17. 人間になった日
「これは酷いな……どうしてこうなった」
ハドリッツはニュースを見て渋面した。
『恐怖!15歳の少年が連続殺人』
『竜殺しの家系──尊属殺人 レヴハルト・シルバミネの心理とは?』
『首狩りの怪物……血みどろの徘徊者』
『英雄エシュバルト・シルバミネの死 広がる悲しみの声』
レヴハルトが父を殺害してから、国内はそのニュースで持ちきりになった。
曰く……半狂乱のレヴハルト・シルバミネは父親の首を掴み、夜の街中を闊歩したらしい。譫言を呟き、彼は道行く人々を恐怖に陥れた。
国も庇い立てせず、彼を切る方針へ移行。
エシュバルト・シルバミネを殺せるレベルの狂犬を擁しておくほど、シロハ政府は度胸がなかったのだ。彼のこれまでの殺人を発覚させ、重罪人として処する腹積もりだろう。
ニュースを眺めるハドリッツの傍では、政治家が呆れたように煙草をふかしていた。
「やれやれ……まさかシルバミネ家をわが国が失うとはな。これは重大な損失だぞ、ハドリッツ。
たしかあの小僧はお主の犬であったろう? まさかお主が仕向けたわけではあるまいな」
「まさか。いえ、僕もエシュバルト様の方針は危ういと思っていたのですよ。彼の素晴らしい教育方針は、愚息を育てるにはいささか完璧すぎたのです」
自分のせいだろうか……ハドリッツは自責の念に駆られる。いつの日か、自分のかけた言葉。あの言葉がレヴハルトに呪いを残した可能性もある。
きっとレヴハルトは壊れたのではない。
何かしらの目的があって父を殺したのだ。
「……まあよい。速やかにレヴハルトは処分される。
最後に会って来てはどうだ?」
政治家の言はハドリッツに鎌をかけたものだった。
無論、政治家の真意に気がつかない彼ではない。
ここでレヴハルトを庇うような真似を見せれば、ハドリッツも処分される。
処分。つまるところ、死刑。
この国では死刑が禁じられているので、実質的に等しい刑罰が与えられる。
生存確率0%の死地への追放だ。
「いえ、結構です。僕とアレは赤の他人。
何も残す情はありませんとも」
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『判決を言い渡す。
主文、被告人レヴハルト・シルバミネを──追放刑に処す』
静かな日だった。
まるで国中が寂寞の海に沈んでいるかのような陰鬱さが漂う、白昼夢。
ニュースを聞いたヨミは、思わず絵画に向けていた筆を取り落とした。
レヴハルトが逮捕されて以来、彼女は気が気でなかった。食事も喉を通らず、眠ることすら不安が許さず、ひたすらに昏い感情を絵画にぶつけることしかできず。
レヴハルト・シルバミネの追放刑。
彼が殺人を犯して捕まったことは聞いていたが、ヨミは何かの間違いだと信じていた。絶対に彼は私利私欲で人を殺める者ではないと。
本音を言えば、レヴハルトが暗殺をしていることには気がついていたし、それが国からの依頼であることも知っていた。
彼はただの操り人形だった。
ヨミに対してのみ心を向ける、哀れな人形であった。
「行かなきゃ……」
彼女は度を失って駆け出した。
ヨミ・アルマに光を与えたのは誰か。愛を教えたのは誰か。
ただひとり、彼女を人として扱ってくれたのは誰か。
他ならぬ、レヴハルトである。彼女の希望はただひとり。
『ヨミ、ごめんね。
俺は君にいらない光を与えるために、嘘をずっと吐いてたんだ。
今はまだ話せないけど、いつか話すから……俺を赦さないでくれ。
その瞳は……彼らの血で出来ている』
いつの日か。
レヴハルトは彼女にこう言った。
だが、それは大きな間違いであるとヨミは伝えなければならなかった。
彼のくれた光は見えるモノではない。彼の存在そのものが、孤独であった彼女の光なのだ。
全ての真実を知り、なおも彼女は少年を赦す。
たとえ世界の全てが彼の敵に回ろうとも、彼女だけは死ぬまで彼の傍にいなければならない。
「だって……」
まだ、レヴハルトの本当の笑顔を見たことがないのだから。
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目隠しをされながら、異変に気がついた。
振動が小さくなった。そろそろヘリが目的の座標に着いたのか。
「……到着だ。これよりレヴハルト・シルバミネの追放刑を執行する」
目隠しが外される。下には真っ白な裂け目が広がっていた。
裂け目からは眩い光が漏れ出ている。
──『愚者の海』
海にぽっかりと開いた謎の亀裂。
あの先に何が広がっているのか、どのような作用で海に裂け目が出来ているのか……すべてが謎に包まれている。
あの先へ飛び込んで帰って来た者はいない。そうだ、死ぬんだ。
俺はこれより、その裂け目の中に落とされる。
まあ、アレだ。火口に落とされるみたいなものだ。
「さあ、来い」
ヘリの扉口に立たされ、手足を縛っていた縄が解かれる。
ここで抵抗する者もいるそうだが、俺は別に抵抗する気なんてなかった。生きる気もなかった。
教誨は必要ない。後悔はない。憎悪もない。何もない。
「…………ゆけ」
言われるがまま、重力に身を委ねる。
目を背けず、何も考えず、堕落する。不思議なくらいに肌を撫でる風を感じることはなかった。
ヘリがこちらの様子を観察することもなく去っていく。
もうすぐ、死ぬ。
これが傀儡の成れの果て。生まれたその瞬間から、俺はこうなる運命だった。
仕方のない因果だ。
「…………」
どんどん裂け目が近づき、眩しさに思わず目を逸らす。
そして……熱い。裂け目に近づくほど熱気が強くなる。
空間の先からは奇妙な音が響いていた。何の音だろう。
ああ、死を呼ぶ鳴動が聞こえる。
「……」
動かない。動く気が起きない。
そのまま裂け目を潜る。不思議な浮遊感が身を包んだ。
落下しているのではない、自分の身体が食われている。
いや……身体だけじゃないな。
……意識が朦朧としていく。自分が何者であったのか……忘れていく。
記憶も食われているのか。どうでもいいな。
漂白に身を預け、生涯を振り返る。
実に空虚な人生だった。なにもない。
人を殺し、魔物を殺し、人を殺し、人を殺し、畏れられ、時にヨミと笑って、人を殺し、父を殺し、憎悪された。
……うん、これだけだ。ヨミには悪い事をしたな、どうか君は息災で。
「…………」
さむい。あつい。
みえる。みえない。
俺は誰かを幸せにできたのかな。
ハドは今頃なにを思っているのだろう。
結局、ヨミにも要らぬモノをあげてしまった。
……そういえば、何か忘れている気がする。
なんだったかな。俺の空虚な人生に置き忘れたものなんてないはずだけど。
でも、ないか……
「……ああ、契約か」
ぼそりと呟いた。
ソラフィアートと名乗る少女と交わした契約。彼女を殺すと、約束した。
俺はいつか約束を果たそうとしていたんだっけ。でも、俺みたいな人形が抱いていい感情ではなかったな、アレは。
彼女にも謝らないと。契約を果たせなくてごめんって。
もう覚えていないか。
「……?」
この感情はなんだろう。どこか懐かしくて、どこか忌まわしい。
胸の奥が沸き立って、落ち着いていられない。
たぶん、だ。
心に乏しい俺が人間の感情を模倣して喩えるならば。
「──あこがれ」
そう、あこがれ。
俺はソラフィアートに最初に会った時から、彼女に憧憬を抱いていた。
彼女を越えたいと思ったのだろう。
『依頼者は私。私は、私を殺してくれるようにあなたに依頼を出す。
いつか契約を履行して。あなたが本当に殺し屋なら』
……どうして俺は、こんなに昔のどうでもいい言葉を覚えているのだろう。
あの瞬間が忘れられない。もう一度彼女と刃を交えたい。
きっと、そうなんだけど。
いいや……違うな。
俺は……さっき嘘を吐いた。後悔、一つだけあったんだ。
もういっかい。もういっかい。もういっかい。
「もう、いっかい……」
あと一度だけでいい。あの美しい技を受けて、それを越えてみたい。
要らぬ情意を持った。
──俺は初めて顔を上げた。
目前には眩い白い光。完全に呑まれれば、俺は。
きっと契約を果たせない。
「……シルバミネ第四秘奥──《禁殺》」
虚空より二振りの刀を取り出し、空間を斬り裂く。
我が剣筋は眼前の白光を斬り伏せた。
「ああ……そうか。
俺はあの日、人間になっていたんだな」
もはやこの身は幽鬼。
ただ一つの契約を、約束を果たすために。
──この地獄を生き延びる。
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「……ヴ! レヴ!!」
「っ……」
……あれ。俺は何をしていた?
ヨミだ。泣きはらしたヨミが、俺を覗き込んでいた。
「ヨ、ミ……?」
「よかった、レヴ! 無事で、本当に……」
温かい抱擁だ。
俺は見知らぬ森の中にいた。
傍には……よくわからない、光の壁があった。俺はその壁にもたれかかって、傷だらけの身体で倒れている。
「こ、は……」
ダメだ、声が出ない。
何もわからない。覚えていない。
追放されて、光に呑まれて。
それで……どうなったんだっけ。
「もう喋らないで……私が、私が救うから……」
「けい、やく……」
そうだ、契約を。
ソラフィアートとの契約を果たすんだ。
けど、どうしてかな。
身体が動かない。もう重くて動かないや。
「ねえレヴ、私ね。レヴに救われたから、レヴがいてくれたから……」
意識が遠のく。
安堵によるものか、疲弊によるものか。
とにかくヨミが傍にいることが、ひどく心地よかった。
今なら──永遠に眠れてしまいそうだ。
まぶたが徐々に落ちていく。
ヨミの声が聞こえなっていく。
「──スさんが──してく─た命、──んと──から……」
ああ、本当に。
俺は幸せ者だったな。




