第九十四話 番屋休題
剛霊武が姿を消してからの数日の間、大坂の町は不気味なほど静かだった。
月番が西町へと変り、東町奉行所の面々は面だっての探索こそ免れてはいるものの、あれだけのことが起きた直後だけに何もせずと言う訳にはいかなかった。
身を隠していた場所から番所へ戻ったおりょうは子分達に過剰に心配された挙げ句、定吉からは説教までされるありさまではあったが、皆の無事を喜び合うことは出来た。
そして今は表だって動けない与力達に代っておりょう達目明しが走り回ってる。
「あの化け物なかなか姿現せへんな。あんなにごついのに何処いったんやろ?」
「ホンマですなあ。川に沈んでどっかに流れてくれてたらええんやけど。」
おりょと定吉が取留めの無い話をしていると
「お嬢今戻りました。遅くなって済みません。」
鬼徹が久し振りに姿を現したて大きな体を小さくして頭を下げたのだ。
「鬼徹心配してたんやで?で、あいつはどうなったん?」
おりょうが捲し立てるように問いかけると
「私の家に運んで手当てをしています。」
体にに合わぬ小さな声で答えた。
「斬り合ってたけど、ほんまは仲良かったんやろ?」
「はい。剣術の同門でした。子供の頃からずっと・・・。」
そこから鬼徹はボソボソと今迄のことを話し始めた。
元々刀鍛冶として幼いことより修行していたのだが、よりよい剣を打つために剣術を始めたこと。
思った以上に剣才があり、当時から腕に覚えのあった鬼道丸と腕を磨き合っていたことや、
成人してから刀鍛冶に専念するために剣術から身を引いて鬼道丸を嘆かせたことなど。
おりょうにとっては知らぬ事ばかりではあったが、おりょうの父源蔵は全てを知った上で側に置いていたようだった。
「奴の前でも申しましたが、剣術はあくまでも刀を打つために稽古をしておりました。」
「そうやったんやね。けど、あの鬼、鬼道丸?やったか、えらい鬼徹の剣の腕前を買ってたみたいやけど、そっちには進む気は無かったん?」
「性には合いませんので・・・。」
鬼徹はそう消え入りそうな返事を返すと、また黙々と作業に励み始めた。
鬼徹はこういう時ポツリと鬼の生活の話をする時がある。
大抵は鍛冶をしている時の話で、剣に関する話は全くと言って良いほど話すことは無かったのだ。
それだけに友絡みとはいえ、おりょうに剣についての話をするのは意外な事だった。
考えてみればおりょうは、鬼としての鬼徹のことはあまり知らずにいた。
彼が鬼であることは承知しているし、父である源蔵とは懇意であり、父親は鬼徹の素性も良く知っていたであろう事も。
だが、おりょうは何も知らない。
鬼徹が語ろうとはしないことが一番の理由ではあるが、おりょうとしては父ほどの信頼を得られていないようにも感じてしまう。
ただ最初の頃はそうではあったが、鬼徹と時を過ごしていくうちに無口な彼が語らないのは信頼が無いからでは無く、鬼であることをひけらかしておりょうに迷惑をかけないようという心遣いだと言うこともだんだんと判ってきたのだ。
鬼徹にしてみればおりょうは恩人の娘以外の何物でも無く、源蔵への恩義も既に返しており、これ以上関わる義理も無かったはずだった。
にも拘わらず鬼徹は常におりょうを守ってくれる。
「感謝しかあらへんな。もちろん鬼徹を引き合わせくれた親父にも。」
鬼徹にとっては先代への恩顧に報いようという行動ではあるのだろうが、鬼徹自身が自身の事を喜んで語る質でも無いだけに、少し落ち着いたらゆっくり聞いてみたいと思うおりょうだった。
黙々と来るべき時への備えにいそしんでいた番屋は、静かな高揚感に包まれていた。
どれほどの時が経った頃だろうか、沈黙を破るかのように伝七が飛び込んできたのだ。
「お、親分大変や!!あの化け物が現われたで!」




