第二十話 筒井筒
おりょうとお志乃は初めのうちは他愛のない昔話に花を咲かせていたが、次第に五年前の事に話しは移っていった。
「あれから五年やねんな。正直今世ではもう会われへんと思ってた。」
「うん。私も諦めてた。」
二人の間になんとも言えない空気が流れていた。
「あの時、さよならも言われへんままお志乃ちゃんおらんようになってて、でも、理由は分かってたから・・・。」
「おりょうちゃん御免ね。あの時おりょうちゃんに、ちゃんとさよならが言えなかったことがずっと心残りだった。」
お志乃の手におりょうが手を重ねた。
「でも、またこうやって会うことできたやん。」おりょうはお志乃に笑顔を向けた。お志乃は頷いて
「おじさん亡くなって大変だった時も側に居てあげられなかったし・・・。」
「親父のことはしょうないと思ってる。下手人挙げてお志乃ちゃんのおとうはんの無実証明でけへんかったんは無念やったろうけど。それはうちがやるから安心してや。」おりょうは胸を張った。
「おりょうちゃん。」お志乃は目を潤ませておりょうの手を強く握り返した。
「それよりお志乃ちゃんは武蔵へ行って苦労したんちゃう?」
少しやつれた様子が、五年の間のお志乃の苦労を物語っていた。見目麗しい姿は昔よりも大人びた分美しさを増してはいたが、それ以上に重ねた心労は美しさの中に微かな影を差していた。
「苦労っと言うか、そうだな・・・。」お志乃は何かを思い巡らすようにしていたが
「正直辛かったのは確か。母の実家にとって私は咎人の娘だから。意地悪も沢山されたし、居場所はなかったの。」
「お志乃ちゃん・・・。」
「それでも、向こうに行った当初はまだ曾お爺さまが健在で、曾お爺さまは常に私の味方をしてくれたの。お父様のことを凄く買ってらして、『武四郎が悪事を働くはずは無い。ちゃんと調べておるのか?』といつも言っておられたわ。けど、」お志乃は悲しげに続けて
「それも曾お爺さまが生きておられる間だけ。一年ほどして亡くなられると私の味方は誰も居なくなったの。お母様ですら私の味方では無かった。」
「そんな。おばさんが?うそやん。」
「嘘じゃ無いよ。でも仕方ないと思う。お祖母様にお母様は逆らえなかったし、私を助けてくれるほど強い人では無かったから。」
何かを悟っているような表情で話すお志乃を、おりょうは悲しげに見つめていた。
「ずっと独りで、居るだけで疎まれて、生きているのが辛かった。」お志乃は少し間をおくと続けて
「けど、ある日泉州屋のおかみさんが声をかけて下さって。」
「泉州屋さんって?」
「今私がお世話になっているところ。木綿や絹織物を商っているお店で、昔お父様に大変お世話になったとかで、江戸に出て来られたからと訪ねていらしたの。」
「それで大坂に?」
「そう。私の話を聞いて下さって、それなら是非大坂にいらっしゃいって。もし武家の行儀作法とかを教えて貰えたら有り難いからと。」
「じゃあ今、お志乃ちゃんと話せるのも泉州屋さんのおかげなんや。」
「そういうこと。泉州屋さんが持っている一軒家に住まわせて貰っているから、おりょうちゃんも遊びに来て。」
「ありがとう!絶対行くで!」二人は手を握り合って笑った。
それ以上込み入った話は避けたかったのかお志乃は、おりょうに話しを向けた。
「おりょうちゃんはおじさんの後を継いで目明かしになったんでしょ?すごいよね。」
「親父からは絶対継げとは言われへんかったし、お前の好きにせえって言ってくれたけど、今際の際の無念そうな顔を見たら、絶対親父の遺志を継いで下手人挙げたるって思ってん。」
おりょうは続けて
「下手人を挙げて、ホンマのことがはっきりしたら、お志乃ちゃんのお父さんの無実も証明出来るとおもうねん。」
「おりょうちゃんありがとう。その言葉だけでも嬉しい。でも、無理や危ないことはしないでね。」
「わかってる。誰も悲しませたらあかんもんな。」
おりょうの力強い言葉を聞いて、頼もしげに思いつつも一抹の寂しさも感じるお志乃だった。
おりょうの変わらぬ姿勢を見るにつれ、幼馴染みでありお互いが良き理解者で親友ではあったが、五年という月日が、二人の間に僅かながら距離を作りつつあることを覚えずにはいられなかった。
しかし、その距離はおりょうが作ったものでは無い。お志乃自身の心を蝕みつつある闇が作ったものであることは疑いなかった。
『もうあの頃には戻れないんだ・・・。』お志乃は心の中で呟いた。
「お志乃ちゃんどうかしたん?」
「え、ううん何でも無いよ。」お志乃はおりょうに笑顔を向けて見せた。
あの頃とは少し違う笑顔ではあったが。




