第二話 あの日、未来は抱きついて来たのは夢?
出汁の効いた匂いで目が覚める。カツオ出汁の効いた味噌汁の匂いだ。
狭い団地の一室。六畳の部屋が三つとダイニングキッチンの三DKの間取り。
古臭い団地にはドアなんて洒落たものはなくて、仕切りといえば全部ふすまだ。そんなんだからふすまの隙間からキッチンの匂いが俺の部屋まで溢れて来やがる。
「……ばあちゃんの葬式の時の夢を見ちまったか」
去年の春に亡くなった祖母の夢。まだ起きたてなので夢の記憶は多少残っている。その少ない記憶を頼りに思い返すと、先程の夢はどこか違和感があった。
おかしいな。あの日、縁側で黄昏てる時に未来が俺に近づいて泣きながら抱き着いてくれたと思ったのだけど。さっき見た夢は全くそんなことなかったな。
うーむ……。どっちが現実だっけ。
よし、ここはこのモヤモヤを解消するためにもう一度夢の世界に旅立とう。
思い立ったら止まらない。
布団という夢のチケットを持ち、いざ行かん。ユートピア。
「させるか」
寝転んだところで、ガバッと布団を剥がされてしまう。
「なんで一度起きたのにまた寝ようとしてるの?」
俺の違和感への探求を阻止したのはいとこの加古川未来だった。
ショートボブの髪型により、その綺麗な顔が主張されている彼女は随分と呆れた顔をしていた。
制服姿は相変わらずハイブランドでも着てるかのような着こなし。
その上からネコちゃんのエプロンなんかしてるってのにハイブランドに見えるのは、こいつは物をハイブランドにする能力者かなにかですかね。
海外出張に行ってしまった両親の代わりに朝起こしてくれたり、ご飯を作ってくれたり、本当に未来には世話になっている。
「未来。あのさ、まだまだ寒い日が続く二月中旬。この寒い時期の二度寝の快楽を知らないからそんなことを言えるんだ。さぁ共に布団の中にダイブしよう。カモン! ジョイナス!」
布団へ未来を招き入れようとしたけど、彼女はジト目で返してくるだけだった。
「そんな交渉したって無駄だから」
一蹴されちまった。
「朝ごはんもうすぐできるから早くね。また同じことをしたらだめだよ」
言い残して未来はキッチンの方へと戻って行った。
もし、ここでもう一度寝ようものなら、翔子さん譲りのえげつない雷が落ちるだろう。
「ふぃ、すぅー」
気合いを入れて布団から脱出する。
バイバイ布団。また今夜会おうね。
約束をしたら、「寒っ、寒っ」と文句を言いながら寝間着代わりのジャージを脱ぎ捨て、学校指定のブレザーへとマッハで着替えた。
部屋の中でキンキンに冷えやがった制服め、俺の体温を奪いやがって。てめぇが俺を温めやがれ。
とかどうしようもない文句を垂れながらも、良い匂いに誘われるようにダイニングキッチンへと向かう。
「おふぁよぉ。未来ぃ」
布団からの脱出に成功した俺だが、まだちょっと覚醒はしきっていないため、眠そうな声で朝ごはんを作ってくれているいとこ様へと朝の挨拶を果たす。
「おはよ。もう朝ごはん並べてあるから」
ダイニングキッチンのお隣の六畳しかない居間。中央のコタツの上に料理が並べてあるのを確認し先に座らせてもらう。
コタツに入ると、彼女が既にスイッチを入れて温めてくれていたみたいだ。
中はぬくぬくであたたかーいであった。
足に感じる温もりと、コタツ毛布の気持ちの良い感触を感じながら、座椅子に背を預ける。キコっと古い座椅子からガタが来ているような音が鳴るのを気にせずに、時報代わりにテレビを点ける。
「うー。寒っ、寒っ」
未来が対面の座椅子に座る。
「えいっ」
ピトッと未来の冷えた足が俺の足に当たる。
「ひゅー! めっ!」
「ぷくく。なにその反応」
クスクスと笑いながら、「えい、えい」と冷えた足の攻撃をしてくる。
「おい、やめんか」
「目が覚めたでしょ? ひゅーめくん」
「誰だよひゅーめくん」
俺のリアクションがあだ名になってんじゃねぇか。
「ま、目は覚めたな」
「感謝しなさい」
なんで誇らしげにえっへんとしてんだが。
「朝ごはんを作ってくれたことに関しては大感謝です」
そう言いながらいつも作ってくれている朝食に目を向ける。
白米にシャケと味噌汁にコールスロー。朝飯としては王道的だが、この王道的なメニューを作るのがどれくらい面倒か理解しているつもりだ。
「いただきます」
感謝を込めていただきますをすると、向かいに座った未来が、「召し上がれ」と返事をくれる。
「あ、そうだ未来」
まだ夢の違和感のシコリが残っていたため、テレビから聞こえてくる情報番組をBGMに彼女へ問いかける。
「今日ばあちゃんの葬式の時の夢を見たんだよ」
「世津。いくらいつも一緒にいる親戚でね、会話に新鮮味がないと言っても、夢の話としりとりは会話の墓場だよ」
「そんなことないだろうが」
「別れる前のカップルって、夢の話としりとりしかしないみたい」
「うそやん」
「まじ」
「ソースは?」
「加古川未来」
「信用性は皆無だな」
「なにをぉ? 晩御飯は野菜乱舞にしてやるぞ」
「未来の話はいつもためになるねぇ」
「息をするような掌返しに未来お姉ちゃんもびっくりだよ」
あ、うん。じゃなくてさ。
「夢の話でごめんだけど。未来、ばあちゃんの葬式の日って俺に泣きつかなかったっけ?」
「はい?」
その反応でわかる。これ違うやつだ。でも、諦めずに彼女へ食いかかる。
「いや、縁側でさ、俺が黄昏てる時に未来が急に近寄って来て俺に抱き着いたと思うんだけど……」
「あのね世津」
やれやれとまるで幼い子供でも相手にしているかのように悟った口調で返されてしまう。
「いくら世津が未来お姉ちゃん大好きでもね、夢と現実をごっちゃにしちゃだめだぞ」
「いや、夢の方は抱き着いて来てないから」
「じゃ、そっちが現実だ。世津が私に抱き着いてくることはあっても、この未来お姉ちゃんが世津に抱き着くなんてするはずもなし」
言い切られてしまう。
「そうだったかなぁ……」
「ほらほら、世津が未来お姉ちゃん大好きなのはわかったから、さっさとご飯食べなよ」
未来は恥じらう様子も見せない。それはつまり俺に抱き着いていないわけだ。
あっれー? 縁側で泣きながら抱き着かれたのは俺の妄想だったのか。んじゃ、今日見た夢の内容の方が現実だったってわけか?
うーむ……。
ま、所詮は夢だし、夢なんて曖昧なもんだろうから深く考えなくても良いか。




