16. 背愛~ソムキアイ~
結局、俺はやめられなかった。
一度買った地獄への切符は返却できない。
足元に広がる血だまり、刀身より滴る真紅。
殺して、殺して、殺して……
『君の人生は、君の選択で決めるんだ』
──二年前、いつの日かハドに言われた言葉を思い出す。
あれから色々と考えた。金が必要なくなった後も、俺は人を殺し続けた。
理由はない。自分で考えても、これ以外に生きる道を選べなかった。
きっと怖かったんだ。普通の人間に生まれ変わることが。悪鬼羅刹の如く人を殺めてきた俺が、真っ当な人生を歩めるだろうか。
今までに殺した人たちがずっと俺を見ている気がしてならない。
父上が俺をずっと監視している気がしてならない。
つまるところ、俺は殺し屋以外の生き方は選べない。
仕事の後始末を終えて、密会場所へ戻る。
政府の役人が待っていた。
「お疲れ様です、レヴハルト様。契約の履行を確認しました。
本当に……いつもありがとうございます」
「人を殺して政府に感謝されるなんて、この国はずいぶんと平和なんだね。お国の役に立てて何よりだ」
「ははは……綺麗事だけで社会は回りませんから。レヴハルト様と同様に、国にも表と裏の顔があるのです。あなたが我が国には必要なのです」
そうだ、俺は必要とされていた。
父上もハドも、数多の裏稼業の人々も、ひっそりと国を支えている。誰かが引かなきゃいけない貧乏くじを任されている。
「……失礼します」
だから……きっと許される。
俺は人殺しであることを、生まれた時から求められていたんだ。
ー----
「ただいま」
家へ帰る。
だいぶ帰りが遅くなったが、ヨミはまだ起きているらしい。リビングから光が漏れている。
「おかえりー」
「まだ起きてたのか?」
「うん、ちょっと仕事が終わってなくて……」
彼女は現在、イラストレーターの仕事をしている。
芸術センスなんて、クソほどもない俺からすれば大したものだ。何が彼女の芸術性を焚きつけたのか……わからないな。
いつの日か、一緒に絵を描いた時のことを思い出した。
もう何年も前のこと。俺が全面的にヨミを補助して、下手な絵を仕上げたんだ。その日に撮った写真……まだ俺の部屋に飾ってある。
「そういえばさ、昼間レヴにお客さんが来たよ」
「ん、誰だ?」
「エシュバルトさん。レヴのお父さんでしょ? すごいね、あんなに有名な人がお父さんなんて」
父上が?
この家に来るのは意外だった。正直、ヨミには近づいてほしくないのだが。
「……父上は何と?」
「えっとね、明日実家に来いだって。お話があるって言ってたよ」
「そうか。きっと竜殺しの仕事が新しく来たんだろうな」
父上が表の仕事で話を持ち込むとは思えない。恐らく裏仕事の件で、何かしら重要な話があるのだろう。
そういえば父上と話すのは何年振りだったか。子どもの頃からずっと言葉を交わしていない。
今の俺は……少なくとも腕は一人前を自称できるようにはなった。
敗北すれば首が飛ぶような呪いも【黒ヶ峰】に付与されている手前、何としても遅れを取るわけにはいかなかったんだ。
シルバミネ家に伝わる秘奥を統べ、竜殺しと人殺しの術を究めた。
父上は……俺を認めてくれるだろうか。
「レヴ。明日は気をつけてね」
「ん……? 気をつけるって何を?」
「あの人、私は怖いって思ったよ。レヴとは真逆。
きっと精神の源流が違うんだろうね」
「……父上は立派な人だよ。俺よりもずっと。心配はいらない」
数年前から、ヨミは時々意味のわからないことを言うようになった。
いや、俺が彼女の言葉の意を正確に汲めていないだけだ。
俺の心が貧しすぎるから。
俺が彼女へ向けた贖罪は、彼女に余計な光景を見せてしまったのだろう。あれだけ必死になって稼いだ金は無駄だった。
──こんな汚い世界をヨミに見せるべきじゃなかった。
彼女はタブレットに走らせるペンを止め、こちらを真紅の双眸で見つめる。
「レヴ……私はレヴのことが好きだよ。だからレヴが苦しんでいると、私も苦しいの」
「そうなんだ」
「エシュバルトさんの傍にはいない方がいい。私は断言するよ」
「そうか」
何を言われても、頭で理解するだけ。
彼女の言葉は俺の身体を動かさない。
だって、俺はもう戻れない道に進んでしまったから。
きっと契約を果たすことも、幸福に生きることも許されない。殺してきた無数の死体が……俺をずっと見ている。地獄で待っている。
「無理はしないようにね。疲れたらすぐに寝るんだよ。
俺はもう寝るから……お休み」
「……うん、おやすみなさい」
一番疲れてるのは誰なんだろうな。
このまま眠って、ずっと目を覚まさなければいいのに。
ー----
シルバミネ家。
自分の実家だというのに、敷居を跨いだことはほとんどなかった。懐かしさも何も感じない。
灰空の下、羊雲が俺を見下ろしていた。
巨大な竜の彫像がそこら中に目立つ。
この家が表向きは竜殺しの家系である証左だ。清掃員に頭を下げると、彼は目を丸くして俺を見ていた。シルバミネ家に俺がいること自体、相当に珍奇な光景なのだろう。
「来たか」
当主の部屋を訪れると、父上が常々変わらぬ面持ちで座っていた。
無表情と人前で見せる笑顔以外に、この人の表情は見たことがない。
「お久しぶりです、父上」
「座れ」
言われるがままに椅子に座って向かい合う。
父上は俺を凝視しているようだが、俺は彼と視線を合わせられない。
やはり緊張しているのだろう。
いったい何の話をするために呼ばれたのか……気がかりで昨夜もあまり眠れなかった。
「調子はどうだ」
「……最近は仕事も順調に成果を挙げています。シルバミネ秘奥も網羅し、ハドリッツから皆伝を受けました。
順調だと、思います」
何を基準として父上が調子の可否を聞いているのか。
明確な基準がわからない以上、自分で順調だと断言はできない。
後にして思えば、この時……俺は父から認められたかったのだろう。
馬鹿らしい話だが、愛されたかったのかも。
俺の返答を聞いた父上はそうか、と呟いて押し黙る。
沈黙が続いた後、再び彼の言葉が沈黙を破った。
「本題に入ろう。お前の様子を聞く限り、相当な腕前を身につけたようだ。幼少期はどうなるかと思ったが……ハドリッツの指導が上手くいったか」
「はい」
ひとまず安堵する。
技術は一人前だと認めてもらえたようだ。最大の不安を取り除けたことで、俺の緊張は和らいだ。
「シルバミネ秘奥、及び黒ヶ峰の継承。確実に依頼を成功させる手腕、判断力。表社会で顔を立てるための竜殺しとしての身分。すべて申し分ない。
……レヴハルト。シルバミネ家の当主を継げ」
「……!」
正直、予想していた答えではある。
シルバミネの血筋はこのシロハ国において重要な地位を占めている。面倒事を解決するための殺し屋として。
そう、我々は必要な人間だ。
国を守るため、平和を守るため。犠牲を生み出すのが我々の役目。
大義があれば、殺しの道を歩むことを正当化できる。
今まで俺を苦しめていた……無意味に思える殺し。それらすべてが意味を持った正義となる。
もう苦しまなくていいかもしれない。きっと解放される。
「……承知しました。俺に資格があるのならば、当主を継ぎます」
だから答えてしまった。
もう考えることは嫌だったから。
俺が承諾した瞬間、父上の顔がわずかに綻んだ。
初めて見る表情。彼の感情の機微を見れることが、俺にはひどく嬉しくて、情けなかった。
「よく言った。ハドリッツに育てられたお前と私とでは、いささか流儀の異なる点もあろう。承知の上、シルバミネの血筋を継続させよ。
お前が当主を継いだ暁には、自らの流儀に従って殺しを続けよ。シロハ国にとって……シルバミネの血筋が継続すれば、何でも構わん」
「はい。全霊をもって臨ませていただきます」
仕方ない。
生涯を紅に染める覚悟を……いつか決めなければならない。わかっていたんだ。
「その上で、いくつか始末をつけておかねばならない事項がある。不安の芽は摘んでおかねばな」
不安の芽。
俺は未熟だから、父上が何かを憂慮するのも当然だろう。
「お前の素性を知る人間はいるか?」
「……素性、ですか。政府の一部役人や、殺し屋の同業者は知っています。
殺し屋の側面を持つレヴハルト・シルバミネを」
裏社会でシルバミネは有名だ。良い意味でも悪い意味でも。
絶対に標的を仕留める死神の家系。
「──ヨミ・アルマ。彼女はお前の素性を知っているな?」
「……は?」
今……何と言った?
ヨミが俺の素性を知っているって?
「いえ、知らないはずです。たしかに彼女と同棲はしていますが、仕事は竜殺しとして説明しています。何も問題はありません」
「いや、知っている。昨日、私は彼女とわずかに接した。
私がシルバミネ姓を名乗った瞬間に彼女は殺気に対する警戒を見せた。ただそれだけの根拠だが、断定するには十分だ」
あり得ない。俺は一度も殺し屋としての側面を、ヨミに見せたことがない。
そもそも彼女が俺の素性を知っていたとして何になる?
何も問題は、
「──ヨミ・アルマを始末しろ。今後、お前が当主として過ごす上での障害にしかならん。
アレを殺すことが当主となる条件だ」
「」
あり得ない。
我らがシルバミネ家は、正義のために血に塗れる定め。でも正義って何だろう。
理屈ではわかっているのに、心が理解を拒否している。中空で情と倫理がバラバラに乖離して、拾いきれない。
苦しい。
「父上、ありがとうございます」
立ち上がって一歩、踏み込んだ。踏み込んでしまった。
無意識に染められた死の舞踏。自分が足を動かした理由はわからない。
俺に殺意はなかった。
きわめて穏やかで、無心なる一撃。明鏡止水の心持で身体を倒した。
故にこそ、彼も一閃を回避できなかったのだろう。
いつしか俺は刀を振り抜き、父上の首が暗い室内に舞っていた。
くるり、くるり。
何が起こったのかわかっていない父の瞳が、宙を舞いながら俺を見つめていた。刮目し、俺をただじっと見つめて。
首が飛んだから……死だ。
鮮血が口に飛びこみ、吐き出すことなく呑み込んだ。
それが俺にできる、せめてもの情けだった。ごめんなさい、父上。
「──俺は、貴方を愛していなかった」
道具に人を愛する心があるものか。
感情なくして愛はなし。
俺から心を奪ったのは、一人の人間としての幸福を奪ったのは──
「ははっ……ああ……」
小さな笑いが嗚咽に変わり、そして嗚咽がまた哄笑へ変わった。
「あは……ハハハハハッ! ゴホッ……ハハハ、ヒヒッ!」
血が喉に絡んで噎せ返る。
結局、俺は誰かを殺すことでしか幸せになれない。
生まれた時から……定められていた宿命だ。
「──!」
誰かの悲鳴が背後から聞こえた。
どうでもいいや。俺は笑い続けた。
血が滲む空気を吸っては吐いて、噎せ返って。
ひたすらに、自分が『解放』された喜びに打ち震えていた。




