第五十一話 寂寥
定吉と鬼徹が昔語りに花を咲かせていた頃、おりょうとお志乃もまた甘み屋で昔語りに花を咲かせていた。
そんな中、会えなかった五年間の話に及んだ。
「おりょうちゃんは目明しの修行をしていたのね?」
「そうやねん。親父の親友やった伝蔵親分に仕込んでもらったんや。」
おりょうはそう言いながら腰に差した十手を手に
「おかげでこの恩賜の十手に相応しい目明しに近づけたと思うんやてる。」
「おりょうちゃんすごいよね。今や大坂の町に知らない人はいないくらいだものね。自慢の親友だよ。」
「自慢やなんて照れるやん。」そう言っておりょうは頭を掻いた。
「そう言うお志乃ちゃんはどうやったん?すごい苦労したんとちゃう?」
「うん・・・。」お志乃は少し言い淀んで
「・・・そう・・・だね。うん。」
おりょうはお志乃のその姿を見てそれ以上は何も聞けなかった。
心配そうなおりょうの顔を見てお志乃は少し大げさに
「今は幸せだよ。いい人に恵まれてるし、何よりおりょうちゃんが居てくれるし!」
そう言って卓越しにおりょうを抱きしめた。
「わ、お志乃ちゃん・・・。」
(お志乃ちゃん相変わらず良い匂い。この香りは・・・。)
それは沈香に幾つかの香料を調合した少し甘めの香りだった。おりょうはこの手のことには疎いのだが、年頃に近かった当時からお志乃の香りとして認識していた。
「お志乃ちゃん相変わらず良い匂いやね。」
「うん?ああこれね一番のお気に入りなんだ。向こうに居た時は使えなかったけど・・・。」
「そうなんや・・・。」
少し湿っぽい空気になったがそれを打ち消すように
「もう昔の話だよ.昔の。」そう言ってお志乃は笑顔を向けた。
おりょうはお志乃の笑顔に微かながら陰りを感じずには居られなかった。お志乃の五年間は陰惨の極みであろう事は、彼女が漏らす言葉からも窺い知ることは決して難しくはない。しかしその部分について詳しくは決してお志乃の口から語られることは無いだろう。相手が親友のおりょうであったとしても。
おりょうは心の底を決して見せようとしないお志乃に一抹の寂しさと、そこの見えない心の闇を感じずにはいられなかった。
「お志乃ちゃん、何か困った事あったら、遠慮せず言うてな。隠し事してたら許さへんで!」
「うん、おりょうちゃんありがとう。」
二人はしばらく四方山話を続けた後、日が暮れかかる頃にそれぞれの家路についた。
「じゃあおりょうちゃんまたね。」
お志乃はいつものような笑顔を向けたが、おりょうには違和感めいた何か陰りのようなものを感じた。
「うん、お志乃ちゃんまた今度な。」
そしておりょうは、去り際にお志乃が一瞬見せた寂しそうな表情がいつまでも心から離れなかった。
「お志乃ちゃん・・・。」
沈香の残り香を残して去って行くお志乃の後ろ姿を目で追いながら。
「あれ!おりょうちゃんどうしたの?」
ぼんやり佇んでいたおりょうは驚いて振り向くと
「あっ、お高さん。」
「ぼーっとしてどうしたの?」
お高はおりょうの姿を見て、少し心配そうな表情を向けた。
「あ、いや、何でも無いねん。なんでも・・・。」
訳ありと見て取ったお高は敢えてそれ以上おりょうのことには触れず
「これから御前のところへ商談に行くのだけど、おりょうちゃんもどう?」
「お高さんありがとう。うち、今日はもう帰るわ。」
「あら残念。御前も喜ぶのに。」お高はいかにも残念という表情を見せた。
「御隠居にはまた遊びに行きますっていうといて。」
「わかったわ。しっかり伝えとくね。」
「お高さん、おおきにな。」
そう言って頭を下げるおりょうに、
「おりょうちゃんやっぱりかわいい!」いきなり叫んで思いっきりおりょうを抱きしめると
「じゃあこれは伝え賃ということで。」
お高は満面の笑顔を向けた
「わあ!」
叫ぶおりょうが慌てふためいている間に手を振ってお高は去って行った。
その後を追うようにお冬と、おりょうに向かって一礼をしたお壱がお高に続いた。




