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この感情を、人は幸せだと呼ぶのでしょう。


(エミリー視点)



私は馬車に乗って四年ぶりの家へと帰ってきました。馬車をおりて自分の荷物を運ぼうとします。


すると、迎えに出てきていた使用人が「私が」と手を差し出してきました。荷物を渡せということでしょう。貴族は自分の荷物を持たないのですから。


私はもう使用人ではなくなってしまったのだと実感しながら「ええ…お願いしますね」と私は荷物を渡しました。


屋敷を見渡します。たった四年離れただけなのに、まるで知らない屋敷のようだと思いました。


上質な布地で作られた服を来て、祖父母に挨拶をしに向かうと、祖母から「貴方の精霊、見せてちょうだい」と言われました。断ることを許さない声色で。


私は無言で手に魔力を流します。翅を少しだけ広げた蝶が現れると、祖母は感嘆の声を上げて「綺麗な色だこと」と言いました。



「裏側があんなだった貴方の蝶が、これほど綺麗だなんてね。驚いたわ」


「…ありがとうございます」


「五日後に相手の方がお見えになるの。それまで、今までの疲れをとるといいわ」



祖母は上機嫌になって、優しく私に言いました。祖父も「これなら安心だ」と満足げに頷いています。私は唇を噛みながら「…はい。お祖母様」と返しました。


世界が灰色になったようでした。坊っちゃんがいた屋敷では、あれほど世界が輝いて見えていたというのに。


ここの屋敷はどこも薄暗く、空気は寒々しく、使用人たちは私をお嬢様と呼び、誰もが余所余所しい。


あぁ、帰って来たのだ、と悲しくなりました。


自室につくと手から魔力を流して蝶を出しました。相変わらず綺麗な青色です。けれど、この色のせいで自分がこうなっているのだと思うと、少しばかり憎くもありました。


蝶は部屋を一周した後に、閉じられている窓にピタリと張り付きました。



「帰りたいのですか?」



肯定するように、蝶は翅を動かしました。その翅を撫でながら「…私もです」と呟きます。



「…でも、他でもない自分で決めたことなのですから。十二歳の私は、束の間でも自由が欲しかったんです。ここに帰らずとも済む方法があるなら、何でもよかった。…けど」



私は窓の外に目を向けました。



「こんなに辛くなるのなら、最初からあの人に出会わなかった方がよかったかもしれませんね」



坊っちゃん。貴方は今、何をしているのでしょうか。貴方に会いたくて仕方がありません。



◆◆



「あぁ、本当に素敵な色だ!」



私の婚約者となる方は、いつも静かだった坊っちゃんとは正反対の、賑やかな男性でした。


正式に婚約を結ぶべく屋敷に訪れ、席に着くや否や私を手をとって、「是非とも精霊を見せて欲しい」と言ってきたのです。


私は呆気にとられながら祖母たちを見ました。見せてやれ、と二人が頷きます。おそらく、相手も本当に話し通りの精霊なのか確かめたい気持ちがあるのでしょう。私は微笑んで彼の望むように蝶を出しました。


息を呑む音が聞こえます。相手と、その両親たちでした。そして、目の前の彼は素晴らしい色だと褒め称えました。


これほど美しい精霊は見たことがない。これこそ秘宝、この精霊の主人である君と婚約できて幸せだ。あぁなんて綺麗なんだろう。どうやったらここまで美しくなるのだ。触らせてもらってもいいだろうか。あぁ、本当に。なんて美しい。


薄っぺらい言葉だと思ってしました。


ここにいる誰もが私の蝶に釘付けで、一向に私のことを見てくださらない。彼らが褒めているのは蝶で、私ではない。虚しくなりました。悲しくなりました。


…坊っちゃんは、私のことを見てくれた。蝶も、私らしくて、と。私らしくて綺麗だと、言ってくれた。


ぼとっ、と手に水滴が落ちた感触がして。ようやく私は自分が泣いているのだと理解しました。



「…っ私は」



婚約なんてしたくない、と叫びかけた時でした。



「うわぁああぁぁ?!」



耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がりました。


婚約者の彼が、私の方を見て悲鳴を上げたのです。私を指さして悪魔でも見たように顔を青白くさせ、「あ…ああっ…」と意味のない言葉を発していました。


何が起こったのだと私は背後を振り向こうとし…首に何かが巻き付くのを感じました。触れればひんやりと冷たく、人ではあり得ない体温でした。そして、首から手、胴体へと巻き付く深緑の皮膚が見えました。



「蛇…?」



巨大な大蛇が窓から屋敷へと入り、私に巻き付いていました。これって…。


バンッと乱暴にドアが開かれます。ドアの前には…酷く息を切らし、苦しげに肩で呼吸をしている彼が立っていました。



「坊っちゃん!!」



蛇に巻き付かれていたことも忘れ、私は思わず彼に駆け寄りました。



「どうしました?! 走ってきたんですか?! 坊っちゃんが?! 普段ロクに歩きもしなくて、私よりも体力がない坊っちゃんが?!」


「今、格好つけたいところだから、ちょっと黙って」


「はい! すみません!」



部屋に閉じ籠ってばかりの坊っちゃんが、走るなんてことは前代未聞です。大丈夫ですか?! 酸素足りてますか?! と過呼吸気味の坊っちゃんに話しかけようとしましたが、ピシャリと遮られてしまいました。分かりました。お口チャックです。


可哀想に…苦し気にゼェゼェと呼吸されています…。ハラハラとしながら見ていると、私は坊っちゃんが抱き寄せられました。



「この娘に呪いをかけた」



坊っちゃんの言葉と同時に、大蛇が私に巻き付きます。祖父母の怯えた悲鳴が上がりました。


別人のような低い声色で、坊っちゃんは続けました。



「この蛇が何なのか、今さらそんな無意味な質問はしないよね。君たちはこの蛇がどれほど恐ろしいものなのか知っているはずだ。この子を僕の贄にする。反論は受け付けない」



え、あの、坊っちゃん…? 驚いた固まる私を無視して、彼は言います。



「僕の手をとらなければ彼女は死ぬ。そんな呪いだ。君たちが彼女を愛していて、死なせなくないと言うのなら…素直に差し出すんだね」



彼はそれだけ言うと横に抱っこしました。所謂、お姫様だっこというやつです。そして、私を抱えたまま部屋を出ていこうとしました。


そこで「待て!!」と呼び止める声が上がりました。私の婚約者となるはずだった男性です。



「…か、彼女は私の婚約者だ!! 呪われた貴様などにっ…!!」


「頭が悪いのが、一人いるようだけど」



坊っちゃんは足を止め、彼の方を振り返りました。そして冷ややかな視線を浴びせました。



「生け贄は彼女一人だけでいいって言ってるんだ。それとも、前の殺人鬼みたいに、何十、何百と命を狩って欲しい? お望みなら…君から丸飲みにさせるけど」



シューッ、と私に巻き付く蛇が威嚇しました。


丸飲みという意味を理解した男性からヒイッと悲鳴を上がります。坊っちゃんはその様子を鼻で笑い、「分かればいいんだよ」と今度こそ部屋を立ち去りました。


そのまま坊っちゃんは屋敷を出て、庭を歩きました。状況が理解できずに目を白黒とさせる私。突然、ぼそりと「…もう限界」と彼は呟きました。


え? と思った瞬間、坊っちゃんの膝がガクガクと震えてきました。よくよく見れば、私を抱っこしていた彼の手はプルプルと震えています。


私は、はっ…としました。



「すみません! 筋肉がない坊っちゃんには辛かったですよね?! すぐ下りますので!!」


「そうだけど…他人に言われると、自分が情けなくなるから止めて…本当に格好がつかないな…」



階段を駆け上がるのでさえ息を切らせる坊っちゃんが、私を十何分も持ち上げられる筋力があるとは思えません。坊っちゃんを潰してしまう前にと、私は急いで彼の手から下りました。


地面に下りて、しんどそうにしている彼を見つめます。いつもの坊っちゃんだ…と安心しました。



「坊っちゃん…演技がお上手なのですね…」


「うっ…止めて。本当に止めて。ビビらせた方がいいと思ってやったけど。黒歴史確定だから。羞恥で死にそうになるのを必死に堪えてるんだよ。こっちは」



まったく…六年間引きこもり生活していた奴に、無茶をさせないで欲しい…とぶつぶつと文句を言いながら、恥ずかしそうに顔を赤くする坊っちゃん。


ふふ、と私は思わず笑ってしまいました。笑い事じゃないんだけど、と彼には睨まれてしまいましたが。



「坊っちゃん、どうして私を? いえ…とても嬉しかったのですけど。流石にこの状況が理解できてないといいますか…」


「あぁ…うん。説明する」



坊っちゃんは息を整え、「君が屋敷を出た後ね」と話し始めました。



「まず僕の性格も性格だから、腐りそうになって、自暴自棄になりかけたんだけど」


「自暴自棄…」


「なんか蛇が出てきて、叩かれ始めて。『腐ってる暇があるならやれることをやれ』みたいな説教をされたんだよね。いや、声は出してないんだけどさ。目がそんな感じだったっていうか」


「たたかれ…?」



私と坊っちゃんは、未だに私に巻きついている蛇を見つめました。蛇は満足げにシューと鳴いているだけです。


噂からてっきり凶暴なものだと思っていましたが、意外といい蛇なのかもしれません。私はそう認識を改めました。



「それもそうだ、と思って腹をくくって。まず僕の父親を問い詰めた。尋問」


「といつめた…じんもん…」


「それで君が貴族で、精霊が綺麗だったからとかいう馬鹿馬鹿しい理由で縁談組まされたって知った。とりあえず、精霊のことを教えた父を殴った」


「なぐった」


「で、流石にさっきみたいに僕が脅すだけで破棄できるとは思わなかったから、国王陛下に拝謁してきた。馬鹿親の権力とかを何でも使って。今まで言うことを全部聞いてきたんだから、これくらいの反抗期は許されるでしょ」


「こくおうへいか」


「『彼女をくれるなら、一生貴方たちの監視下にいるって誓うから』って頼みに。あちらとしても僕の弱みは一つでも握りたいところだよね。僕が国を滅ぼそうとしたら、両親を人質にとる作戦らしいけど。親への執着は特にないから、あんまり意味がないよって言って」


「ひとじち」


「君を隣に置くことになったら、間違いなく僕の最大の弱点になる。国としても、得たいの知れない僕の弱みを握れて制御しやすくなる。あちらにもメリットがあるでしょ」


「じゃくてん」


「この婚約破棄は国王公認。君の祖父母が何をわめこうが、国民全員の命には代えられない。こうして何とか条件を飲ませて君を奪いにきた。これを五日で終わらせた僕を誰か褒めて欲しいね。あ、呪いは嘘だよ。ああ言えば差し出すかなと思って。分かった?」


「…取り敢えず…腹をくくった、坊っちゃんの行動力が…凄まじいということだけは…」



どうやら私の婚約はなかったことになったそうです。実感が湧かずに、はぁ…と間抜けな相槌を売っていると、彼はふと申し訳なさそうな顔になりました。



「…ここまでやっておいて何なんだけど。すべては、この婚約は君が望むものじゃないって思った僕の独断だ。君があの婚約を心から望んでるなら、今からでも全員に頭を下げてくるよ。許されるかは知らないけど」


「ふっ…ふふ。こ、ここまで来てですか…?」


「笑わないでよ。こっちは必死なんだ。…でもどちらかを聞く前に、これだけは言わせて欲しい」



坊っちゃんは私の手を取りました。手袋をつけていない彼の手から、じんわりと熱を感じます。



「君のことが好きだよ。卑屈で性格も暗くて、しかも蛇の呪いまで持っていて。しかも国王陛下の監視付き。面倒な男だと自分でも思うけど」



彼は、優しく微笑みながら言いました。



「…それでも、僕を救ってくれた君のことが好きだ。どうか僕の手を取って欲しい」



心があたたかい感情で満たされていくのを感じます。この感情を、人は幸せだと呼ぶのでしょう。


返事など最初から決まっていました。



「はい。…喜んで」







これで本編は完結となります。お読みいただき、ありがとうございました!


最後に一話、番外編として『蛇の記憶。』というものがありますが、蛇の祝福を受けた、殺人鬼だった男の話となります。


残酷な描写、流血表現などが含まれますので、苦手な方はご注意くださいね。

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