできる。
なにごともやる気次第だよな。割とまじで。
「みじん切り、ぐすっ、ぐらいは、ぐすっ、できりゅ……」
たまねぎを切るとまじで涙出てくるよな。あんなん漫画の中の世界だけだろうとか思ってた。本気で目に染みて涙が出るんだから人体ってほんと摩訶不思議だわ。
こちらが号泣しているのを見るや否や、ニタァっと笑って俺の頭をバスケットボールみたく、ポムポムしてきやがる。
「あれあれー? 世津きゅん。未来お姉ちゃんと一緒に料理できて感動してるのかな?」
「やかましっ。みじん切り中に頭なでなでしてくんな」
「あ、そんなこと言う子にはもう二度となでなでしてあげないよー?」
「未来お姉ちゃんの頭なでなでが大好きです、このやろー。もっとなでなでしてください」
「うむ。素直でよろしい」
あー。完全に俺、尻に敷かれてるわ。
♢
その後は料理上手の未来がテキパキと動き出した。フライパンを動かす手首のスナップや、食材を入れるタイミングがプロ級だとわかる。俺は最初の下ごしらえだけして、あとは未来お姉ちゃんに全任せ。
やっぱポジションってあんじゃん。誰がどのポジションに着くのかを見極めるのも才能よ。この場合だと未来がメインで俺がサブって一目瞭然だよね。
「はい。『世津きゅんは未来お姉ちゃんが大好きオムライス』の完成」
「料理名が変わっている件」
「世津。社会に出ると臨機応変って大事だよ」
「社会にも出たことない小娘がブラック企業が放ちそうな言葉を添えてくるなよ」
なにはともあれ、出来上がったオムライスを居間に運ぶ。畳の部屋に香る洋風の香りがなんともミスマッチ。でも、食欲をそそる香りである。
「なんだかんだ十一時前にできちゃったな」
居間の壁に掛けてある時計の針の単身はまだ十一の手前にいるのが伺えた。
「ブランチにベストな時間になったね。早速食べよう」
いつもの座椅子に腰掛けると、相変わらずキコッっと錆びついた古臭い音が鳴った。
未来もいつも座る座椅子に腰掛けると思いきや、俺の真隣に正座する。
一体、何をするかと思えばいつの間にか持っていたケチャップを、『世津きゅん悶絶。未来お姉ちゃん特性の萌え萌えふわとろオムライス』だったか、『世津きゅんは未来お姉ちゃんが大好きオムライス』なんて名前がコロコロと変わるオムライスへとぶっかける。
「ええっと、こう!」
ぶちゅ、ぶちゅちゅとなんとも卑猥な音を出して、芸術家のようにオムライスへなにか絵を描いているご様子。ふんふんふん、なんて鼻歌混じりでご機嫌なこって。
「できた」
「……なに、これ」
オムライスには、丸だか三角だかよくわからない模様が描かれていた。
「見てわかるでしょ。ハートに決まってる」
「はぁ?」
「はぁ? じゃなく、ハアト」
これをハートと呼ぶなら、大概のものがハートになるのだが。
「未来お姉ちゃんが世津きゅんの思いに応えてあげた愛の形なのだよ」
「なんとも歪んだ愛の形なこって」
こちらの皮肉に対して、ムスッとしてしまう未来は、唇を尖らして拗ねてしまう。
「どうせ絵が苦手ですよーだ」
「人間、誰しも苦手分野はあるよな。うんうん」
「ふん。そんなこと言う世津には、あーんしてあげないもん」
「あーん、だと?」
魔性の言葉を聞いて心境が変わる。
あーんは全世界共通の男子の夢の中の夢。初体験を恋人の未来にやってもらうなら、この歪なハートも輝かしく見えてくる。
「わーい。未来お姉ちゃんのあーんだー。うれぴー」
「現金なやっちゃ」
呆れながらも、クスクスと笑う未来はスプーンでオムライスをすくい、ふーふーと冷ましてくれた後、こちらの口元へ運んでくれる。
「はい。あーん」
「……にへ」
あかん。初体験を前に顔が歪んで力が出ないよ。
「世津……。今のはキモいよ」
「こんなことされてニヤつかない男子がいたら教えて欲しい」
「この前、近所のカフェで見かけたカップルは平然としてたよ?」
「灯台下暗し。井の中の蛙大海を知らずだと思って大海に出たら、地元が最強だった説」
「訳わからないこと言ってないで、ほらほら、あーん」
こちらの嬉し恥ずかしの誤魔化しに気が付いていた未来が強行突破をするみたく、こちらにスプーンを突っ込んでくる。
「あ、あーん……」
親鳥からエサをもらう雛鳥みたいに、口を大きく開けると、そこにオムライスが与えられる。
舌で感じるふわとろの玉子と、チキンライスの味にバターの風味。それらの味が全くしない。
「え、えと……。未来。あの、まじに嬉し恥ずかしい感じが勝って味がしないのですが。ずっと砂糖の味なのですが……」
「ええと……。うん。実際やってみると、かなり恥ずかしいね。あはは……」
どうやら未来も実際に体験して、この行為が非常に恥ずかしいことが判明したらしい。
ふたりっきりの空間でこんなに恥ずかしいのに、周りから丸見えでやってた近所のカフェのカップルまじで最強説。
「攻守交代!」
「ええ!?」
未来が顔を赤くして宣言すると、四つん這いになって顔を突き出してくる。
「はい! あーん!」
「あーんするの?」
「な、なにごとも経験だからね!」
「今し方恥ずかしいという答えが出たのでは?」
「逆だとわかんないでしょ!?」
「確かに!!」
やってみなきゃわかんねぇという意見には賛成だ。ただ、答えはわかりきってやがるがな。
ええい、ままよ!
恥ずかしさで心臓がバクバクのまま、スプーンを握り、未来がさっきやったみたく、彼女の口元へとオムライスを運ぶ。
「あーん……」
「あ、あーにゅ」
未来が若干噛んでいたところを見ると、どうやら向こうさんの方が恥じらいが強いらしい。そりゃ四つん這いであーんしてもらってるんだから当然かも。あ、いや、うん、でも……。
「やっぱり、恥ずかしいね」
「だな」
どちらにせよ、恥ずかしいことには変わりなかった。




