第八十五話 お志乃の昔語りその壱
お志乃が大坂を後にしたのは父が切腹した直後であった。
夜逃げ同然で大坂を旅立ったため親しい人への挨拶なども出来ず、お志乃にとっては親友に別れすら告げられなかったことが何より辛かったという。
お志乃とその母親は、取りあえず大坂を出たものの、罪人となった父の実家を頼ることは出来ず、仕方なく母親の実家を頼ることになったが、罪人の家族ということでかなり冷たい目で迎えられたのだ。
母の母、つまりはお志乃の祖母は何処か冷たい人で、何よりも体裁を気にしており、罪人の嫁だった娘に対しても当初は立ち去らせようとすらしたのだ。
因みにその夫は婿養子で妻に頭が上がらず、嫁の意向だからとばかりに孫娘への優しさはおろか実の娘にすら助け船を出そうともせず、無関心を装っていた。
その様な中で、二人を助けてくれたのが母の祖父、お志乃からすれば曾祖父が積極的に救いの手を差し伸べたのだ。
曾祖父は大久保忠房と言う名の元旗本で、かつては槍術師範として幕府に仕えていた。
隠居の身ではあったが、古武士の風のあるかくしゃくとした老人で、幕閣の中には弟子だった者も多く、今も彼のことを慕うものが多い人物だった。
「母の実家を頼った時、祖母も親戚達もあからさまに邪険にしてきたけど、大御祖父様だけは私達を温かく迎えてくれたの。それだけじゃ無く、陰日向と守って下さって感謝しか無かった。」
お志乃は懐かしそうに遠くを眺めながらそう語った。
忠房は、お志乃の父親が罪を犯したと言われていた当初から無実を信じていて
「武四郎(お志乃の父)が悪事に手を染めることなぞなかろう。誰かに嵌められたに相違ない。」
とあちこちに語りながら、幕閣に連なる自身の教え子達へしきりに書状を送り、お志乃の父の名誉回復と真相解明を訴えかけていたのだ。
「大御祖父様のおかげで私達は肩身の狭い思い一つせず、心の傷を癒やせたの。それに父の無実を訴える書状の方も少しずつ効果が現れていたようで、お忍びで大御祖父様の元へやって来る幕閣の方も少なくなくて、ほんの少しだけど希望も見えて、また大坂に戻る日も近いかも知れない、おりょうちゃんにもまた会えるに違いない.そう信じていたの。」
非公式ながら幕閣の間にこの問題が取り沙汰されるようになり、改めての詮議の準備と抜け荷に加担した上に、禁教令も破って伴天連達を見逃したと告発してきた西町奉行の内藤肥前守に対する疑惑も浮上していた。あまりにも都合の良い告発が多すぎるのだ。
その中で特に問題視されていたのは、探索の課程で耳に入ってきた肥前守の御用商人である平戸屋が密貿易を行っているという疑惑である。
当然、肥前守が無関係とは考えられない。
幕閣の水面下の動きは肥前守の耳にも届いたようで、相当焦っていた。
その証拠に彼は、幕閣に連なる大名のみならず、親類縁者に至るまで賄賂を贈って何とか自分への疑いを躱そうとしていたが、中枢の人間ほど忠房の教え子と言うこともあり、とりつく島も無い有様であった。
金品による懐柔策が不発に終わったと知ると、今度は後ろ暗い方法を採り始めたのだ。
それは邪魔者を、脅したり消したりするという方法だった。
特に再詮議の為に動き始めた目明しや同心達を、片っ端から闇討ちにし始めたのだ。
この時、探索の急先鋒であり、真相に近づいていたおりょうの父源蔵が犠牲になったのだった。
他にも殺されないまでも危ない目に遭ったものも増え始めて、積極的に協力する者が減ってしまった。
こちらの方はそれなりに効果があったようで、再詮議に向けての証拠集めにも影響が出始めていた。
その様子に忠房は気が気では無く、急ぎ再詮議をと求め続けていたが、結局詮議が再開されることは無かった。
忠房が倒れ、そのまま亡くなったのだ。
お志乃は目の前が真っ暗になったという。
公私ともに希望の光が消えたのだから。




