運ばれるドナ
学校側として夕暮れまでに生徒を家に帰さねばならない為、昼下がりには観光バスに乗り込んでいた。
食堂を出発する二台の観光バスは、それぞれ発車する度にサヨナラの挨拶代わりとホーンを鳴らして高速道路へと続く道に出て行った。
何故だが手を振り見送る観光地の人達の中に、いつから居たのか牧場主の姿もあった。
高速道路に入り揺られること一時間程のサービスエリアで、最初のトイレ休憩と多少のお土産追加タイム。
昼食後の女子トイレは当然のように行列で、お土産タイムは男子ばかりの物となっていた。
遅くなった私はバスに戻ると後部座席に陣取る白鳥達からの誹謗を浴びせられた。
小学生並みの……
「うんこ長過ぎじゃね?」
前よりの席で窓からの眺めに無視していたが、更に私より遅れて戻って来たのは白鳥のお仲間女子で裏ボス的な羽田だった。
当然、白鳥が何も言わない事に微妙な空気が流れる車内に、何かを察して気不味さを覚えたのか噓吹く羽田。
「白鳥、あんた達何処行ってたの? 皆で写真撮ろうと思って展望デッキで待ってたのに!」
私よりも後ろに並んで居たのにどうしてそれが出来るのか……
それを知る私を牽制するように、睨んで後部座席へと消えて行く羽田。
バスが発車すると自慢気にお土産を取り出し、騒ぎ出す後部座席に陣取る男女十人程の連中が、何が面白いのか大きな声で歌い出す。
「ドナドナドーナードーナー♪」
特にガイドが居る訳でもない帰路の観光バス内での歌声に、先生は相変わらず放置していた。
けれど一番を歌い終えた辺りで、私には何か聴こえたような気がした。
――KORONKORONKORONN――
その直後。
「んぁあああっ!」
白鳥のうめき声を筆頭に、後部座席から悲痛の叫びが湧き上がる。
「痛えええええっ!」
「くぅっ!」
「腹が、腹が……」
「んがぁあああっ!」
「痛い痛い痛い痛い痛い……」
その異様な声はさすがに放置出来ないと思えたのか、先生が立ち上がり振り返る。
皆も立ち上がりはしないが振り返って覗いていた。
私は立ち上がり見ると、後部座席で騒いでいた連中が苦痛の表情に腹を抑えて悶絶している。
何かの冗談にしては苦悶の演技が上手過ぎる。
ただ痛がるのではなく、苦しさが腹にある事をまで理解させるそれは演技ではないのだろう。
「何だ! トイレ休憩にチャント行かなかったのか?」
先生の指摘は、さっき私を誹謗した台詞のブーメランのようにも思えて、少しスッキリとした気持ちにさせられた。
けれど、あまりにも悶絶する後部座席の連中のうめき声に、先生も様子を見ようと後部座席へと向かい出す。
――KORONKORONKORONN――
先生が横を通り過ぎるのと同時に、さっきと同じような音がした。
途端!
「ぅぉおおおおっ!」
「んぐぉわぁああっ!」
「ひぐぁああっ!」
苦痛の叫びが更に増し、腹を必死で抑える面々。
「いゃぁああああっ!」
先生が後部座席に着く前に、近くで見ていた女子生徒が悲鳴を上げた。
皆がビクっ! と、背筋を凍らせる程の女子の悲鳴は、彼女が何を見たのかと視線を呼び込む。
彼女が見たのと同じものを覗き込む近くに居た生徒達。
「うぉわっ!」
「何だそれ!」
「キモっ!」
「な、何だ? 白鳥、お前腹が、何か動いてるぞ!」
遅れて着いた先生の指摘は、悲鳴の原因が白鳥の腹の異常だと知らしめた。
その原因が何なのか、分からないが悲痛に叫ぶ者達も白鳥のソレと同じなのかの可能性に、先生が苦しみ悶える生徒の腹を見ようと服を捲し上げていく。
「うぉっ……」
その小さく漏れ聞こえた先生の嗚咽がソレを見ずとも物語っていた。
先生にもその手の配慮はあったのか、羽田を始めとする女子の服は捲る事無く聞いて確認する。
「おい、羽田。お前達の腹も動いてんのか?」
「……ぅ、ぁぁはぃ」
私を睨んで行った羽田の傲慢さは何処へ消えたのか、いつの間にやら被害者面に可哀想な女の顔を見せていた。
「おい、誰か胃薬持ってないか?」
的外れではないのだろうが、ソレに効くとは思えない。
迂闊に飲ませて良いものかに迷いまごつく者は胃薬を持っているだろう生徒達。
先生は集団食中毒を恐れているのか、更に皆に向かって問いかける。
「おおい、皆は大丈夫か? ここに居る……6人だけか?」
生徒の返事は無い。
聞き方のせいだが、返事のないソレが無事の応え。
けれど予想外の所から声が飛ぶ。
「すいませんが先生! 急いでこちらに戻って来て貰えますか!」
運転手のマイクを使っての呼びかけに、何が起きたか生徒の不安は前へと移る。
急ぎ戻る先生が横を過ぎると同時に、またあの音がする。
――KORONKORONKORONN――
途端また。
「んぐぉわぁああっ!」
「ひぐぁああっ!」
「ぅぉおおおおっ!」
苦痛の叫びがまたも増し、腹を必死で抑える白鳥や羽田等。
「え、向こうにも?」
「どうします? 行くなら次のインターで降りないとですけど」
「向こうは?」
「いや、先生に判断を任せるって言ってますけど。もう5㎞も無いと思うんで」
何やらバスの無線でもう一台のバスとやり取りしていたような話には、向こうのバスにも悶絶している生徒がいたと判るも、突然判断に迫られ悩む先生。
「あ、もう見えてる。どうします?」
「ぁああ……行って! 行って下さい!」
「行くってドッチ? 学校? 病院?」
「ああ、病院で!」
「こちら1号車、病院へ……」
無線のやり取りで減速が遅れたのか前へと持っていかれる私の身体。
アレを見ようと立ち上がっていた私を始めとした窓側の生徒は前の席の背凭れで支えるも、大きなカーブにも振られて横転するんじゃないかと別の不安に怖がる生徒の叫び声までも。
後部座席の呻き声と混ざってカオスな車内……
一旦料金所の手前で後続車を待つ事に、運転手と先生だけがバスを降りて何やら話し合って10分程。
戻るとスグに病院へと走り出した。
後で知った事に119で呼ぼうとしたが、全部で13人もの生徒が発症していた事に、近くに待機する救急車の数では全員を搬送するのに時間がかかる事から、そのまま病院に向かった方が早く、病院側には緊急対応の準備をしいて置くとの事だったらしい。
病院の場所も確認したのか走り出したバスは牧場の方へと戻るように進路をとり、青い空とそよぐ風に燕が飛び交うだけの何もない田畑の田舎風景のそこが何処なのかと青看板に目を向ける生徒と、何が起きているのか不安に怯える生徒。
そして、後部座席の悶絶する白鳥や羽田を気にする生徒達。
正直私は、病院行きが決まった瞬間から彼等への心配は消えていたが、病院へ向かう事に安堵したように後部座席から悶絶する声も静まっていた。
そんな中、私の後ろの席から鼻歌が微かに聴こえてきた。
あの歌……
田舎風景に揺られる車窓に、少し前に聴かされたメロディーが頭に残っていたのだろう。
――KORONKORONKORONN――
またも聴こえたあの音、その直後に後ろの席から聴こえた悲痛の叫び。
「痛い、痛い痛い痛い痛い……」
「んぐぉわぁああっ!」
「ひぐぁああっ!」
「ぅぉおおおおっ!」
それに呼応するように後部座席の連中までもが痛みをぶり返し、またも呻き声を上げだした。
「ぃゃぁぁあああっ!!」
慌てる隣の生徒が先生を呼ぶ最中、関係無い女子生徒が不安を拗らせ叫び声を上げて気を失ったらしく車内はまたもカオスと化す。
私が後ろの席の子を見ると、悲しそうな瞳で窓の外を見ているようだった。
病院へと続く道は、冬場にチェーンを履いた大型トラックに削られ荒れた田舎道。
外はまだ明るく飛び交う燕もまだ見える。
揺れる車内に飛び交う悲鳴。
私には、病院へと生徒を乗せてゆくこのバスが、いつからなのか子牛を乗せて行く荷馬車のように思えていた。
そして、あの音の正体に気付いた私は一つの仮説を立てていた。
――KORONKORONKORONN――
先生が鳴らしていたのは尻のポケットに何を入れているのか、何かに付けた土産物のカウベルだった。
先生が車内を移動する度それを鳴り響かせ、その音に同調して悲痛に叫ぶ呻き声が車内を襲う。
あまりにも凄惨な車内の様子に、私もいい加減うんざりしていたのもあって……
試す事にした。
――KORONKORONKORONN――
先生がまたもカウベルを鳴らして私の後ろの席の生徒を見舞いに来た折、ポケットから出ているカウベルを引き抜いた。
よくわからない携帯灰皿と鍵の束。
今必要にない事だけは確実なソレを私は一番前の座席に置きに行く際にも、カウベルが鳴らないように気を付けた。
戻ろうとしたが、空いた私の席は後ろの生徒を見舞うのに調度いいのか占領されていた。
静かに一番前の先生の席に座った私は、大きなフロントガラスから見る田舎の景色に荷馬車の前に座った気にもなる。
ふと、道路の青看板にあの牧場のある町の名が見えた。
今、悶え苦しむ彼彼女等が、楽しい思い出にとあの歌を口ずさんで他の生徒を嘲笑っていたあの牧場に、帰るかの如くに
生徒を乗せて、バスが揺れる。
私も一瞬口ずさんでしまいそうになり、焦り息を呑む。
後ろの子の気持ちを痛い程に理解した私は、これ以上の被害者を出したくなくて考えていた。
踏ん切りのつかないままに勢い任せに私は、運転手さんにマイクを貸してもらえないかと声をかけ、後々の事などお構い無しに今を何とかしようと恥を忍んでマイクに向けて口を開いた。
「みんな聞いて! これは多分、初日に牧場主が怒って言ってた……ドナドナの呪いよ! 今苦しんでるのはみんなあの歌を口ずさんだ人だけ! みんな絶対あの歌を口にするのも鼻歌もダメだからね! 気を付けて!」
当然のようにざわめき出す車内。
「おい、下らない事言ってんじゃねえ!」
先生からの怒号が私に向けられると、他の生徒もそうだそうだと馬鹿にし始める。
そして、私は浅はかだった。
いえ、私の注意に反旗を示す中途半端にイキる馬鹿が居る事に注意が及んでなかった。
「あああ? 呪いだあ? バーカ! 歌ってやろうぜ、ドナドナドーナードーナー♪」
「ふん、そんな呪いがあるかバ……ん、んぅぉおおおおっ!」
「痛、痛たたたたた……」
「嘘だろぉおおおおっ!」
「痛えええええっ!」
「腹、腹が……」
私の注意が被害者を5人程増やす結果になってしまったが、元々注意しなければいずれは歌っただろう連中ばかりな事に少し安堵する。
既に、他の素直な生徒には呪いの正当性が痛い程に伝わっていた。
私に怒号を浴びせた先生も押し黙り、私が見ると目を伏せた。
私は呪いに怯え静かになった生徒に向け続けてマイクで呼びかける。
「お土産にカウベルを買った人は、それも鳴らないように注意して! 多分、あの牧場を想起させる物音がこの症状を引き起こすんだと思うの!」
「おい、でも歌を聞いても大丈夫な奴と駄目な奴との差は何なんだよ?」
不安に疑問の全てを知りたがり、私に問をぶつけ出したのは、自称皆の代表を着飾る将来はネットで陰口叩いて勝ち誇るタイプに思える普段は大人しい目立たない生徒達。
他人の意見を批判するだけで自分の見解を後出しに、何だかんだで私の立てた仮説に加える程度の話を自分の仮説として吠えるクズ。
私はクズを相手にしたくて呼びかけた訳ではない。だから……
「そこまで知らんわ! お前はオカルト博士か何かなのか? 私は私が気付いた所までしか知らんから後はお前がキッチリカッチリ調べて皆に報告しとけ! じゃあ以上!」
キレていた。
苦しみ悶える生徒を脇に見ながらキレていた私。
そのお陰で私は不安も怯えも無いままに、病院に着くと先生よりも頼りにされ、皆の引率も私が仕切る。
もう一台のバスでも被害は増えていて、結局総勢26名の生徒が患者となって院内へと運ばれた。
その後、私の仮説が生徒に行き渡ると、それ以降は患者も出無かった。