第70話 彼女がアイドルを志す理由
聖羅に付き合ってやってきたのはプロ野球の試合が行われる大阪のドーム球場。
今は冬なのでシーズンOFFなため、プロ野球選手を見ることはできないだろう。
この球場は野球の試合だけではなく、アイドルのコンサート会場になったり、スノーボードのバーゲンが行われたり、多目的で使用される。
ドーム前には中途半端な時間と相まって人の数はまばらだ。
「……」
ドームをジッと眺める聖羅はなにを思うのだろうか。
「ここでね」
思いをはせていた聖羅が口火を切る。依然として視線はドームを向いたままだ。
「昔、おばあちゃんにアイドルのコンサートに連れて来てもらったの」
そこでくるりとこちらを向いて話しを続ける。
「そのアイドルはね。ソロで活動してて、歌もダンスも超かわいくて、めっちゃ輝いていて。観客のみんなが彼女に夢中になってた。観客を、ううん。人類を虜にするような歌とダンスにぼくも夢中になってた」
聖羅は思い出すようにくすりと笑う。
「おばあちゃんったら可笑しいんだ。『春山明日香は私の友達』とか言っちゃってさ。どんだけ年が離れた友達だ、って思ったね」
でも、なんてポツリと寂しそうに零す。
「それって憧れが強かったのかなって思うんだ。おばあちゃん、『春山明日香は昔から私の憧れの人』って言ってた。いやいや、昔からってどういう意味だよって思うんだけどね」
だけど……。
「おばあちゃんが本当はアイドルになりたかったんじゃないかって思ってさ。だからね、ぼくはおばあちゃんに言ったんだ。『私が春山明日香を超えるアイドルになるね』って」
人差し指を立てて、「まずは形から」と先生みたいに俺へと過去を教えてくれる。
「春山明日香の一人称は『僕』だから、真似して『ぼく』にしてみたり。髪型も長い髪だったから伸ばしてみたり。鹿児島出身だから鹿児島弁を勉強してみたり。鹿児島弁はちょっと無理だったけど」
にゃははと恥ずかしそうに笑ってみせる。
「でもだめ。全然近づけなかった」
けどね。
「おばあちゃんは凄く喜んでくれた。ぼくを応援してくれた。親の反対もおばあちゃんだけは後押ししてくれた」
それから、と髪を結ってあるヘアゴムを取り外すと、バサッと髪が下りて、冬の風に靡いた。
「このヘアゴムをくれたんだ」
シンプルなヘアゴムを大事そうに握りしめる。
「おばあちゃんが最後にくれたヘアゴム。どこにでもある安物だけど、これがおばあちゃんの形見だから。『きっと聖羅に似合うから』ってくれたヘアゴム」
涙目で語りながらヘアゴムを天に捧げるように上げた。
「だからね。ぼくは誓ったんだ。春山明日香を超えるアイドルになるって。死んだおばちゃんが憧れていたアイドルを超えるって。天国で見ててねって誓ったんだ」
少し零れてしまった涙を拭いてから改めて俺へと言って来る。
「だからぼくはアイドルをやめたくない。春山明日香を超えるアイドルになって天国のおばあちゃんへぼくの輝きを届けるまでは、こんないじめなんかに負けられないんだ」
信念のこもった瞳と言葉。
ウソ偽りのない本気の宣言。
彼女の言葉は強かった。
強い意志を感じる瞳を見て、弱さを感じた。
いつか彼女自身から聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。
『アイドルの子でもいるんだけどさ。みんなの期待に応えようと必死になる子の目っていうのかな』
『みんなの期待に、応える?』
『ああいう目をしてる子は大抵自爆しちゃうんだよ』
『自爆……』
いつ、どこで、どんな場面でした会話かは覚えていないが、俺の脳の引き出しから出てくる聖羅自身の言葉。
「聖羅の意思は伝わってきた。でも、でもさ──」
「四ツ木くん」
こちらの言葉を優しく遮って、慣れた手つきで髪を結う。あっという間にいつもの髪型に戻ると、無理に作ったアイドルスマイルを投げてくる。
「明後日のライブ見ててね。最高のライブにしてみせるから」
「聖羅。ちょっと──」
「よぉし! 気合い入ったー!」
わざとらしく大きな声で腕を振り上げてから、こちらに背を向ける。
「ぼく、これから個人練するね。ライブ、期待して待ってて!」
そう言い残して脱兎のように駆け出した。
「あ! 聖羅!」
気が付けば聖羅は遠くの方へ走ってしまっていた。足の速いアイドルだ。
聖羅は多分、俺が否定することをわかっていたんだろう。
それが嫌で、聞きたくなくて逃げてしまった。
「はぁ……俺のバカが……。もっとうまいことやれよ……」
彼女を引き止めるにはどうしたら良かったのか。どうするのが正解だったのか。
このまま明後日を迎えて良いものだろうか。
もやもやとしながら、冬の寂しい風を感じて俺も帰路へとついた。




