第八話 御隠居
烏小僧が現れてから数日、町中ではその話で持ちきりだった。
当然のように刷り物は飛ぶように売れていたが、その姿を正確に表していたものは皆無で、酷いのになると江戸で売られた過去の刷り物を地名だけ変えて売り出すような者すらいた始末だった。
おりょうもその中の一人から刷り物を買い求め、興味なさそうに一瞥した。
「テキトーな事書いてんなぁ。まあ、暗闇の中陰が動いてるだけやったしな。」
しゃーないな。とつぶやいておりょうはその場を立ち去ろうとした。
「あら、おりょうちゃん!こないなとこで会うなんて。」
おりょうに声をかける老婆がいた。老婆と言っても肌つやはかなりよく、ふっくらとした様子は肝っ玉と言う言葉がぴったりだった。
「おたえさんなんでこんなとこに?」
「それはこっちの台詞やで。」おたえと呼ばれた恰幅の良い老婆は元気に答えた。
「え、でもこんなとこ刷り物買いにこうへんかったら用ないやん。」
「あ、そういえばそうね。」おたえは大声で笑ってみせる。なかなか豪快な性分らしい。
「実はな、御前が昨晩の事件のこと書いた刷り物をこうて来いっていうてな、よっぽど気になってはんねんな。まあ昨日ははよ寝てしまいはったし、直に見られへんのが悔しゅうてかご機嫌斜めなんや。」
「あーそうなんや。まあ御隠居らしいな。」
「そや、最近おりょうちゃん全然こうへんから、そっちでも機嫌悪いねん、最近ご無沙汰やしうちを助ける思ってちょっと寄ったって。」
そう言うやいなや無理矢理おりょうの袖を引っ張っていった。
「おたえさん、ちょ、ちょっまって!痛いって。」
おたえに無理矢理連れてこられた場所は、町家と言うにはやや広い感じで門構えもあり、清潔感のある家屋だった。門の潜り戸を開けながらおたえが
「御前!おりょうちゃんをお連れしましたよ!!」近所中に響き渡りそうな大声で呼びかけた。
「おたえ、声がでかい。迷惑では無いか・・・お、おお。」
御前と呼ばれた初老の男性はおりょうを認めるなり満面の笑顔となり
「おりょうでは無いか。あまりにもご無沙汰だったから顔を忘れそうになったぞ!」
笑いながら御前がおりょうの手を握った。
「御隠居かんにん。なかなか忙しゅうて顔だせんかったんよ。ほんま申し訳ない。」
おりょうは少し照れた様子で深々と頭を下げた。
「よいよい、それよりも来なんだ間にな、掘り出し物を沢山仕入れたのじゃ。是非目にかけたい。」
御前は興奮気味におりょうに捲し立てた。
「御前こんなところで立ち話なんかせんと、はよ中に通してあげな。」
おたえの言葉にはっとした御前は
「おお済まない。見せたい本が山のようにあるのでな、さ、早う中に。」
「はっはい。」
おりょうは足早に奥に入っていく御前の後を追った。
「やれやれ、お茶とお菓子でも用意しますか。」
二人の姿をおたえは、あきれたような表情で見送っていた。
縁側に陣取った二人は御前が広げた本を眺めつつ、茶菓子を肴に本談義に勤しんでいた。
「これはなかなかのものであろう。」
「御隠居これすごいわ。どうしはったん?」
「実を言うとな、蒹葭堂殿より譲っていただいたのだ。」満面の笑みで御前が答えた。
「蒹葭堂先生さすがやな。ええ本知ってはる。まあ、それなりに値段の張る本を欲しいだけで手に入れる御隠居の懐も大概やけど。」おりょうはあきれ気味だった。
「そのおかげでおりょうも眼福に預かれるのだから悪くは無かろう。」
「まあ確かに。」
「また、写しを作ってやるから楽しみにしておるが良い。」
「ホンマですか!おおきに。だから御隠居好きやねん。」
おりょうの喜ぶ姿を見て、御前も満足そうだった。
そこへお多恵が刷り物の束を抱えてやってきた。
「えらい盛り上がってるとこ悪いけど、御前、これどうしはるつもりですか?」
みれば先程買いに行かせた、烏小僧にまつわる刷り物の数々だった。
「あっ済まないねおたえ、こっちにおくれ。」
「うわー御隠居、また仰山集めましたね。」
おりょうは半ばあきれながら刷り物の山を眺めた。
「買い集めたのは私ですけどね。お茶のおかわりをご用意しますね。」
おたえはすました顔をして奥へ下がっていった。
御前は頭をかきながらおたえを見送り、その姿を見ていたおりょうは思わず吹き出していた。