第六十一話 意気上がらず
西町の月番に入った当初、「再び烏小僧が暴れ回るのでは?」と思われていて市中では『今宵烏小僧が現れるか否か』が賭けの対象にすらなってはいたが、三日過ぎ、五日過ぎても烏小僧が現れなかったので、烏小僧がどうしたのかが話題の中心となっていった。
おかげで西町奉行所の月番ではあったが、夜も静かで岡っ引き達が拍子抜けするほどだった。
おりょうは月番で無かった事も手伝ってか若宮八幡から戻ってからというもの、腑抜けのようになって数日を過ごしていて、その様子を見た定吉達もいつにないおりょうの姿に心配していた。
「姉御、若宮八幡から戻ってからこっち、なんや元気ありませんけど何かあったんですか?」
定吉が心配そうに訪ねると
「え、何も無いよ。ちょい疲れがでてるだけや。大丈夫やで。」
おりょうは素っ気なく答えてはいるが、明らかに気力を欠いていた。
「ほんまどうしたんでっか?何か若宮八幡行きはってからおかしいでっせ?」
「気のせいやって、そんな細かい事気にしてたらハゲるで。」
「ハゲませんって、ホンマに・・・。」
定吉はおりょうに言い返しつつ鬼徹の方へ近づくと
「鬼徹はどう思う?」
「うん、そうだな。お嬢の様子は明らかにおかしい。」
鬼徹も定吉の意見に賛成した。おりょうはあの日から明らかにおかしい。と言うか覇気を感じないのだ。あのやる気の塊、元気なおりょうがこれほど大人しいのは周りからすれば調子が狂うのだろう。
結局この日もおりょうは外回りすらせず、終日番屋に留まっていたかと思うと刻限が来たらさっさと自宅へ引き上げてしまったのだった。
そんな日々を送っていたおりょうの元へ不意に予期せぬ客が現れた。
「ごめんくださいませ。おりょう様はご在宅ですか?」
丁寧な口調で現れたのはお壱だった。
「あ、お壱さんどないしたんですか?」
おりょうは訝しげに出迎えたが、お壱の方と言えばいつも通りの落ち着いた様子で無駄口とも思えるような事は一切口にはせず、相変わらずな簡潔明瞭さで
「御前からの文をお預かりしたのでお持ちしました。」
「御隠居から・・・ですか?」
おりょうの言葉にお壱は静かに頷いて書状を差し出した。おりょうは受け取って裏を返すとそこには御前の名を示すひと文字が小さく書かれていた。
「何やろう?後で読ませて貰うわ。ところでお壱さん一人だけで来るって珍しいな。お高さんはどないしたん?」
「女将は今は急ぎの用で江戸へ戻られています。」
「そうなんや。本屋の女将も急がしいんやね。」
おりょうは感心した様子だった。そんなおりょうの表情を見て取ったお壱は続けて
「最もこちらに気になる事が多いらしく、用件を済ませればサッサと戻るっておっしゃっているので、飛んで帰ってこられるでしょうが。」
「慌ただしいこっちゃな、身体壊さんかったらええけど。」
「あの方は頗る丈夫ですから心配にも及びません。が、おりょうさんが気に掛けていた事はお伝えしておきますね。きっと泣いて喜びますよ。」
そう言ってお壱がいたずらっぽく微笑むとおりょうは慌てて
「やっぱり今のは無し。そんな事伝えてもろたらどんな目に遭わされるか。」
心底迷惑そうな顔でお壱に訴えた。
「畏まりました。女将には今の話は内緒にいたします。」
「おおきに。お高さんの事嫌いや無いねんけど、ちょっと苦手やねん。」
「存じております。では、私はこれで。」
笑みを浮かべたままお壱はそう挨拶をして立ち去って行った。
「お壱さん相変わらずのよう分らん人やな・・・。」
お壱を見送ったおりょうは早速御前からの手紙を開き、食い入るようにして手紙を目で追い始めた。
手紙には五年前の件で新たに明らかになった事として細々した事が書かれていて、おりょうにとっては寝耳に水のような内容が書き連ねられていたのだった。
先日烏小僧から話を持ちかけられて件といい、おりょうが知らぬところで事態が動いているようだった。
おりょうは烏小僧との一件は一旦心にしまい、目の前に現れた機会を活かすことにしたのだ。
「これは・・・お高さんが江戸から戻ったら一緒に御隠居のとこ行かなあかんな。」
そう呟くおりょうの目にはいつもの光が戻っていた。




