異世界から召喚する聖女の友人になるように言われましたので、親友になってみせます
「すまない、リリア。聖女を召喚することになったから、君との婚約は解消しなければならない」
王城のバラ園でエヴァン王太子から告げられた言葉に、リリアーヌは頭が真っ白になった。
咲きかけのバラの芳香をまとう陽光の中、冷たい風がふたりの間を吹き抜けていく。
金髪碧眼の王太子と、銀髪青眼の侯爵令嬢。
幼い頃から近くにいたのに、これならも近くにいられるように努力していたのに、もうその夢は叶わない。
先程まではぬくもりに満たされていたリリアーヌの胸は凍りつき、足元と肩が震える。
「そう、なのですね……ですが、決定は聖女様が来られてからでも遅くないのでは……?」
浅ましい言葉に、見苦しい振る舞いに目眩がする。レディ失格、無様、様々な言葉が脳裏を駆け巡る。
醜悪だとわかっていても、すがろうとしてしまう自分は既に王太子妃候補失格なのだろう。
「異世界からこちらの身勝手で呼び出すのだ。最大の敬意を払わねばならない。婚約者のいる身で求婚するなど以ての外だ」
エヴァンは誠実だ。
聖女が王太子との婚姻を望まなかったとしても、恋人がいたとしても、意思疎通のできない者だったとしても、真摯に向き合うつもりでいる。
「わかってくれ、リリア。これは必要なことなんだ」
リリアーヌに拒否権はない。これはエヴァンの気まぐれではなく、王家の決定なのだ。覆ることはない。それでもエヴァンはリリアーヌの理解を得ようとする。
――真面目で誠実。
だからこそリリアーヌも彼を好きになった。政略結婚の枠を超えて、支えようと思った。この命が尽き果て、この身体が燃え尽きるまで。
だがもうこの想いは許されない。
聖女召喚は長い歴史の中で何度も行われてきたことだ。聖女自体が魔物に対抗できる強い魔力を持っている上に、聖女と強い絆で結ばれた相手も強い魔力を得ることができる。そうやって王族は魔力を高めて、魔族と戦ってきた。
国を守るために、民を守るために。
リリアーヌは静かに頭を下げた。
「――はい、わかりました」
振り絞った声は思いの外、落ち着いていた。
これ以上醜態を晒すことなく、リリアーヌは安堵した。
エヴァンもほっとしたようだった。
だがどこか寂し気でもあった。些細な表情の変化に気づいたのは、リリアーヌがエヴァンのことを幼い頃から知っているからだ。見つめてきたからだ。
そんな顔をしないでほしいとリリアーヌは思った。
いっそ憎めればどれだけよかったか。
愛想が尽きればどれだけよかったか。
そして後悔する。
もっと見苦しく振る舞えればよかった。泣きわめけばよかった。エヴァンから嫌われるほどに。嫌われてしまえば、この気持ちも諦めざるをえなかっただろうに。
「できれば、君には聖女の相談相手になってやってほしい。知識が豊富で思慮深い君のことだ。聖女の良き友人となるだろう」
「はい。精いっぱい務めさせていただきます」
そこからリリアーヌは歴代聖女について猛勉強をした。異世界からやってくる聖女の心を少しでも慰められるように。贅沢を言うのならば、親友になれるように。
異なる世界から身ひとつで呼び出されるのだ。不安にならないわけがない。聖女の心を慰めることが、自分がエヴァン王太子にできるせめてものことだった。
◆ ◆ ◆
そして召喚の儀式の日。
玉座の間に描かれた魔法陣から、虹色の光とともに現れたのは、黒髪黒目の人間だった。
無理を言って儀式に参加させてもらっていたリリアーヌは、驚きに目を見開いた。
(青年? ――いえ少年?)
大人びているのか、子どもっぽいのか、その年齢はよくわからないが自分と同年代に見えた。
身体の作りは自分たちとまったく同じで、鍛えていないからか少し線が細い。
少年に見えるが少女なのだろうか。
白いシャツから伸びる腕は骨ばっていて、身体は薄く、男性的だ。
ざわつく玉座の間で、少年は魔法陣の中央でへたり込んでいた。
心底驚いている。
驚きすぎて笑ってしまっている。
「なにこれ……もしかして、異世界転移ってやつ……?」
――玉座の間は騒然となった。
異世界から少女を招く聖女召喚の儀で、少年が召喚されたのだ。
勇者召喚という儀式では少年少女のどちらも召喚された記録があるが、聖女召喚で少年が現れたのは初めてのことだった。
召喚された少年の名はカイト・アシハラ。十七歳。チキュウという世界のニホンという国から来たという。歴代聖女の中にも同じ国から召喚された少女たちは何人もいた。
そして彼はいままでの聖女と同じく、世界を救う力を持っていた。
◆ ◆ ◆
「リリィ!」
王城の離宮――庭に面したテラスでカイトの帰還を待っていたリリアーヌは、カイトに呼ばれて顔を上げた。
離宮は、王城は窮屈で嫌だというカイトのために用意された場所だ。リリアーヌはほとんど毎日離宮に通うようにしていた。
笑顔で駆け寄ってくるカイトを、リリアーヌは微笑みながら迎える。
「カイト様……また魔の森へ行かれていたのですか?」
「ああ、うん。レベルが上がりまくるしスキルが増えるから楽しくて」
レベルという概念も、スキルという能力も、どちらも異世界人だけが得られる特殊能力で、リリアーヌには詳しいことはわからない。
わからないがカイトが嬉しそうなのはリリアーヌも嬉しいし、彼が強くなるのは王国にとっても良いことだ。
リリアーヌは微笑みながら、カイトの顔についていた土汚れをハンカチーフで拭きとった。
「あ、ありがと……」
「怪我はされませんでしたか?」
「全然ヘーキ! この辺りの魔物はもう俺の敵じゃないね」
カイトの力は日増しに強くなっていく。
リリアーヌが行う世話や心配など余計なお世話かもしれない。
それでも、リリアーヌはカイトの良き友人になれるように努めた。彼が聖女でも勇者でも、どれだけ強くても、異世界から身ひとつできたことは変わらない。
だが彼がリリアーヌを友人と思ってくれているかはわからない。
彼に内心でどう思われていても、リリアーヌはカイトのことを守ると決めていた。
「これ、リリィにあげるよ」
言ってカイトが何もない場所――アイテムボックスというらしい――から取り出してきたのは、大きな青い宝石だった。石の中で無数の星が煌めいているかのような輝きを放っている。
「なんかボスっぽいやつからドロップしてさ。リリィに似合うと思って」
「ありがとうございます。ですが、お気持ちだけで」
こんな貴重なものは受け取れない。
辞退するとカイトは少しガッカリしたような顔になった。
「これはいずれカイト様のお役に立ちます。大切になさってください。それにしても、もう森の主を倒されてしまうなんて、さすがはカイト様です」
「いやー、それほどでも」
「――カイト様」
リリアーヌは周囲に人がいないのをもう一度確認してから、カイトと向き合う。
「カイト様はエヴァン王太子殿下のことをどう思われますか?」
「エヴァン? あー、カッコいいよな。まさに王子様って感じで」
「……愛していますか?」
「はいっ?! いやいや! 俺にそんな趣味はないって! 向こうだってそう!」
首をぶんぶん横に振って否定する姿を見て、リリアーヌの心は決まった。
「カイト様。次に魔物退治に向かわれたら、そのまま国を出て他国へ向かってください」
「へ? な、なんで? 俺なんかした?」
唐突な話に、カイトは目を丸くしている。
リリアーヌは続ける。たとえこれが今生の別れになろうとも、言わなければならないことなある。
「カイト様は歴代の聖女や勇者よりも、かなり強い力をお持ちです」
「それって、つまりUR? いやLRってことか? へー、そっかー……」
ウルトラレアやレジェンドレアがどういう意味かリリアーヌにはわからなかったが、カイトは自身の重要性をおぼろげながらも理解できているようだった。
「王家は召喚された聖女と結ばれることで魔力を強めてまいりました。聖女と契約をした王族男性は例外なく強い力を授かりますし、子も高い魔力を持って生まれてきます」
そうやって、王族は力を高めてきた。
「てすがあなたは男性……王族にあなたと釣り合う年頃の女子はなく……貴族も、王家も、いずれあなたを自分たちの地位を脅かす敵と見做すかもしれません」
「いや、俺は王様たちとやり合うつもりはないし」
やはりカイトは優しい。優しすぎるほどに。
「新しく聖女を召喚しようとする動きも出てきています。同時に存在できる異世界人はひとりだけ……聖女を召喚するために、カイト様を亡きものにしようとするかもしれません」
カイトの力は歴代最高と思われるほどに強い。正面から彼を傷つけることは誰にもできないだろう。だが策を弄されれば、優しい彼も窮地に陥るかもしれない。傷つくかもしれない。
リリアーヌはそれが心配だった。
「それは困るな……殺されるのも嫌だし、新しく召喚される子も可哀想だ」
「カイト様……なんてお優しい……」
新たに召喚される少女のことまで心配をしている。
リリアーヌはカイトの優しさに感じ入った。このような素晴らしい人が、権力者の身勝手で殺されていいわけがない。
リリアーヌは既に用意できる限りの準備をしている。金貨に銀貨、宝石。役に立ちそうな道具や武器。カイトに次に魔物退治に向かう前に屋敷に立ち寄ってもらうように伝えようとしたとき――カイトは言った。
「でも、リリィと会えなくなるのも嫌だ」
「え……?」
「だから俺は帰ってくるよ。絶対に」
少し照れたように、顔を赤くして笑う。大人びているようで、子どものような顔で。
リリアーヌは心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
心も身体も芯から揺さぶられてしまった。胸を満たすのは喜びか。わからない。だが、熱い。
リリアーヌは決意した。彼が自分に会うために戻ってくると言うのなら――
「では、わたくしも共に参ります」
「えっ?」
「あなたの友人として、あなたの旅をサポートします」
「いっ、いや、貴族の女の子にそんな危険なことさせるわけには――」
「お願いします、カイト様。わたくしはとっくに覚悟はできています。どうか……いえ、たとえ断られても、わたくしはあなたと共に行きますから!」
宣言した瞬間、リリアーヌの身体の中で強い魔力が目覚める。
全身から光を帯びた魔力が溢れ、幸福感に満たされる。世界に祝福されているような、泣きたくなるような。そのときリリアーヌは聖女の伝説の一説を思い出していた。
――聖女と強い絆で結ばれた相手は強い魔力を得ることができる。
(もしかして、こういうことなの?)
いまならなんだってできる気がする。
「――カイト様、カイト様のおかげで、わたくしも戦うことができそうです」
「ちょ、ちょっと待って。ステータス確認するから……って、うわ、ホントだ……ステータスめっちゃくちゃ上がってるし……この《共鳴する者》って称号は……?」
虚空を食い入るように覗き込み、指先で何かを触るように動かしている。
異世界人はステータス画面というのを見ることができるらしい。
そしていまそこにはリリアーヌのことが書かれているらしい。いったい何が書かれているのか。悪いことではなさそうだった。
「本当にいいの? 魔物とかと戦うことになるし、国にも戻れなくなるかもしれない。家族とだって」
「ご心配ありがとうございます。もう決めたことです」
人の気配がして、リリアーヌとカイトは同時にその方向を見る。木陰の下――木漏れ日をまとっていたのは、王太子であるエヴァンだった。
エヴァンはゆっくりとこちらへやってくる。
「リリア……」
「エヴァン様……」
エヴァンは近くまできて、だが近づきすぎることなく歩みを止めた。
リリアーヌとエヴァンの二人の間に流れる空気は、婚約解消を告げられたあのときのように静かだった。
「行くのか?」
「はい」
エヴァンはすべて気づいている。
リリアーヌは隠さず肯定した。
「そうか……」
リリアーヌを見つめるエヴァンの瞳は、とても遠いところにある――手の届かない星を見ているかのような憂いを帯びていた。
「僕は、あの日のことを後悔してばかりだ」
「…………」
「だがきっと、戻れたとしても何度でも同じ選択をするだろう」
いまのリリアーヌには、エヴァンが何を後悔しているのかはわからない。幼い頃はエヴァンのことならなんでもわかったのに。
そしていまのリリアーヌだからこそわかることがある。
「エヴァン様、過去は変えられなくても未来は変えられます」
過去はどうあっても変えることはできないが、目の前の未来は変えられる。諦めかけたものも、手を伸ばすことで何かが変わるかもしれない。
リリアーヌは、聖女召喚の儀で少年が現れたのとき頭が真っ白になった。それでも前に進み出して自ら名乗り、カイト・アシハラの名前を教えてもらえた。
聖女の友人になることを賛成していた親からは、カイトに関わることを反対された。
それに従っていれば、カイトと――こんな優しい人と友人になることはできなかっただろう。
未来は、一歩踏み出すだけで変えられる。
「…………」
エヴァンは静かに頷き、カイトを見る。決意に満ちた眼差しで。
「カイト、僕も旅に同行させてもらえないか?」
「はぁっ?!」
カイトが驚愕の声を上げ、リリアーヌも驚きで息を呑み込む。
「元々その予定だったんだ」
「いやそれは俺が可愛い聖女様だったときの場合だろ?」
「関係ない。こちらの都合だけで別の世界から呼んだ君に、国の命運を託すことを申し訳ない。僕も、君と共に戦わせてくれ」
「いやいや無理ムリ」
「自分のことは自分でできる。ずっと、戦いに赴くときのために準備してきた。命を懸ける覚悟もできている。頼む!」
エヴァンの渾身の頼みに、カイトの身体がぶるりと震える。
その瞬間、エヴァンの身体から金色の光を帯びた魔力が溢れ出した。
「この力は……」
「……俺のスキル『共鳴』だよ。自分と仲間の力を高めるってやつ」
――仲間。
なんて素敵な響きだろうとリリアーヌは思った。
「俺、本当にラッキーだよ。異世界に来て初めての友達が、リリアとエヴァンだなんてさ。はーっ、幸福値にボーナス振っててよかった」
「ラッキーではありません。すべてカイト様のお人柄です。わたくしも、カイト様とお友達になれて、本当によかったです」
カイトは泣き笑いしながら、ぐっと目元を拭う。
「ハハッ……エヴァンとはライバルだな……そんじゃあ行こうか。いざ、魔王討伐の旅に!」
そしてリリアーヌはカイトとエヴァンと共に王国から旅立ち、いずれ三人で世界を救うことになる。