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番外編 蛇の記憶。



「貴方が心から幸せだと思える日が来ますように」



灰色みたいな毎日だった。いや、赤だ。血の色だ。血まみれで、醜くて、苦しいだけの世界だと思っていた。


俺にそんなことを言ってくれた人間は、お前だけだった。



◆◆



俺の人生が決まった瞬間と言われれば、俺は間違いなく「自分が生まれた時」と答えるだろう。


生まれた時から決まっていた、呪いたいような人生だった。母親はクズ、父親もクズ。金はなく、悲鳴と怒鳴り声ばかりが響く家で俺は生まれ育った。こんな家庭に生まれて全うに生きる方が無理難題ってもんだ。


そして、そんなクズ親の血をひいた俺も、疑う余地もなくクズだった。


倫理観というものが生まれつき欠如してたんだろう。何が悪くて、何がいいのか分からなかった。何が悪で何が正義なのか。


分からねぇくせに、俺のとる行動すべては、運悪くすべて悪行に分類されるものだった。


食えるもんがなくてガリガリに痩せた俺を見て、ゲラゲラと笑った奴がいた。俺はソイツの顔を殴った。ムカついたからだ。


そしたらソイツは親を呼んできて、俺は怒鳴り付けられた。親が子供を守るものなんだと初めて知った。俺はどうして自分が悪いのか分からなかった。ソイツが俺をムカつかせたから殴ったんだ。


反省の色を見せない俺を見て、ソイツの父親は俺を殴った。「痛いだろう、君がしたことはこういうことなんだ」と彼は言った。


意味が分からなかった。殴るのが駄目ならどうしてお前は今殴ったんだ。よく分からなかったので、俺は近くにあった棒でその父親の頭を殴った。何も言わなくなった。


俺の親は怒った。やるならバレないようにやれと。処理が面倒だし、誤魔化すのも大変なんだ、と文句を言われ、ボコボコにされた。腹を蹴られ、頭を殴られた。次からはバレないようにやると俺は誓わされた。


何が悪いのか、どう悪いのか。分かる言葉で教えてくれる大人はいなかった。


そして、俺が十歳の時。俺の両親は学がなかったので、魔力というものを知らなかった。ある日、突然自分の手から蛇が出てきた時は驚いたものだ。


最初は精霊というものもよく分からなかったが、蛇は俺に対して攻撃をしてこなかったから、俺はソイツを相棒にすることにした。


人間みたいに苛つかせることは言わないし、俺が言ったことには忠実に従ったからだ。俺が高熱を出して死にかけた時も、蛇だけは側にいて俺のことを案じるように見つめていた。


蛇だけは俺のことを傷付けず、裏切らなかった。


神様からの贈り物だと思った。


俺があまりにも馬鹿で救いようがないから、可哀想に思った神様が俺にこれだけはくれたんだろう。クズじゃない親も、あたたかい安全な家も俺には贅沢すぎる。だけど、あまりにも可哀想だから、慈愛に満ちた神様はこれだけは与えてくださったんだろうと。


あの環境で俺が生きてられたのは、クソみてぇに頑丈な身体と相棒のおかげだ。別に生きたくもなかったけど、地獄に蛇をつれていけるか分からなかったので、俺は生きることにした。


欲しいものがあれば奪い取れ。ある日父親が言った。


俺たちはそうやって生きるもんなのか、と理解した俺は盗みを働くようになった。蛇が店の人間を縛り上げ、その間に俺は店の食い物を胃にいれられるだけ入れた。吐いたけど、いい気分だった。生まれて初めて腹一杯に食えたからだ。


このいい気分っていうのは最高の気分で、でもどういう名前の感情なのか、馬鹿な俺には分からなかった。


盗みは俺にとって"いいこと"だった。腹が膨れるから。いい気分になるから。


食べるだけ食べた後は、俺の姿を見た人間を殺した。バレないようにやれ、と約束したからだ。俺だと知られてはいけない。死体は袋に詰めて川に流した。


親が死んでも俺のやることは変わらなかった。欲しいものは奪い取れ、その言葉の通りに生きてきた。子供を殺し、女を殺し、男を殺し、老人たちを殺した。


それが駄目なことだと知らなかったのだ。…ソイツに会うまでは。



◆◆



出会ったのは、ソイツを運んでいた山賊を俺が偶然襲ったからだった。


その時の俺はある町で顔が広く知られ、国の兵士たちに終われる身になったから、一時的に山に身を隠していた。そこへ大きな荷物を運ぶ山賊が通りかかり、何か金目のものでもあるのかと期待して俺は襲ったのだった。


しかし、期待は大外れ。金目のものは一切なく、一人の女が縛られて乗せられていただけだ。女はエミリアと名乗った。別に名前なんてどうでもいい。



「助けてくださって、ありがとうございました!」


「いや、だから助けた訳じゃねぇし…」


「いいえ! 貴方にその気がなかったのだとしても、貴方は私の恩人です」



第一印象、馬鹿みてぇに笑う奴。次に、頭がお花畑。宇宙人。


嫌みを言っても、何がどうしてそう考えたのか、褒め言葉と解釈してニコニコ笑うような奴だった。まず覚えたのは生理的な嫌悪感だ。コイツとは絶対に相容れない、と直感した。


一秒でも会話をしたくなくて、俺は無視して歩き始めた。トコトコとエミリアは後ろをついてくる。



「ついてくんな。離れろ。いいか、お前みたいな奴が一番気持ち悪い」


「いいえ! ついて行きます! 私一人だけじゃ道が分からないので! あと最後の言葉は酷いと思います!!」



後ろでギャアギャアと騒ぐくせに、何故か殺したいとは思えない、不思議な女だった。


エミリアは俺に引っ付いて回るようになった。俺が徹底的に無視をしても、飽きることなく隣でニコニコと話しかけてくる。何を言っても駄目、脅しても「? 変わったジョークですね」と返すような間抜けぶり。コイツは阿保なんだと俺は結論付けた。


俺は馬鹿だが、コイツは阿保。阿保に何を言っても、阿保だから分からないし、怒るだけエネルギーの無駄。そう考えるようになった。木の実を食う小動物並みの理性しかないんだろうと思った。



「貴方の蛇は大人しいんですね」



ある日、エミリアが俺の首に巻きつく蛇を指差して尋ねてきた。


精霊なんだから俺の言うことを聞くに決まっている。何を言っているんだコイツは、と考えて、あぁと思い出した。


蛇の精霊は珍しい。コイツはただの蛇だと思っているんだろう。



「精霊だからな」


「え?! 蛇なんているんですか?!」



嘘ぉ…とエミリアはぽけっとした顔をした。そして初めて見ました! と俺の蛇を興味津々という風に眺めてくる。


悪戯心から蛇を威嚇させてみたら、腰を抜かすほどに驚いていた。



「くっ…阿保顔」


「あ! わざとですね!」



鼻で笑った俺を見て、怒ったエミリアはペチペチと俺を叩く。俺が人を何十人も殺してきた奴だとは知らないで、俺を叩くなんて。無知って怖ぇな、としみじみと思った。



「お前の精霊は?」


「よくぞ聞いてくれました! 精霊はですね、私、自信があるんです!」


「どうせ小型犬みたいな狼か、子猫サイズの猫だろ。威厳とか皆無の」


「失礼ですね。もっと格好いいですよ」


「格好いい…じゃ、あれだ。テディベアみたいな熊。お前の基準じゃ格好いいってことに…」


「もう! そんなんじゃありません! 精霊だけは、私に勿体無いくらいだって皆が褒めてくれるんですから!」



エミリアは頬を膨らませながら手に魔力を流した。光が形作ったのは蝶だ。へぇ俺ほどではないけど珍しいな、と思ったと同時に、その蝶の翅に視線を奪われた。


宝石みたいな色だった。空とか湖とかのような透き通った青色。驚いて固まる俺の横で、ふふん、と自慢げに胸を張るエミリア。



「ほら、驚いたでしょう。揶揄することさえできないようですね。私の勝ちです」


「…飼い主がこれじゃあなぁ。不憫な蝶だ」


「ちょっと待ってください! 今の発言は聞き捨てならないのですが?!」


「もっと落ち着きのある奴なら、お前も苦労しなさそうなのにな」



俺が蝶を撫でると、蝶も肯定するように翅を動かす。お、話が通じる奴だな。



「ふん! もっと驚いてくれてもいいではありませんか。口を大きく開けて間抜けな顔をする貴方に『阿保顔ですね!』と返したかったのに」


「うわ、考えることが子供」


「私は! 貴方と! 同い年だと言っているではありませんか!」


「精神年齢が子供って言うんだよ」



期待していた反応がもらえなかったエミリアは「ちょっとくらい褒めてくれても…」と拗ねたような顔をする。面倒くさい奴だなと思いながらも、こうなると後々厄介になることは分かりきっていたので「あー、そうだな。キレイキレイ」と言ってやった。



「いい加減な褒め言葉ならいりません」


「…ま、綺麗だと思ったのは本当だ。いいんじゃねぇの。なんかお前らしくて」



俺がそう言うと、エミリアは意外そうな顔をした。



「私らしい? 初めて言われました。どこがですか?」


「あー、勘。適当」


「適当?! ちょっと! 一瞬だけ嬉しかった私の気持ちを返してください!!」


「感情は返品できねぇんだよ。そんなことも知らねぇのか。あぁ阿保だもんな」


「私は! 阿保じゃありません!」



話を聞けば、エミリアはこの精霊の珍しさを知られて、山賊に捕まったらしかった。


貴族の変態たちに売り付けられる予定だったらしい。コレクションみたいに、美しい精霊を集めるのが趣味みたいな奴らだ。マジかよ。そんな目にあわされて、よくこんな風にのほほんと笑ってられるな。



「山賊の奴らに復讐したいとは思わねぇの」


「思いませんよ。人や世の中を恨んでも、何かが変わる訳ではありません。それで私が幸せになれるのなら考えますけど。でも、誰かを憎んでも、負の連鎖が広がっていくだけです。だから憎む代わりに毎日の幸せを数えるんですよ」


「…おぇ。気持ち悪ぃ」


「え、酷い」



売られそうになっても、人を恨みたくないのだと笑って許すような。そんな女だった。



◆◆



「どうして、殺したんですか?」



何の縁なのか、俺はエミリアと何年も過ごすことになった。


彼女の親は死んでいて、天涯孤独の身の上だったそうだ。俺の親もいなくなっていたから、似た者同士といればそうだったのかもしれない。


けど、コイツと俺では決定的に違う点があった。


金がなくなったから山に登っていた人間を殺して奪った。蛇に身体を拘束させ、首をかき切れば終わりだ。返り血を浴びることになってしまったが、怪我はないし川で落とせば済むだろう。


そんなことを考えながら、奪った荷物を漁っていたら、後ろから声をかけられた。エミリアだった。顔を真っ青にし、震えた声でどうして殺したのかと尋ねてきた。


彼女が木の影から、俺が人を殺すところを見ていたのは気付いていた。その上で殺したのだ。


別に俺がコイツに気を遣って、殺すのを止めてやる理由もない。逃げるか命乞いでもしてくるかと思っていたんだがな。まさか声をかけてくるとは。



「金が足りなくなったから」


「…お金? お金が欲しくて、殺したというのですか?!」


「あぁ。理由なんてそれだけだ」



エミリアは絶句しているようだった。



「欲しいものがあれば奪い取れ。今回俺が欲しいのは金だった。だから奪い取るために殺した。それだけのことだ」



欲しいものがあれば奪い取れ。昔父が言っていた言葉は俺の行動原理だった。悪いことだとは思わなかった。父が、大人が、世界が俺にその生き方を教えたんだ。



「…っ信じ、られません!!」



俺は驚いて目を見開いた。目の前の女が泣いていたからだ。エミリアは両手で俺の頬を掴み、自分の方へと引き寄せて「いいですか?!」と必死の形相で叫んだ。



「人を殺すのは駄目なことです! どれだけお金がなくても、奪うことは駄目なことですし、それ以上に殺すことはやってはならないことです!」


「…は? なんで?」


「…人が死ぬと、悲しむ人がいるからです」


「じゃ、悲しむ奴がいない奴は殺していいってこと?」


「いいえ。誰も死んでよい人などいません。誰が死んでもきっと他の人が悲しみます」



人を悲しませるのは駄目なこと。自分が同じことをされると嫌な気持ちになるから。そして、殺すのはいけないこと。その人が死ねば誰かが悲しむから。


エミリアは俺に分かるように、根気強く教えてくれた。でも、俺には理解しがたかった。



「死を悲しまれない奴もいるだろ。俺なんて、誰もいない。死んで喜ぶ奴は多分いると思うけど」


「いいえ。私が悲しみます」


「…お前が?」


「ええ。泣きます。貴方の死を悲しむ人が他にいないと言うのなら、私がその人たちの分も泣くことになるでしょう。だから貴方はいらない人間でも、死んでよい人間でもありません」



意味が分からなかった。



◆◆



その日からエミリアは俺の行動を咎めるようになった。何が駄目で、それはどうしてなのか。小さい子供に言い聞かせるみたいに。


俺が人を殺そうとすれば、自分の身体を盾にしてでも止めた。はっきり言って邪魔以外の何物でもなかった。


邪魔になるなら殺せばいいだけのはずなのに。コイツに泣かれると何故か調子が狂って、いつも俺はエミリアを殺せなかった。



「貴方は悲しい人ですね」



彼女は口癖のように言っていた。



「物事の善悪をきちんと教えてくれる大人がいたら、頭がいい貴方はきっと違う人生になっていたはずですのに」


「俺みたいな馬鹿は、どこで生まれようと変わらねぇだろ」


「いいえ。お金に恵まれている家庭で生まれて、この世界の素晴らしいところを教えてくれる人が隣にいてくれたら。きっと貴方は今と違う貴方になるのでしょう」


「"もしも"の話なんかしても、腹は膨れねぇし現実的じゃねぇ」


「…それもそうですね。ですから」



エミリアは俺の手をとって笑った。



「微力ながら私がお手伝いします。貴方にはこの世界をもっと好きになって欲しいんです。今からでも遅くはありません。人を殺めるのは止めましょう。一生をかけて償いましょう。ここは貴方が思うよりも、ずっと綺麗な場所なのだと知ってください」



「貴方が心から幸せだと思える日が来ますように」とエミリアは言った。



◆◆



エミリアと出会って四、五年が経った時のことだ。


エミリアが追われるようになった。どうやら山賊の一人がどうにか生き延びて、彼女を売るはずだった貴族に話をしたらしい。


彼女は殺人鬼の仲間として、似顔絵を国中にばらまかれて、こうして俺たちは国中に知られたお尋ね者になったのだ。


そして、終いに俺たちは捕まって、その貴族の元に連れていかれることになった。


俺は奴隷みたいに鎖に繋がれて、暴れないように毒を打たれた。エミリアの静止の声を無視して、追手を何十人と殺したから当然だろうが、これじゃまるで猛獣扱いだ。少しは人間扱いしてくれねぇかねぇ…。


それに反して、エミリアの拘束は緩かった。追手も絶対に殺さないようにと言われていたようだ。傷をつけないように細心の注意を払って連れてこられた。


貴族の男は、エミリアを歓迎した。蝶を出させ、その翅を気に入ると猫撫で声で話し始めた。



「この悪魔にそそのかされたんだろう。君は知らないだろうがね、コイツは殺戮者だ。狂った人間なんだよ。君の心の美しさは精霊が証明している。本当に美しい精霊だ。騙されたんだね。可哀想に。さぁ私の元に来なさい」



気持ちの悪い声だった。エミリアは怯え、ロクな抵抗もできていないようだった。


何だ、アイツってちゃんと怯えられたのか。俺には全くそんな素振りを見せないから、てっきり恐怖っていう感情さえ持ち合わせてないほど阿保だと思ってたのに。



「…エミリア」



こんな奴の思い通りになるなんて癪だった。貴族が何だ。権力が何だ。俺は首元にナイフを当てられながら、吐き出すように呟いた。



「お前、ものみたいに扱われて、それでいいのかよ」



少しは抵抗しろよ。嫌なんだったら。


彼女は目を丸くして、そして真剣な顔で頷いた。ちょっとはマシな顔ができるじゃねぇか。



「止めてください!」



彼女は、捕まれた手を振り払った。広間に彼女の声が響く。



「私はものではありません。私は、精霊の付属品ではありません。貴方に私を好き勝手に扱う権利はありません。貴方の言い方はものすごく不愉快です!!」



振り払われた男は憤怒し、彼女をそそのかした俺の頭を蹴った。ちょっと女にフラれたからって八つ当たりなんて。小せぇ男だな。両手が毒で馬鹿になってなきゃ、掴みかかってやり返してやれるんだけど、と思いながら、大人しく殴られる。



「おのれ! おのれ! おのれぇ!!」



男は髪を狂ったようにかきむしった。そして、エミリアを睨み「私のものにならないくらいなら!!」と叫んだ。



「…?」



俺は一瞬、男が何をしているのか分からなかった。


ソイツは血走った目で俺たちを睨み付けながら、エミリアの精霊を乱暴に引っ掴んでいたのだ。蝶がバタバタと暴れる。「大人しくしろ!」と男は、手に持っていた剣で蝶を刺した。


「え…」という声が隣から聞こえてきた。エミリアの口から血が流れ出ていた。



「あぁやはり! 噂は本当だったのだな! 精霊と人間は繋がっている!」



男が感極まったように叫ぶ。アハアハと笑いながら、剣を持ち直した。エミリアの咳をするように血を吐く音が聞こえてくる。嫌な予感がした。



「おい…」



俺の口から、無意識の内に言葉が漏れた。



「止めろ…止まれっ!!」



男は蝶を刺し殺した。剣が貫通し、蝶はジタバタと暴れて…最後に動かなくなった。


俺は恐る恐るエミリアの方を見た。彼女もまた俺を見つめていた。俺たちの目があった。彼女は薄く微笑んだ。



「じ…わせ…なっ…て…」



げほっ、と彼女は大量の血を吐いた。そして身体から力が抜けて床に崩れ落ちる。血を吐いて倒れるまでの動きが、やけにゆっくりに見えた。部屋は異様な静寂に包まれた。



「おい…?」



掠れた声で、彼女を呼んだ。エミリアは答えなかった。


男の笑い声が聞こえる。アハアハと狂ったように笑って「私に逆らうからこうなるんだ!!」と叫んでいる。エミリアの血が流れる。心臓が、えぐられるように痛んだ。


…あぁ、これが"悲しい"か。


人が死ぬと誰かが悲しむらしい。コイツは死んだんだ。だから、俺は今、悲しんでいるんだろう。俺は存外コイツのことを気に入っていたらしい。


コイツといるといい気分になることが多かった。阿保みたいな会話も、間抜けな笑い顔も、無邪気な笑い声も。いい気分になって、胸があたたかくなった。


…あれが、コイツが言っていた"幸せ"という感情だったんだろうか。俺は、コイツに惚れていたんだろうか。


身体から力が抜けていった。心臓が痛くて、息が上手くできない。虚しさで心が一杯になる。怒りさえ湧いてこず、目の前の男を殺したいとさえ思わなかった。


ただ、また会いてぇな、と叶わないようなことを思った。


もう遅いのに。死んだ人間は生き返らねぇのに。


俺は更に毒を打たれて、動けないほどに痛め付けられてから、民衆の前に転がされた。


俺に恨みを覚えている奴らばかりだった。俺が動けないんだと分かると、ソイツらはすごく嬉しそうにニコニコして、斧とか鍬とかで俺を殴り始めた。狂ってんのはどっちなんだろうな、と苦笑が漏れる。


ぷつり、と何かが壊れる音がして、痛みを感じなくなった。俺は血を吐きながら、空に目を向けた。アイツの蝶の翅の色。


なぁ。


もしも、俺がこんな凶暴な性格じゃなかったら。


もしも、俺がもっと頭がよかったら。


もしも、俺がまだ人を殺していない時に、アイツに出会えていたら。


もしも、蝶の翅が俺以外の人間に知られていなかったら。


もしも、違う出会い方をしたのなら。


俺たちは、こうはならなかっただろうか。


視界の端に緑の皮膚が見えた。見慣れた深緑色。俺が何よりも信頼している相棒。蛇が静かに俺を見守っていた。



「もし…来世というものが…あるのなら…」



心の中さえ見通すような、縦に長い瞳孔の目に手を伸ばす。



「今度こそ…アイツと幸せに…なりてぇなぁ…」



こんなクソみてぇに頑丈な身体も、何もかも、いらねぇから。


どうか今度こそアイツの隣にいさせて欲しい。アイツが安心して馬鹿みてぇに笑えるようにしてやりたい。


なぁ、相棒。もしそんな世界があるなら、最高だと思わねぇか。


生まれ変わっても、どうせこの最悪な性格は完全には直らねぇだろうし。


俺は俺だから、きっと大勢から嫌われちまうだろうから。それで不貞腐れても、どうせ一人じゃ何もできねぇだろうから。俺だけじゃアイツも守れねぇだろうから。


どうか、また俺のことを助けてくれよ。相棒。






最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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