18. レヴハルト・シルバミネ
そして時は現在に至り。
玉座争奪の最中、二人は再会を果たした。
「さあ、始めようかレヴ。
これから殺す相手と話をするほど、僕の心は頑丈じゃないからね」
「同感だ。
来い──【黒ヶ峰】」
かつての師弟は再会を果たし、殺し合う。
レヴハルトは父を殺した秘刀を携えて。
ハドリッツは弟子に授けた流儀を以て。
言葉は交わさない。交わせない。
これ以上は互いの心が壊れてしまうから。
──ヒュッ、と。
レヴハルトの首元を刃が掠めた。
投擲された刃を、彼は飛び上がって寸前で回避した。
いつしかハドリッツの姿は消えている。
全神経を研ぎ澄ます。ハドリッツの位置を捕捉。
「けふ限りなる幸運、やりたてまつる。
シルバミネ第六秘奥──《晦気殺》」
レヴハルトは周囲一帯に魔術を行使。揺らぐ。
全てがおぼろなるままに、空間が悲鳴を上げる。狐が見せるまやかしのように、されど流麗なる魔の渦が踊り狂う。
使用したのは、身体強化の魔術。彼はあろうことか気配を捉えたハドリッツに対して強化を施した。
「へえ……おもしろい術だ。さすがはシルバミネ家の秘奥。
僕じゃなきゃ死んでたね」
「……この術を受けて死なないか」
柱の陰からふらりと姿を現したハドリッツ。
レヴハルトが行使した《晦気殺》
それは過剰な身体強化を相手に施し、精神と神経を狂わせて殺す技。レジストも回避も不可能なはずだったが……対象は生きている。
相手は最強の殺し屋。
向こうがこちらの命を狙ってくる以上、レヴハルトも相手を殺す。たとえかつての師であっても。
全力で殺しにかかったのだが、失敗に終わったようだ。
「その殺気、すごいね。誰に教わったんだい?」
「さあ、誰だろう。俺にはあらゆる才能がなくてね。
昔、殺しの術を教えてくれた人がいたんだ。彼はいつも明るく俺に教えてくれた。殺しの術だけじゃない、人として大切なことを」
「へえ、それは……その人はすごく親切な人だったんだろうね。僕みたいな凶悪な殺し屋とは大違いだ」
裏の世界に顔を出す者で、ハドリッツの名を知らぬ者はいない。
任務の成功率は100%、失敗はあり得ない。かつて名を馳せた英雄も、一国の首相も、彼の毒牙からは逃れられない……最強の殺し屋。
「君の生はここまでだ、レヴハルト・シルバミネ。己が不運を悔やむがいい」
「……ふっ」
「……そこ、笑うとこかい?
僕らはいま命の奪い合いをしているんだよ?」
空笑いするレヴハルトに眉を顰めるハドリッツ。
レヴハルトは黒ヶ峰に力を籠める。凄まじい殺気が溢れ出し、ハドリッツは身構える。これまで相対してきた者の中でも一番の殺気だ。
しかし、彼は殺気に中てられて怯むことはない。
「忘れたか。俺は殺し屋。
君が絶対に暗殺を成功させる化物だろうと──この刃、必ず首を落とす。
紅き華、咲かせてやろう。立派な墓、建ててやろう。紅の化粧を俺と分かち合おう、塗りたくろう」
もはや言葉は必要ない。ただ相手を殺すのみ。
本物の眼光が彼らの瞳に宿った。
先に動いたのはハドリッツだった。
彼の姿が消える。
いや、凄まじい速度で動いているのだ。豪風、雷、何するものぞ。斬撃は何よりも速く振り抜かれた。
鉄を打ち合う音が月下に響く。左刀でハドリッツの斬撃は受け止められた。
「しっ!」
己の攻撃が見切られ、ハドリッツは咄嗟に身をよじる。
彼の眼球の直前を右刀が掠めた。眩い銀閃。
街灯の光を反射した刀身が鈍く光る。
ハドリッツはナイフを地面に突き立て、それを軸として蹴り上げる。
しかし、極限まで錬磨された刀身の動きは追撃を許さない。反射する光に攻撃を妨害され、蹴りは空を切った。
(レヴ……光の反射まで計算しているのか……!)
レヴハルトの動きは無駄だらけ、隙だらけ、風変りなように見えて計算され尽くされている。
揺らぎ、掴みどころのない肢体。蹈鞴を踏むような足捌き。
そして──
空を蹴ったハドリッツが着地すると同時。レヴハルトは飛び上がった。
急激な魔力の膨張。微かな風が地面に吹くと共に、彼は二刀を振り抜く。
「遍く灰塵、疾く眠り給へ。
シルバミネ第二秘奥──《鏖殺》」
殺意を運ぶは、清らかなる風。屍山血河を築き上げ、無垢なるままに死を運ぶ。
数多振るわれた死の断罪は、人の首を絹糸のように撫でつける。
簡易的な魔術で気流を司った後、周囲の全方位に斬撃を飛ばす秘技。
動けども必中。迎え撃てども必滅。
かつて人命を狩り尽くしたレヴハルトの秘奥義が放たれた。
「《暗獄の帳》」
ハドリッツは術式を展開。レヴハルトの技は事前に把握済みだ。
彼の姿は影となって掻き消える。
闇と空魔術の複合により、彼はレヴハルトの背後へ転移した。
【シルバミネ秘奥】は第九の技まで存在する。
そして、ハドリッツは事前の分析で第一秘奥と第七秘奥以外は頭の中に入れている。逆に言えば、二つの技はどれだけ漁っても発見できなかった。
ハドリッツはレヴハルトの背後から暗黒の刃を飛ばす。
その数、二百。一つ一つが屠龍の威力を誇る。
「……!」
レヴハルトの判断は速かった。遠き過去、いつかのどこかでハドリッツの技に見覚えがあったのだ。
彼は後方へ飛び退く。そして過去の経験に基づき魔刃を迎え撃とうとするが……
「開示──《断絶の釜》」
飛び退くレヴハルトの背後に、巨大な穴が出現。
ブラックホールを思わせる深き漆黒。人の身では抗えぬ引力。
ハドリッツの切り札……《断絶の釜》
標的を暗黒の領域に引きずり込み内部で挽き潰す。
すなわち、文字通り『抹消』する。
「ここまでのようだ。標的の消滅を確認。
……さようなら、レヴ」
レヴハルトは静かに暗黒に呑まれ、その姿を消した。
ー----
「ぁ……」
暗闇に呑まれる直前、あの日のことを思い出した。
俺が追放され、裂け目に飛び込んだあの日。何もわからぬまま、わずかな望みを胸に、空間を斬り裂いたんだ。
あれから記憶が飛んで、どうなったんだっけ。
思い出せないんだよ。どうしても。
だが、俺はどうしてかバトルパフォーマーとして生きていた。
ヨミが傍にいた。
契約を果たすためにレヴリッツ・シルヴァとして生まれ変わった。
『依頼者は私。私は、私を殺してくれるようにあなたに依頼を出す。
いつか契約を履行して。あなたが本当に殺し屋ならば』
あの日の契約、もういっかいの約束。
契約を果たし、この傀儡が何を思うか、そして報われるのかどうかは定かではない。
しかしながら……契約を履行する望みを捨てた時。この心は死に、動けなくなることは明らかであった。
もう一度君に会いたい。
戦いたい。執念がこの身を駆り立てる。
「っ……!」
圧倒的な重圧が全身を抉る。魔力欠乏で視界が明滅。
しかし回復などに割く魔力はない。この暗黒の帳から抜け出さなくては。
『レヴハルト。あなたは進み続けなさい。
私たちは愚かながらも、幸福を夢見た。
たとえ世界が地獄へ変わろうとも、生きている限りは……』
すごく大切な人の言葉だ。
ハドリッツと同じくらい……いや、きっとそれ以上に大切な人かもしれない。
「……っ」
魔力を身体に通そうとしたが、拒否反応が出る。この技を使うにはもう魔力が足りない。
全身からの出血で魔術回路も上手く機能していないようだ。
……だから何だというのだろう。俺は契約を果たさなくてはならない。
構える二刀、『黒ヶ峰』の左刀は生命力を操る。これを使えば傷は癒せるが、起動にも魔力が必要だ。非才の身に生まれた宿運を呪う。
「…………クソ」
もう動けない。いや、動かなくては。
全身が重圧に悲鳴を上げる。彼方まで広がる闇の先、微かに見える外の景色が俺を嘲笑っていた。まだまだこの闇の帳からは出られぬと、そう嗤っていた。
黒ヶ峰を持つ手がだらりと垂れる。
今回は諦めたわけじゃない。もう動くことができないんだ。
「動けよ……」
動けよ。
立たないと、断たないと、俺は彼女の元へ辿り着けない。
ヨミと再び笑い合えない。
リオートのことを馬鹿にできない。
ペリ先輩と騒げない。
心が望んでいるのに、情意が叫んでいるのに、身体は鉛のように重くて。
身体から流れ出る血が舞う。俺の血を吸って闇が喜んでいた。
意識が朦朧とする。駄目だ、こんなところで……死ぬわけには、いかない。
死んでは、やらない。まだ、
「ま、だ……」
どうして。
どうして俺は、こうして死ぬんだ。
どうして俺は小さな契約も履行できないんだ。
どうして俺は生まれてきたんだ。
どうして俺の身体は動かないんだ。
どうして……俺は涙を流しているんだ。
──それが生まれて最初に流した涙だった。
人生で二度目の『死にたくない』という感情の発露だった。
痛い、痛い、痛い。
全身をひねり潰すように重圧が強くなっていく。肉を圧し潰されるのだ。
俺がいままで、たくさんの人の命を奪ってきたように、殺されるのだ。
当然の報いではないだろうか。
殺人を悪だと思ったことがない……なんて嘘。
目を背けていたんだ。自分を人形だと思い込んで、見て見ぬ振りをしていた。
とっくに気がついていたんだ。
俺には幸せに生きる権利なんてないと。咎人は裁きを受けて死ぬべきだ。
今、その瞬間が──
『レヴ……私はレヴのことが好きだよ。
だからレヴが苦しんでいると、私も苦しいの』
……ここに在るはずのない声が聞こえたんだ。
いつかヨミが語った言葉。
そうだ。俺に死ぬことは許されない。
約束したんだ。
『いいよ。俺が強くなったら、君を殺しに行く。誓おう。
ソラフィアート・クラーラクト、その名前を忘れないよ』
『……ん。レヴハルト・シルバミネね。
覚えておくから……契約』
必ず天上に咲く、麗しき華へと辿り着く。
あの日の剣舞を取り戻す。
だから、
「生を夢むは……我が罪過。かたり、かたりと……鍔鳴ひびかせん。
シルバミネ第一秘奥──」
まだ死ぬわけにはいかない。
暗黒へ閉じ込められ、全方位から重圧が押し寄せる。回避不能、防御不能。
さすがは世界一の殺し屋ハドリッツ・アルヴァの術だ。
ならば、死ぬ前に死んでやろう。
「──《活殺》」
シルバミネ家に伝わる『黒ヶ峰』
二振りの刀が操るは生と死。右の刀で己の心臓を刺し貫き、左の刀を引き抜いた傷口に刺し込む。
刀を振るうと体の傷は塞がり……全方位から迫った重圧は消えていた。
対象を意識がありながらも『死んだ状態』にする秘術。生と死の狭間に揺らぐこの間、如何なる攻撃も寄せつけない。
長く使いすぎると本当に死ぬが。
首を斬らねば本当の意味で人が死ぬことはない。俺の首はつながっているぞ、ハドリッツ。
暗黒の帳から抜け出し、奴の背を狙う。
緩慢すぎる。相変らず君はのんびりしているな。
一瞬で着物姿の背中が迫る。
父を殺した時と同じ。
距離を詰め、殺意なく刀を振るう。
薄い筋肉を裂き、七つの頸椎を断ち切る。ゴムの繊維を引き千切るような感覚……首落とし。
「……美しい」
生首は最期にこちらを見て、そう言葉を紡いだ。
一切の痛みなく、慈愛に満ちた死を与える。
本当に……せめて彼は苦しまずに殺してやりたい。
「──御免。安らかな死を、ハド」
俺の方が死を与えるのが上手かった。
それだけだ。
口に飛び入った彼の鮮血を、吐き出さずに飲み込んだ。
自然と涙があふれていた。




