第二十九話 屋根裏
「本屋さんお待たせやで。」
先ほど応答した年配の女中が、せわし気にお金を持って現れた。
「いいえ。こちらこそお忙しい時に申し訳ないです。それにしても今日は何かあるんですか?」
お冬はさりげなく水を向けてみた。
「いやそれがね、お殿さんいつもはほとんど城代屋敷に寄り付きもせえへんくせに、この間急に戻って来られたかと思ったら、今日はいきなり西町奉行さんを呼びつけて。」
「城代様がお奉行様を?」お冬はさも驚いたかのような表情で問い返した。
「そうなんよ。あんまり急すぎて。その上応饗の準備言われててんてこ舞いになってるのに、準備でバタついてたら今度は『出かけるから支度せよ。』やで?ホンマたまらんわ。」
年配の女中は出入りの本屋相手と思ってか、気安く愚痴ってきた。
お冬としてはしてやったりと狙い通りであることはおくびも出さず、
「それは大変ですね。それにしても呼びつけたり、出かけたりと城代様もお忙しそうですね。」
「それね。何企んでんのか知らんけど、最近お屋敷を出たり入ったりで、来えへんのやったらずっと来んかったらええのに、今になって頻繁に出入りされたら迷惑なだけやで。」
女中の物言いは元より、その表情からも迷惑さは見て取れた。
「前はそうじゃなかったんですか?」お冬は『いつ』を聞き出そうとした。
「そうやね。いつやったか・・・そうそう確か烏小僧が姿現した頃くらいからやったと思う。その位からしょっちゅうこっち来るようになってはるわ。」
「そうなんですね。直に盗賊とは関わらないお方だと思っていましたが。」
「ああ、そないに勤勉なお方や無いで。こわあて逃げてきたんちゃうか。」
そう言って女中は大笑いした。お冬もつられて笑ったように装って見せた。
ふと我に返った女中は
「あ、あかんあかん。やる事山ほどあったんや!ごめんやで。」女中はそう言い残して立ち去った。
お冬は女中を見送ると、立ち去る振りをして死角に入り屋敷の中に忍び込んだ。
「まあここの造りはしっかり覚えているから。」
お冬は天井裏に上がり込むと、勝手知ったる様子で城代の居るとおぼしき部屋を目指して進んでいった。
しばらく薄暗い屋根裏を這っていると何かの影を認めた。
「あれ?なんだあれは??」
見るとお冬の少し前に先客がいたのだ。
「誰だろう?同業者かな?」
お冬はじわじわと先客ににじり寄っていったが、どうも気付く様子は無い。
「どうも同業者では無さそうね。何者かしら?」
お冬は更に近づこうとしたら、下から話し声がしたので、思わず止まって天井の下に耳をそばだてた。
下ではかなり怒気を含んだ声が誰かを叱りつけているようで、怒鳴り声の合間に弱々しい声で何か詫びているようだ。
「全くおぬしは何をやっておるのか?我が甥がここまで無能とは思わなんだぞ!」
怒声の主はどうやら大坂城代内藤肥前守らしい。
「叔父上、申し訳ありません。されど私にも奉行としての面子というものが・・・。」
弱々しいのは西町奉行内藤讃岐掾のようだ。今にも消え入りそうな声で、何やら弁解をしている様に聞こえる。
「ともかく、東町奉行に助力を頼んででも烏小僧を捕まえよ。賊一人捕える事すら出来ぬような者の下らぬ面子などドブに捨ててしまえばよいわ!」
「ひっ」西町奉行はあまりの罵詈雑言に思わず身をすくめた。
「儂は今から出かける故、おぬしも奉行所へ戻れ。」そう言うと大坂城代はスタスタと去って行った。
一人残された讃岐掾はしばらく呆然としていたが、思い出したように動き出してそそくさと出て行った。
「とにかく大坂城代を追わないと。」そう呟いて顔を上げたお冬の目の前には、先程まで居たはずの先客の姿がどこかへ消え失せていた。
「えっ!うそ!?ついさっきまで目の前に居たのに・・・。」
お冬は目をパチクリさせながら、先程まで先客が居たはずの場所をながめていた。
「私に気取られずに立ち去るなんてあり得ない。同業者では無かったはずなのに。いつの間に消え去ったのかしら?」辺りを見回しても姿はおろか気配すら無い。完全に消え去ったらしく
「今は詮索している場合では無いわね。直ぐに城代の後を追わないと。」
お冬は急いで屋敷を抜け出すと、城代を追うのだった。




