第百四話 天空行
「天狗う!!」
牛車を引かせていた従者はおもわず腰を抜かしそうになっていた。
「おし・・・烏小僧!」
突然目の前に現われた者達に驚いたおりょうは、危うく友の名を呼びそうになったが、何とか押しとどめることができた。
目の前には烏小僧と烏天狗達が勢揃いしていた。
何も語らない烏小僧の脇から出で立ちの出で立ちの烏天狗が一歩前に出て口上を述べた。
「我々は鞍馬山に籠もる太郎坊の配下の烏天狗、我が名は与一と申すものなり。故あってお味方すべく参上仕った。」
突然現われた烏天狗の一団に、皆は一応に驚いたが
「助勢してくれるのは有り難いことやが、いったい何をしようとしてるんや?」
大納言が牛車の中から問いかけると
「我らは飛ぶことが出来るもの故、空より皆様を送り届ける次第です。」
「空からって、あんたら正気か?牛だけでも相当重いのに牛車をどないして飛ばすおつもりや?」
「策はあります故、我らを信じて任せて頂きたい。」
「けどなあ・・・。」
大納言は戸惑ってはいたが
「大納言様、まかせましょ。今からなんぼ頑張っても着くのは昼過ぎになってしまいます。一刻を争うこの時に渡りに船やと思うんです。」
「まあ、おりょうがそこまで言うんやったら、任せてみましょか。」
大納言は、烏天狗を信じるというより、おりょうを信じて烏天狗達に身を委ねることにした。
烏天狗達が承諾を得た後の動きは素早く、牛車に用意した荒縄などを巻き付けると瞬く間に空へ揚げる準備を整えていた。
繋いでいた牛は軛から離し、腹の辺りから薦などで受けるようにして固定すると、耳元で何か呪文のようなものを唱えて大人しくさせた。
舎人達はそれぞれ烏天狗が背後から抱きかかえるようにして出立の合図を待った。
おりょうには烏小僧が近づくと、易しく包むように腕を絡めた。
おりょうは少し戸惑いながらも絡める腕にそっと触れると、烏小僧は袂に手をすべらせて乳房に触れながら耳元で囁いた。
「私を信じて身を任せて。」
おりょうは耳元を赤くして小さく頷いて返すと、
烏小僧も応えるようにギュッとおりょうの体を強く抱きしめた。
おりょうは背中に押し付けられた乳房の柔らかい感触と、烏小僧に姿を変えているお志乃の鼓動を感じるのだった。
一堂用意が調った事を見て取った与一が合図を送ると、まだ闇が濃く、東の方がうっすらと白む程度の早朝の空をめがけて、烏天狗の一団が一斉に飛び立った。
牛を外された網代の牛車は、平行に保つことに注意されながら慎重に運ばれ、中にいた大納言も興に乗っていたと見えてご満悦の様子だった。
他の者達も反応はまちまちで、ある者は怖さのあまり目をしっかりと瞑って凍り付いたように身じろぎもしない者もあれば、面白げに足元に広がる闇の中にポツポツと見える灯りや、白み始めて微かに見える家屋や田畑を眺めて楽しむ者など常ならぬ光景に皆興奮気味であった。
他方おりょうと烏小僧は皆とはやや離れたところを飛んでいて、まるで逢い引きでもしているのかといった様子だった。
特に言葉を交わしていた訳でもないのだが、お互いの体温を感じつつ心で会話を交わしているように思っていたようでもあった。
おりょうは頬を染めながらお志乃を感じていて、烏の面で表情こそ知れなかったがお志乃もまた、おりょうを感じていたのだ。
二人はこのまま何処かへと去りたい気持ちに駆られてはいたが、それは叶わぬ事であることも充分に理解しているのだった。
闇は徐々に白み始め、空を飾った星々の光が薄まった頃
烏天狗の一団は、日の出を迎える前に淀の城下町のすぐ側へ降り立ったのだ。




