第四十三話 肩透かし
夜が白み始めた頃、漸く街は落ち着きを取り戻したようだった。
西町奉行所を除いては。
何しろ奉行が賊と相対しながら有効な手立てを講じる事が出来なかっただけでなく、賊の前で失神した上に失禁までしたとあっては、あまりの情けなさに奉行所内の空気は消沈したものになっていた。
それでも烏小僧を捕縛出来ていれば、奉行の失禁などという不名誉は笑い話として払拭出来ていたはずだが、おりょうの前から消えるように逃げ去った烏小僧の行方はようとして知れなかった。
烏小僧が姿を消した場所を中心に十重二十重の包囲を敷き、(この折に木戸への封鎖も行った為、平戸屋は刻限に間に合わなくなった)また、東町奉行所へも応援を要請して周辺へも捜索範囲を広げて烏小僧捕縛を狙っていたが、捕縛どころか姿すら見つける事は出来なかったのだ。
西町のみならず東町まで動員した烏小僧捕縛計画は、完全に失敗に終わった。
その様な中で唯一烏小僧と互角に渡り合い、捕縛一歩手前まで追い込んだおりょうの働きは、否が応でも評判になった。
お天道様が高くなり始めた頃には、早くも前夜のおりょうの活躍を描いた刷り物が市中に出回っていた。
かく言うおりょう達は、西町奉行所で銀三親分の手伝いを最後までやっていた。
「おりょうさんもうええで、本当にありがとうな。」
「銀三親分もお疲れさん。こっちこそありがとうございました。」
そういっておりょうは深々と頭をさげると
「おりょうさん頭上げてえや。こっちこそ感謝しか無いんやから。」
銀三はあわてておりょうの頭を上げさせた。
まだまだ落ち着いた様子も無く、ひっきりなしに人が出入りして慌ただしい奉行所を後にして、おりょうは引き上げていった。
「姉御お疲れさんです。」定吉はおりょうをねぎらうと
「定吉もありがとうな。そや、鬼徹達にもお礼したらなあかんし、明日一席設けようか。」
「流石姉御!みんな喜びますわ!!」定吉は嬉しそうに頷いた。
定吉の喜ぶ姿を見ておりょうも満足そうにしていると、目の前に見覚えのある後ろ姿を認めた。
「あれ?お志乃ちゃん?おはよう!」
「え!あ、おりょうちゃん、お、おはよう!もしかして今お勤め帰り?」
呼び止められてお志乃は、一瞬酷く驚いた様子だったが、ゆっくり振り返るとおりょうの姿を見てニッコリ微笑んだ。
「そうやねん。すっかり徹夜してもうたわ~。」
「お疲れさまね。疲れたんじゃないの?」
「それが意外と元気かも。とはいえちょい眠うなってきたかも。」
「それはそれは。早く帰ってゆっくり寝ないとね。」
お志乃が微笑みながらからかうと
「そうやな。あ、そういえばえらい早起きやけど、どっか行くん?」
「あ、ああ、そっそうなのよ。今から郊外の農家へ行儀作法の指南に。」
「そんな遠くへ行ん?お百姓さんにも行儀作法?」
おりょうが訝しそうに尋ねるとお志乃は
「うん。お百姓さんといっても、庄屋さんとかはお侍とも繋がりがあるし、羽振りの良い方は士分を買われたりするので、時々お呼ばれするの。」どこか落ち着きなさげに答えた。
「ふーんそう言うもんなんか。」
「そう言うものなのよ。」
「女子一人でそんな遠く行くの不安やろうから、うちがついてったろか?」
「おりょうちゃんありがとう。大丈夫よ。おりょうちゃんお勤め帰りだし、陽の高いうちに行って帰るから危なくもないし・・。」
お志乃はおりょうの申し出を、少し慌てて謝絶した。
「お志乃ちゃんがそこまで言うやったら仕方ないな。でも何かあったら直ぐ知らせてな?飛んでいくから安心してや。」
「おりょうちゃんありがとう。おりょうちゃんなら本当に飛んできてくれそう。」
そう言ってお志乃が笑うと、おりょうもつられて笑った。
おりょうは橋のたもとまでお志乃を見送ると、二人は手を振り合って別れた。
おりょうはお志乃の後ろ姿を見送りながら佇んでいると
「姉御どうしはったんですか?ぼーとしはって。」
「あ、御免定吉。何かこっち戻ってきてからのお志乃ちゃん、何か雰囲気変わったって言うか、前と違うような気がするんや。」
「そりゃ女性は五年も経てばかわるん違うんですか?」
「そういうのやったらええんやけどな・・・。」
おりょうは何かモヤモヤしたものを抱えながら番屋へと戻っていった。




