第八十六話 お志乃の昔語りその弐
曾祖父の死でお志乃の生活は文字通り一変してしまったのだ。
忠房の四十九日も終わらぬ間にお志乃は母屋から追い出されて、物置小屋へと追いやられた。
その上、下女扱いされて何かと仕事を押しつけられてはいたが、彼女の母は娘がその様な扱いを受けていることに抗議の声を上げることも無く、唯々諾々と従っていた。
娘を守るより己の安寧を優先したのだ。
夫が罪人となり、もう依るべきものも居ない女人の身としては仕方かも知れないが、人の母としてはあまりにも酷薄だった。
お志乃を下女扱いすることに憤慨し、異議を唱えたのは女中達だった。
殊に女中頭のお末は
「奥様!お嬢様にこのような扱いをして、御前様に顔向けが出来るのですか?」
家中を取り仕切る女中頭にこう言われては流石に不味いと思ったのか、女中扱いこそ止めなかったものの、それ以上のことはやってこなかった。
厄介なのは祖母よりも従姉妹の方だった。
お志乃の母親には妹がいて、婿を取って家を継いでいたのだが、本来はお志乃の母親が婿を取るところを、曾祖父である忠房がお志乃の父を気に入って無理矢理嫁がせてしまったのだ。
祖母は抗議をしたものの、その頃は前途洋々で大名にすらなるであろうと言うほどの人物だったので、そこまで強く反対はしなかった。
そこで元々あった縁談を、妹の方へと話を持っていったのだ。
その後お志乃より、半年ばかり早く従姉妹であるお笹が生まれたのだが、お笹が三つの頃に流行病で母親は亡くなり、婿に入っていた父親も離縁する形で家に戻り、そのまま彼の実家の本家に養子へ入った。
一気に父母を失ったお笹は祖母に引き取られて育てられたのだが、甘やかされて育てられせいか我が儘で、しかも事あるごとにお志乃に突っかかっていた。
容姿に優れ人柄も良く、教養もあるお志乃に一方的に対抗心を燃やして張り合ってくるのだが、当のお志乃には相手にすらされなかった。
それがまた悔しかったのだろう、お志乃が江戸にいる間、事あるごとに意地悪をしては曾祖父に叱り飛ばされていたのだ。
お笹は使用人に対しても横柄で、自分が婿を取ってこの家の主人になるのだとばかりに偉そうにしていたから、使用人全員からも嫌われていた。
お志乃がこちらに戻ってきてからは「罪人の娘」と蔑んではいたのだが、相変わらず曾祖父の目の前では流石に何も出来ずにいたのだ。
ところが曾祖父が亡くなったのである。
お笹はこれを奇貨とばかりにお志乃へのいじめをやり始めたのだ。
祖母同様流石にお末の前ではやらなかったが、お末の目が届かないところで散々いびってきた。
しかしながら芯の強いお志乃はそんないびりに屈する事無く、毅然とした態度でいたからお笹は余計に腹立たしかった。
そして、何度苛めてもスンとした表情で冷たい目を向けるお志乃の態度が、自分を見下しているとさえ思えはじめた。
お笹には早々に婿養子ととの話があり、始めは遠縁にあたる分家に声を掛けた。
その分家には男子が三人おり、長男と次男は共に優秀で見栄えも良かった事もあり、長男か次男のどちらかをお笹への婿養子にと望んだ。
ところが分家の方は長男は家を継ぐし、次男も既に養子の先が決まっているので応じられない。むしろ三男はどうだろうと逆に勧めてきたのだ。
実のところお笹は容姿が不器量な方という事もあるが、それ以上に性悪で酷薄だと親類中に知れ渡っていたので、兄弟二人の意向を聞くまでも無く、願い下げではあった。
反面、三男は手に余っていたし、これ幸いに厄介払いしてしまおうと考えたらしい。
三男は上二人の兄に比べるまでも無いボンクラで、末っ子で甘やかされていたせいか利かん坊のヤンチャな、両親が育て方を後悔するぐらいの問題児で聞こえていたのだ。
祖母もさすがにぎょっとはしたが、お笹よりも歳が三つも下ということもあり、また、その時は存命だった曾祖父の忠房が反対したので、その時は話が無くなった。
その後もあちこちにお笹への婿養子を打診したのだが、体よく断られる始末で、あるところでは
「どうせならあのお志乃さんを、こちらの身内の嫁に貰いたいものだ、罪人の娘と言うがあれだけの器量良しは勿体ない。何処かに一旦養女に出してから嫁がせれば問題ないだろう?」
などと言われる始末で、そのことを偶然耳にして大いに矜持を傷つけられたお笹は、更にお志乃への憎悪をかき立てられたのだった。




