第55話 おわりの場所。はじまりの場所
源氏庭の名称が付いた蘆山寺の庭園に足を運んだ。
庭園の紅葉は燃え盛るみたく真っ赤に染まっている。
紅葉を眺める趣味がない俺だが、足を止めて見入ってしまうほどに最高の色づきをしている。視線を下に向けると綺麗に磨かれた床に紅葉が映り込んでいた。
紅葉と床を写真に収めれば写し紅葉の写真が撮れそうだ。
四流カメラマンの俺でも映える写真が撮れるだろう。
古典の先生に聞いた通りの風景だな。
「……」
「……」
お互いに無言で庭園を眺める。
平日の中途半端な時間帯だから俺達以外に拝観者はいないみたい。
源氏の庭には俺と美月だけしかいなかった。
なんだか時間がやけにゆっくりに感じてしまう。
以前までの俺達なら、こんなゆっくりと流れる時間も楽しめたのだろう。
だが、今の俺達にはこのゆっくりと流れる時間はちょっと残酷だ。いくらいつも通りを演じている美月も、どこか察してしまっている様子で無言を貫いている。
こんなんじゃだめだ。強引に連れて来たのは俺なのだから、こちらからなにか話題を提供しなければならんだろ。
「ここで紫式部が源氏物語を書いたって思うと、なんだか感慨深いよな」
ジャブ程度の話題提供に対して、美月は庭園の風景を眺めながら質問を投げてくる。
「どうして世津くんは、あたしをここに連れて来たかったの?」
秋のそよ風が吹く。庭園から中に入って来る風は、俺と美月の髪を撫でるように吹いた。
彼女が長い髪を耳にかける。
庭園の風景にマッチした大和撫子の横顔は、こちらの返答を察しているように思える。
言葉として欲しいと言わんとする雰囲気だった。
「小説を書くのが好きな美月にピッタリだと思ってさ」
「言ったでしょ」
こちらの言葉はやんわりと否定されちまう。
彼女が長い髪をふわりと靡かせて、視線を庭園からこちらに向ける。
「あたしが小説を書いているのは、世津くんとやりたいことを書いてるだけの妄想だよ。別に小説を書くのが好きなわけじゃない」
少しだけ泣きそうに、でも、なんとか堪えながらも言葉を続けてくれる。
「覚えてる? 小学生の頃、クラスの子に漫画をけなされて泣きそうになってるところに世津くんが来てくれて、『面白いよ』って言ってくれたこと」
「覚えているよ」
それは俺と美月だけの秘密。俺達だけの秘密の始まり。だから忘れるはずもない。
「あの日からね、あたし、おかしく、なっちゃって。ずっと、あなたのことばっかり、考えちゃって。思いが溢れ出てね……」
徐々に歯切りが悪くなっていき、彼女の瞳にはうっすらと涙が滲み出て来た。
「溢れ出る気持ちを出すには漫画は時間がかかるから文字に起こしてみたんだ。そしたらもう止まらなくなって……。あの日からずっとあなたを思って書き続けてるの」
我慢していた涙が溢れ出し、涙を零しながらこちらに訴えかけてくる。
「好きなの。あの日からずっと、世津くんのことが、好きなの」
涙を拭っても止まらずに、でも、懸命に涙を拭きながら彼女は伝えてくれる。
「だからね、あたしは小説を書くのが好きじゃなくて、ただ、世津くんが好きなだけの妄想──」
「それはウソだ」
彼女へこちらの意見を押し付けると、涙を流しながら固まってしまった。
「どうして……どうしてそんなこと言うの?」
まさかそんな言い方をされるとは思っていなかったと言わんばかりに首を横に振る。
「漫画だって、小説だって、世津くんとやりたいことを書いたあたしの妄想。別に好きじゃない。あたしが書いていたのは世津くんとの夢物語。ウソなんかじゃない。あたしの世津くんへの思いはウソなんかじゃないのに……!」
「最初はそうだったのかもしれない!」
悲観的になっている彼女へ強く声をかける。
「きっかけは俺のことが好きで書いた小説なのかもしれない。でも、今は書くのが好きになってるはずだ」
「そんなことない! あんな思いしてまで小説なんか書きたくない!!」
「何年一緒にいると思ってるんだよ。美月が小説を書いている時の楽しそうな顔。真剣な顔。悩んでいる時の顔。その全てが輝いていたぞ。間近で見ていた俺が言うんだ。間違いない」
「で、でも、あたしは……」
「そりゃ、誹謗中傷は辛いよな。聞きたくもないし、見たくもない。なんでそんなことされなきゃならないってなる。なんで自分だけって気持ちになる」
自分の胸に手を置いてちょっぴり泣きそうになって彼女へ訴える。
「俺だってそうだ。なんにもしてないのに嫌われ者で陰口叩かれて。でもな、俺には居場所がある。仲間がいる。美月がいる」
だから美月。
「そんなわけもわからない、感情もこもってない誹謗中傷に耳を傾けるくらいなら、俺の言葉だけ聞いとけよ! 今まで積み上げてきたもんをそんなくだらないやつらに壊されるくらいなら、俺のぬるい評価だけ聞いとけ! 大好きなことできなくて辛い思いしてるくらいなら、今まで通り俺にだけ小説を見せろ」
強引に彼女の肩を掴んでまっすぐに見つめる。
涙で濡れた綺麗な瞳が宝石みたいに輝いている。
「美月の小説は本当に面白いんだ。ファン一号が言うんだから間違いない」
ストレートで単純な、なんの捻りもない感想。だけど美月には響いてくれたみたい。
そのまま泣き崩れそうになる彼女を倒れないようにそっと包み込む。
「誹謗中傷してくる奴なんか気にして夢を諦めるなよ。ここから、また夢に向かって踏み出そう」
「世津、くん……」
美月はそこから幼子のように泣きじゃくった。俺の胸の中で、震えながら泣きじゃくった。
俺にできるのは、彼女が泣き止むまで、優しく、優しく抱きしめるだけだ。
♢
数分程度泣いていた彼女が、そっと離れてしまう。
名残惜しいが抵抗せずに彼女を解放してやると、腫れた目でこちらを見つめてくる。
「ありがとうね、世津くん」
「なにもしてあげれてないけど」
「ううん。沢山の勇気をくれたし、優しく抱きしめてくれた。それだけで暗くなったあたしの心は明るくなる。世津くんはあたしに取っての光。美しく輝く月みたいな存在」
大袈裟なことを言ってのけると、ちょっとはにかんでから言葉を迷い、それでも決意してこちらに伝えてくる。
「あたし小説家になりたい」
演じていない真っすぐな言葉。夢を語る言葉。
「美月なら凄い小説家になれそうだな」
即答してやると嬉しそうにはにかんで、目を細めてこちらを見つめてくる。
「世津くん。ここから夢に向かって踏み出そうって言葉。凄く素敵で、この場所で世津くんが言ってくれたこと、一生忘れない言葉だよ」
胸に刻むように、胸に手を置いた。
「その一生忘れない言葉に、ちょっぴり付け加えたい言葉があるんだ。聞いてくれる?」
「ん?」
「世津くんが好きです」
勢い任せではなく、美月らしく落ち着いて、自分の意思ではっきりとした告白の言葉。
「この場所で夢と共に、あたしの恋人として踏み出してくれませんか?」
笑っちゃうくらいにいつも通りの美月。それは演じているのではなく素の美月。
彼女の表情と声色は日常的な会話の一部を切り抜いたかのような自然な告白。
自分の思いは決まっている。中途半端な気持ちでここに来たわけじゃない。
「俺も美月と幼馴染じゃなくて恋人として踏み出したい」
「世、津くん……」
また美月が泣いてしまった。
しかしその涙は先程みたいなものではない。
笑い泣きだ。
「えと、えと、どうしよ。あはは。嬉しいのに涙が止まんないや」
なんとか涙を拭って、でも、やっぱり涙は止まらない。
だから、もう一度彼女を抱きしめた。
「世津くん。あたし、凄い作家になる」
「うん」
「それでね。世津くんの行動が正解ってこと証明してみせるよ。世津くんの声だけを聞いて凄い作家になったって証明してみせる」
「恋人として、応援するから」
「恋人……。えへへ……」
俺の胸の中で微笑み彼女の瞳に吸い込まれるように。
幼馴染のおわりの場所。
恋人のはじまりの場所で、口付けをかわした。




