自称ドラゴンスレイヤーの俺、竜を討伐しに行ったら何故か竜の娘と暮らすことになりました
俺は竜を狩るもの――誇り高きドラゴンスレイヤーの末裔だ。
竜を狩り、国を護る。
それが俺にとっての正義であり生きる意味なのだ。
なのだが……。
「おにいちゃん、はい、あ~ん♪」
「イルルはすぐそうやって……あ~ん」
「ふふっ、美味しい?」
「ああ、こんがりと焼けていて塩加減もちょうどいい……本当にうまい肉だな! これは何の肉だ?」
「えへへ、イルルの尻尾♪」
「ッッ!?」
吹き出しかける俺をニコニコとして見つめてくるのは、赤い髪をハーフアップに束ねた10歳くらいの外見の小柄な少女だ。
ただ、髪に隠れてよく見えないのだが、注意深く観察するとその頭には小さな角が2本ついている。
そう、彼女――イルルは竜族の少女であった。
竜を狩り、国を護る。
そのはずだったのだが、今ではイルルと二人きりで過ごす毎日が続いている。
どうしてこうなった……!
俺は頭を抱えて、数ヶ月も前の記憶を辿っていた。
■
その日、王都はお祭り騒ぎであった。
『竜狩りさまがんばって!』『悪い竜をやっつけてね!』
子どもたちが無邪気に声をかければ、
『必ず無事で帰ってこいよ!』『俺たちの生活はお前にかかってんだ! 忘れんな!!』
と、大人たちが叫ぶ。
騒ぎの中心にいるのが、この俺――ギルだ。
今日は王都にとって最も大事な日、<竜刈りの儀>が行われる日であった。
「ギル、必ず竜を殺せよ。お前はそのために鍛錬を重ねてきたのだろう」
多くの国民に見守られている。
王都の広場に設置された祭壇で、国王が俺に声をかけた。
「……王様」
「む?」
「竜は、必ず殺さなきゃいけないのでしょうか」
「……迷っておるのか」
「それは……」
竜を狩る。そのために俺は鍛錬を積んできた。
だが、大好きだった父が残した遺言。
それが頭から離れない。
俺は――迷っていた。
言いよどむ俺を見て、国王は「なるほどのう」と言い蓄えた長いひげを撫で付けた。
「ギル。お主は両親を早くに失ってから、一人で生きてきたのじゃったな」
「……はい」
「あちらを見てみよ」
促されるままに視線を移せば広場の片隅で、みすぼらしい格好をしたたくさんの子どもたちが憧れの目で俺を見つめていた。
「我が国は貧しい。これも全て竜が我が国を苦しめてきたからこうなったのだ。放っておけば竜は必ず国をまた苦しめる……そうなれば国はもう持たぬ。あの子どもたちも到底生きては行けぬだろう――お主は、自分と同じ苦しみを、寂しさを、彼らにも味わわせるつもりか?」
「子どもたちが……くっ」
「役目を果たせ、父のように」
「分かりました、我が王よ」
言いたいことはたくさんあった。
でも、それら全てを飲み込んで俺は王都を発った。
たくさんの声援と期待に見送られて。
向かうは竜が棲む山――ニブルヘイム。
遠くに見える山は黒く厚い雲に覆われている。雷鳴が轟くのが見えた。
■
俺は代々、竜を狩ってきた一族の末裔だ。
尊敬する父もまた、竜を狩り無事に生還した英雄であった。
竜の鱗や牙といった貴重な戦利品をたくさん持ち帰った日。
街はお祭り騒ぎで誇らしい気持ちで一杯になった。
だから、余計にわからなかった。
父がその日、何故悲しげな顔をしていたのかを。
それから父は病に伏した。
別れの瞬間、父が言い残した言葉があった。
『よく聞け、ギル。もし、その時が来たならお前はお前の道を行け。国も、家も……俺のことも関係ない。お前が進みたい道を行くんだ』
数年がたった今も、俺にはその言葉の意味がわかっていない。
ニブルヘイムの麓へと着いた。
鍛錬のため、数万もの回数を振るった槍を握りしめる。
(わからなくても進むしか無いんだ。国が、みんなが俺に期待しているんだから)
■
俺は普段から父の手記をお守り代わりに持ち歩いていた。
一族が集めた竜に関する伝承や噂。父が集めた鍛錬の日々から始まり、竜を倒す瞬間までを記した手記。
子供の頃は寝る前に何回も読み直して、そのスケールの大きさに興奮したものだ。
それによれば、竜はニブルヘイムの中腹にある洞窟に潜んでいるという。
山の天気は変わりやすい。
滝のような大雨にうたれながら、険しい山を登り続ける。
果たして、中腹には洞窟があった。
ゴクリと生唾を飲み込む。
定石であれば竜に気取られぬよう忍び込み、致命傷を狙うに決まってる。
だが、俺は誇りあるドラコンスレイヤー。
そんな姑息な手は使わない!
洞窟へ入るやいなや、大声で叫ぶ
「ドラゴンよ! 己の誇りをかけ、いざ尋常に勝負!!」
『しょうぶ……しょうぶ……しょうぶ……』
反応がない。ただ、洞窟に反響した俺の声がむなしく響いた。
え? いないな、ドラゴン。
と思った矢先、ある物音が聞こえた。
『コホッ……コホッ……』
それは、誰かが咳き込む声のように聞こえた。
洞窟の奥からかすかに聞こえてくる。
誘われるままに進んでいくと、わずかにオレンジ色の光が洞窟の奥にある岩影から漏れ出ている。
「……なんだ? 誰かいる……のか?」
槍を握りしめる手に力が入る。
警戒していた俺だが、あることに気づいた。
咳の音がとても苦しそうなことに。
父が死ぬ前、こういう咳をしていたからよく覚えている。
……困っている人がいるなら助けなければなるまい。
意を決して、岩陰に飛び込んだ。
そこは――。
俺は一瞬、全く別の場所に来たのかと目を疑った。
岩陰の中には部屋のような空間があった。
しかも、魔石燈によりオレンジ色に照らされて明るい。
ソファやタンスなど。
家具もたくさんあり、どこぞの大貴族の部屋にでも迷い込んだかのように飾られている。
部屋の隅には巨大なベッドがあった。
咳の主はその場所にいた。
高そうな寝間着を纏った赤い髪の少女が、コホコホと苦しそうに咳をしていた。
蒸気した顔から熱があるのだとすぐに分かった。
疑問はいくつも浮かぶ。
が、それどころじゃない。まずは手当だ。
「おい、そこのお前。大丈夫か?」
声をかけると、少女はうっすらと目を開き潤んだ瞳で見上げてきた。
「……? おじさん……だあ、れ?」
「おじさん!? 俺はまだ19歳だ!」
「ひゃう!? ごめん、なさい……」
「ああいや。こっちこそ大声ですまん。俺はその……通りすがりの冒険者だ」
「えと……とおいところから、よう、こそ?」
少女は不思議そうな顔をする。
「ああ、これはどうもご丁寧に」
「……(お辞儀)」
物怖じしてないあたり、この子は意外と元気なのか……?
「ケホッ、ケホッ……!」
と、そんなわけがなかった。
俺は昔から鍛錬のし過ぎなどで体調を崩すことがよくあった。だから、少しなら医療の心得も持っている。
「悪いが、少し触るぞ」
少女のおでこに手を当てると、火傷しそうなくらいに熱い。
これは、早く熱を覚まさないと危ないかもしれない。
「待ってろ、熱に効く薬草を探してくる」
「……あぶないから、いい……イルルはだいじょうぶ」
イルル……多分、この子の名前か。
確かにニブルヘイムはあぶない。それなりに手強いモンスターも多く潜んでいる。
だが、こんな小さな子を放っておくわけには行かない。
「大丈夫だ、お兄ちゃんは強いからな。美味しい薬草スープをつくってやるから楽しみに待ってろ」
イルルを安心させてやらなきゃいけない。
鍛錬ばかりしてきた俺だから、表情は上手く作れないかもしれないけど……
俺は出来る限りの満面の笑みを作ってそう言ってやった。
「おにい、ちゃん……」
「ん?」
「……笑うと、ちょっとブサイク」
おい小娘。
とキレかけたが、満足気な顔をしてイルルが眠り始めたので良しとしよう。
さて、俺は俺の仕事をしないとな。
■
数時間後。
俺は無事帰ってきた。
途中で崖から落ちたりモンスターに襲われたりもしたが、生きてればセーフだ。
イルルの部屋の近くを探すと、幸い竃や水の湧く泉もあったのでちゃちゃっと料理し薬草スープを仕上げた。
スープをイルルに渡す。
イルルが恐る恐ると言った面持ちで口をつける。
「旨いか?」
「……………………おいしい、よ?」
返事までに間があったような気もするが、熱のせいだろう。
「そうか、良かった! ならば俺も飲むとしよう」
自分の分に口をつける。
「!? まっず!? どうやったらこんなまずい物が作れるんだ! イルルはよくこれ飲めるな!?」
苦味と塩辛さと臭みが入り混じってとにかくまずい!
元気になるかもと、道中で刈ったタフなモンスターの肉やらなんやらを入れたのが災いしたか。
それとも、塩を間違って入れすぎたのが原因か……?
「あはは……お兄ちゃん、料理ヘタっぴ」
「すまん、具を薬草だけにしたやつを作り直してくるから」
俺が器をもらおうとすると、イルルは手放さない。
「だいじょうぶ。飲める、よ?」
そう言うと、コクコクと白い首元を鳴らして、スープを飲みほした。
「……もう一杯……!」
「もう無理するな! 涙目になってるぞ!」
「あう……」
「偉いな。あとは休んでればきっと治るから。少し眠ってろ」
「イルル、いっぱい寝たから眠くない……」
それもそうか。
俺が出る前から眠ってたもんな。
「あー……じゃあ少し話でもするか」
「うん!」
イルルはパアっと目を輝かせてコクリとうなずいた。
「ええと、イルルは何でこんなところに住んでるんだ?」
「イルル、生まれたときからここにいるよ?」
「そうか……お母さんとか、お父さんはいないのか?」
「お父さんはおぼえてない。お母さんはおぼえてる……でも、ずっとまえに……」
表情が陰る。
そうか、もしやとは思ったがやはり一人なのか。
俺も両親を早くに亡くしたから、その寂しさはわかるつもりだ。
「そうか……一人で頑張ったんだな」
「……うん」
「イルルは偉いな」
たまらなくなり、俺はそっと頭に手をのせ撫で付けた。
気持ちよさそうにイルルが笑う。
穏やかで平和な瞬間。
しかし、俺の心臓の鼓動はそれとは裏腹に高鳴った。
手のひらに伝わるイルルのしなやかな髪の感触。
そして、もう一つ。
――人にはおよそ無いであろう何か硬いものがそこにあった。
心のどこかでは分かっていた。
ニブルヘイムに普通の少女が一人で住んでいるわけがないと。
父の手記に書いてあった一節を思い起こす。
――竜は人に化けることが出来る。
見分ける最大の特徴は、頭に生えた2本の角。
俺が狩るべき相手がそこにいる。だが……。
(出来るわけないよなぁ……)
手のひらの下で眠り始めた少女の穏やかな顔を見て、俺は人知れずため息を付いた。
それから数ヶ月。
始めは熱が引くまでと思っていたのだが、放ってもおけずにずるずると。
俺とイルルの距離は縮まり、家族のように毎日を過ごして今に至る。
■
最近、イルルが髪型を変えた。
頭のところで2つのお団子を作っている。ちょうど角に巻きつけて作っているようだ。
それだけなら良かったのだが。
ある日、イルルが部屋から出てこなくなった。
様子を見るために入ろうとすると、
「はいっちゃだめ!!」
断固たる拒絶だ。
まさかこれが噂に聞く反抗期というやつか……!?
「そうはいっても、もう2日も顔をあわせてないじゃないか。お腹とか空いてないか?」
「空いてな――」
と言いかけたところで、クウと音が鳴る。
「――空いてない」
「無理があるだろ……ほら、簡単な食事を持ってきたから。入るぞ!」
「わわっ、ダメだって――」
部屋に入り、イルルと2日ぶりの対面を果たす。
それで、察した。
なぜイルルが部屋に入れてくれなかったのか。
それは、彼女の頭に乗る2本の大きな角が如実に表していた。
「見ちゃ、だめ……」
消え入りそうな声をだしながら角を手で隠して物陰にすっと隠れる。
そういうこと、か。
2本の角。それは俺とイルルを分つ象徴のようで。
だが、俺たちが違う存在だなんてのは初めから分かってる。
「安心しろ、なんとも思ってない」
「ほんとう……?」
物陰からひょこっと半分だけ顔を出してこちらを伺う。
「ああ。むしろ、カッコいいって。強そうだし俺も角ほしいくらいだ」
「カッコよくなんてなりたくないもん……」
「あー、すまん」
「……ギルおにいちゃん」
「ん?」
「イルルのこと……こわく、ない?」
イルルの顔に浮かぶのは、怯えだ。
拒絶されてしまうかもしれない。また一人になってしまうかもしれない――得体のしれない自分自身を怖がる子供の表情。
確かに初めの頃は怖かったかもしれない。
イルルが竜の娘だと分かった時の心臓の高鳴りを覚えてる。
だが、今の俺にとってこの子は妹のような存在だ。
怖いなんてありえない。
「ああ……家族をこわがることなんて、絶対にない」
「……! おにいちゃん……おにいちゃん……!」
イルルが俺に飛び込んできた。
思ったより力が強くよろめきかける。
だが、俺はしっかりと抱きとめた。
胸が涙で濡れるのを感じながら、俺は改めてこの子を守っていきたい。そう思った。
――その日の夜のことだ。
イルルは突然俺の前から姿を消し去った。
■
どうして。
どうしてどうしてだ……!
頭の中を疑問だけがひとり歩きする。洞窟の周りやあちこちを走り回ったが、イルルはどこにもいない。
なにか手がかりはないか……?
震える手で手記をめくる。
そして、見つけた。
竜はニブルヘイムのある場所を、神域として祀っているという。
きっとイルルはそこに――。
俺は荷物をまとめ、神域を目指す。
<竜の神域>。
それは、ニブルヘイムの頂上であった。
■
山を登る。
現れるモンスターが強くなってきた。
冬はまだ先だと言うのに雪が降っている。
きっと、ここから先は人が立ち入るべきではない場所。
それでも俺は、進まなければならない。
道なき道を進む。
吹雪が凄い。
伸ばした手の先も見えないほどの雪の嵐。
まずい……!
そう思った時には遅かった。
足元にあるべき地が崩れ、俺は白い雪の海へと吸い込まれた。
■
夢を見ていた。
それは、長い戦いの歴史。
王国の竜狩りと山の竜。
人と竜が織りなす憎しみの連鎖。
それは俺のよく知る歴史だ。
唯一つ異なったのはその始まりの部分。
王国の伝承では、竜が先に人を襲った。人が竜に抵抗したのが竜狩りの始まりだと言われる。
だが、その夢は違った。
人と竜は共に暮らしていた。
ある時、竜の鱗や牙が金になると知った人が、隣人である竜を襲ったのだ。
それでも竜は人を殺さず、哀れんだ。
そして、ニブルヘイムへと姿を消した。
執拗に追い続けたのは人だ。
ニブルヘイムに隠れ住んだ竜を人は刈った。
竜の哀れみはいつしか憎しみへと変わり……。
夢の終わり。
赤い竜と俺によく似た男――父さんが戦う姿が見えた。
目を開けると、吹雪は弱まっていた。
夢、というにはあまりにそれは現実味がありすぎて。
もし今の夢が真実だとしたら、俺のやってきたことは正しかったのだろうか。
■
ニブルヘイム頂上――竜の神域。
雪が降り積もり、霧も出ていてその全貌は伺いしれない。
見える範囲には蒼い氷石が散在し、中でも最も巨大なものは天まで届きそうな勢いだ。
その氷石の上に、彼女は座っていた。
「――やっぱり来ちゃったんだ、ギルお兄ちゃん」
あどけなさの残る声。
だが、そこに乗る感情は子供のものではない。
もっと長く時間を積み重ねたものだけが刻み込むことの出来る深みがあった。
「イルル、なのか?」
「そう。私はイルルヤンカシュ。それがお母さんのつけてくれた私の名前」
「俺の知ってるイルルは、自分のことを『私』とは呼ばないぜ?」
片手に握りしめた槍に力を込める。
額に脂汗がにじむのを感じた。
「あんまり怯えないでよお兄ちゃん――怖くないって言ったでしょう?」
「……! お前は一体何なんだ……?」
「ああ、本当にわからないんだ? 竜のことには詳しいと思っていたけど知らないんだね」
「……」
「竜はね、親から子へ記憶を引き継ぐ力を持っているの。だから私はお母さんに呼ばれてこの場所に来た」
「……イルルのお母さんはもう死んだはずじゃ」
「そう、死んじゃったよ。ある人間と戦って死んだ――ちょうどこの場所で、ね」
一際、強い風が吹いた。
霧がだんだんと晴れていく。
開けた視界のその先。
イルルの座る氷石の奥に鎮座する巨影。
赤い鱗に力強き双翼。
今にも動き出しそうな躍動感を持ったそれは――大竜の死骸だ。
「死んでもなお、力は残るか……竜というのは強いんだな」
「その人間も強かったよ。お兄ちゃんより大きくて、お兄ちゃんより年をとってて……でも、お兄ちゃんそっくりだった」
「……」
イルルの親を殺したのが父さんだった。
驚きはなかった。
だが、目を背けようとしていた事実を他ならぬイルルに突きつけられのは堪える。
心臓を握りつぶされるかのような感覚だった。
「私、わからないんだよ。私の中のイルルは、もっとお兄ちゃんと居たいって言ってる。でもね、竜としての存在が、あなたを殺せって言って聞かないの。人は私たちの敵だから」
海に漂う小枝のように。
寄る辺のない悲しみに満ちた表情。
叶うことならば、抱きしめてやりたい。頭をなでてやりたい。
だが、それをする資格が俺にはない。
彼女から家族を奪ったのは、他ならぬ俺の家族であって――人間なのだから。
人と竜。
憎しみの連鎖は絶たなければならない。
それはきっと、一緒に時間を過ごすことの出来た俺たちの役目だ。
「……決めたよ、イルル。戦おう。俺とお前で終わらせなきゃいけないんだこの不毛な歴史を」
「そっか。そういう人だよねお兄ちゃんは」
言うや否や、イルルの身体が宙に浮いた。
光が収束し、膨らみ、弾ける。
思わず目を閉じる。
まぶたを開いた時に眼前にあったのは、灼熱の如き赤い鱗を纏った巨大な竜。
『来なさい、ドラゴンスレイヤーの末裔よ。王国の守護竜が末裔――イルルヤンカシュが相手をしよう』
そして、人と竜の最後の戦いが始まった。
■
竜の爪が肉を切り裂く。
槍が鱗を貫き、灼熱のブレスが身を焦がす。
一進一退の攻防。
生と死。人と竜。自分と自分。
全てを賭けた戦いは、長く長く続き……。
――先に隙を見せたのは竜の方であった。
俺の渾身の打撃が、竜の鱗に叩きつけられる。
長い戦いに疲労したのか、グラリとその巨体が揺れた。
……! 勝負を賭けるなら、今だ。
俺は全ての気力を槍に集中させ、闘気を纏わせていく。
必殺の一撃。
その準備は整った。
竜までの道のりを走り抜けて。
脳裏にはイルルと過ごした数ヶ月が走馬灯のようによぎる。
短い時間だった。
でもそれは、自分の中の孤独を埋めるのには十分な時で。
きっとその時間は、俺にとってだけではなくイルルだって同じだったはずだ。
だから俺の選択は、戦いを始める前から決まっていた。
人と竜。
その憎しみの連鎖を断つならば……。
竜にとって、最も致命的なのは竜核と呼ばれる心臓を貫かれること。
竜核へ槍が届く。
その直前――俺は槍を手放した。
致命傷を与えられる。
そう理解した瞬間の動きは、人であっても竜であっても同じだ。
生きるための生存本能が、敵を排除しようとする。ただそれだけ。
そこには情も理屈も介在する余地はない。
ただ生きるために。
イルルの鋭い爪が、俺の顔を切り裂こうと目前に迫った。
訪れたのは暖かい感触。
死というのは、もっと痛いものだと思っていた。
それは苦痛と言うにはあまりにも優しく柔らかで。
清く、必死に生きてきた。
もしかしたら、最期にそう神が認めてくれたのかもしれない。
天使の訪れを感じ取り、俺は今際の瞬間を迎える。
■
小さな手のひら。
頬に触れたそれが、天使などではなくもっと俺がよく知るものだと分かったのは胸が濡れていることに気づいたから。
俺の胸にしがみついているのは――最愛の家族だ。
竜の爪が俺を引き裂くその寸前。
イルルはギリギリのところで竜への化身を解いたのだろう。
「死んじゃおうなんて、ずるいよ……イルルはもう、一人ぼっちになりたくない……!」
血に刻まれた憎しみよりも、イルルの想いはもっと強い。
死を選ぼうとした俺なんかよりもずっと真っ直ぐに、自分の道をイルルは選んでいる。
大人であって、そして――
「なんだよ……まだまだ子供じゃねえか」
俺はぎゅっとイルルを抱きしめた。
もう二度と彼女を手放さないように……それが自分の道だと分かったから。
■
イルルの部屋で俺たちはダラダラとしていた。
「あうう……筋肉痛」
「おいおい、竜ずるくねえか!? 俺とか身体中火傷とか生傷とかでもうやばいぞ? まじやばいぞ!?」
「その割に元気……ちょっとうるさい」
実は俺も言うほど、傷が深いわけじゃない。
いや、戦いが終わった直後は本気で死ぬかな―と思ってた。
だが、イルルが竜に化身できるようになったおかげで竜のうろこなどが取れるようになった。
昔から竜のうろこは特効薬の材料の定番だ。
俺みたいな素人が作った間に合せの軟膏でも傷には十分効いたのであった。
「……にしてもこれからどうするかねえ」
「一緒に暮らすんじゃないの……?」
潤んだ目でイルルが見上げてくる。
やめろ、その目は俺に効く。
「それはまあ決定事項だが」
「♪」
満足気に鼻を鳴らして、俺にしなだれかかって来た。
「……なんか重くなった?」
「バカ」
ポカポカと叩かれた。
「そうじゃなくてだな、俺の心情的にやられっぱなしは性に合わないんだよ」
「……王様のこと?」
「ああ。人と竜を対立させて、歴史をねじまげたのは王家の連中だ。それを放っておくわけにはいかない」
「いぎなしー」
「難しい言葉覚えたな」
「お母さんのきおく」
なるほど。発音がままならないのは、知識先行だからか。
「ともかくだ。そのために一つ俺に策がある。一緒に来てくれるか?」
「イルル、人間のことはわからないけど……お兄ちゃんのことは信じてる」
「ああ。俺に任せろ」
翌日、俺達は二人の過ごした部屋から旅立った。
■
ある日、国王のもとへ噂が届いた。
「王よ。最近、一頭の巨大な竜が飛び去ったとの噂が街に広がっております」
「ふん、捨て置け。我が王都へ来るのでなければ構うものであるまい。それより、竜刈りの息子の便りは無いのか?」
「ギル様のことでしょうか? 残念ながら、なにも」
「……使えぬやつよ。あやつは失敗したのかもしれぬ。次の竜刈りを育て始めよ」
「……はっ」
数カ月後、国王のもとへ噂が届いた。
「王よ、遠く南方の国にて、竜を駆る者の噂が流れているようです」
「なんじゃ、それは」
「巨大な竜に跨り、厳しい戦場に現れては苦戦した軍を勝利に導いていく傭兵がいるとか。気高く、弱気を助け強気を挫く。そのものの活躍は、詩人共の間で人気の歌になっているそうです」
「……市中に人をやれ。決してその噂が街に流れぬように。もし噂を流す輩が絶えないのであれば――殺してもよい」
「………はっ」
一年後、王のもとに届いたのは噂ではなかった。
竜を駆る男と巨大な竜。
そして、彼らがこれまでに旅の中で助けた人々が集い出来た軍勢であった。
破竹の勢いで王都を落とした彼らが求めたのは一つだけ。
竜と人の真実。
それを明らかにすることのみであったという。
■
それから数年が経った。
俺はいつものようにニブルヘイムのあの場所に帰る。
「ただいまー疲れた……」
「もう、ギルは寝てただけでしょ! 馬車みたいに私を使って!」
「その分、昼間は部下をしごいたんだよ……もう一歩も動けん……」
俺たちが王都から王を追放した後、国は共和国制へと移り生まれ変わった。
俺は人脈などを活用し国の体制を支えた。
その功績として、共和国の初代騎士団長を務めることになった。もちろん、イルルもセットだ。
最近じゃ『無敵の竜騎士』とかなんとか言われてるらしく、ちょっと恥ずかしい。
イルルはまんざらではないらしく、積極的に広めようとしているらしいが。
ベッドにバタンと倒れ込む。
「あー、手も洗ってないし着替えもしないで! 新鮮な野菜も買ってきたんだから、まだ寝ちゃダメだよ?」
「昔はイルルが寝てばっかりだったのになー」
「昔は昔、今は今でしょ! ほら、一緒にお料理しよ? ね?」
ちょっとお姉さんになったイルルが、買ったばかりのエプロンを付けて料理の準備を始める。
疲れた身体に眠気が忍び寄ってくる。
ダメだ、眠い。
「えー、お任せじゃだめか?」
「良いと思うのー?」
「……だな。よし、やるか!」
俺は勢いをつけてベットから飛び起きると、イルルの背を追った。
ご覧いただきありがとうございました!
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