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君だけが救ってくれたんだ。


(ルイス視点)



自分は価値がない人間なんだと思っていた。


不器用で、性格も卑屈で暗いし、しかも…()()()()()まで持っていて。


誰も僕なんか愛さない。神様だって僕のことを嫌いだから、こんなものを押し付けてきたんだろう。


現実の世界に絶望して自室に引きこもるようになってからは、何の刺激もなく、薄暗い灰色の日々。生きているのか死んでいるのか分からない、そんな毎日だった。



「坊っちゃん、今日はとても天気がいい日ですね!」



そんな僕を、君だけが救ってくれたんだ。



◆◆



僕の人生が決定的に変わった瞬間と言えば、間違いなく十歳の誕生日だと言えるだろう。


僕は一応貴族の子息という立ち位置で、両親には他に子供もいなかったことから、時期当主としてそれなりに期待されていた。


この国で、十歳を迎えるということは大きな意味を持つ。誰もが持っているとされる魔力、その力の性質が十歳を迎えると分かるのだ。


魔力は五つに分類される。狼、獅子、鷹、蝶、熊。それぞれの動物はその人間に祝福を与える守護精霊だと言われている。


その動物は魂の形だと言われるくらい、魔力の性質というのは重要な問題だった。


子供が十歳を迎えたら、友好な関係を結んでいる貴族たちを大勢呼んで、パーティーを開くのが慣習だ。そして、そのパーティーで御披露目をする。


僕の家も、その慣習通りパーティーが開かれることになった。


朝までは僕も心を踊らせて、自分の守護精霊は何なのだろうかと考えていた。昼になってパーティーの会場に来るように呼ばれる。


僕は少し緊張しながらも会場へと足を踏み入れた。歓迎の拍手に出迎えられ、人の多さに固まる僕の肩を優しく叩いてくれた。


息を吸って、吐く。大丈夫。難しいことじゃないって言われたじゃないか。落ち着いてやれば大丈夫。


身体に巡る魔力を手に集めるように意識する。段々と手があたたかくなってきて、パッと光が弾けた。


その瞬間、僕は何かに巻き付かれているような感覚を覚えた。少しの息苦しさと、痛みを覚える。僕は自分の腕を見た。


斑模様の、緑色のものが見えた。それが僕の腕から胴体、足にかけて巻き付いていたのだ。


僕の姿を見た人たちから悲鳴が上がった。まるで悪魔でも見たかのような声で「蛇よ!!」と叫ばれる。


それからは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


悲鳴を上げる者、あまりの恐怖に気を失う者、逃げ惑う者、僕に暴言を吐く者。反応は様々だった。ただ一つ共通している点は、彼らの僕を見る目には、はっきりと嫌悪と怯えの色が浮かんでいるということ。


何が何だか僕には分からなかった。蛇とは何なのだ。守護精霊は五体のはずだ。その中に蛇は含まれていない。


一体…と僕は隣に立っていた父に助けを求める視線を向ける。父ならばきっと僕を守ってくれると期待して。


期待は裏切られることになった。父もまた他の人たちと同様に、僕を化け物を見る目で見つめていた。


僕は取り押さえられ、自室に閉じ込められた。


十歳の誕生日おめでとう、と言ってくれる人はいなくなった。誕生日のためのケーキやプレゼントも捨てられた。


盛大に祝われるはずだった日は、僕にとって悪夢の始まりになった。




◆◆



守護精霊には五体だけでなく、もう一体、存在を秘されていたものがあった。それが蛇だ。


しかしこの百年ほど蛇を守護精霊に持つ人間は生まれておらず、このまま人々の記憶から忘れ去られていくのだろうと考えてられていた頃に、僕の守護精霊の御披露目があった。


蛇は忌み嫌われるものだった。それは、百年前に生まれた、僕と同じく蛇の守護を受けた男が原因だ。


悪行の限りを尽くした、極悪非道な男だったらしい。


目の前を愛らしい子供が通りかかれば殴り殺し、見目のよい娘が目に止まれば弄んでから殺し、気に食わぬ男がいれば火達磨にし、道を誤った彼を救おうと説教をした老人は生きたまま獣の餌にした。


男は、国民全員から恨みを買って撲殺されたらしい。事切れる最後の最後まで、不気味な笑みを浮かべていたと、渡された書物には記されていた。



「ルイス。お前は呪われた子だ」



蛇のことを教えてくれた父は、そう言った。



「だが、お前自身に非がある訳ではない。すべてはお前を選んだ蛇と、お前の前に生まれた男のせい。国王陛下もお前のことは生かしてくださるそうだ。何もせず、大人しく過ごすなら、と。いいな。何もするな。何も求めるな。ただ静かにしていなさい」



父はそれだけ告げて去っていった。その日から両親からは距離を置かれ、使用人たちもできる限り俺に近寄らなくなった。


一週間後、俺は七歳の頃から婚約していた相手から、婚約の破棄を求められた。まだ恋愛感情こそ芽生えていないものの、兄妹のような、よい関係を築けていたはずなのに。


婚約破棄の場には、婚約者だった彼女もいた。僕はどうしても彼女と話をしたくて声をかけた。けれど、まるで僕の声など聞こえなかなかったかのように無視をされる。


これ以上無視をして欲しくなくて、僕は彼女の手を取って、彼女の名前を呼ぼうとした。その時だった。



「いやっ! 触らないで!!」



手を振り払われた。それは明確な拒絶だった。


その後、彼女は泣きながら、僕が触れた箇所を水で必死に洗い落とそうとしていた。気持ち悪い、嫌だ、と見えない汚れを取りたがっているかのように。


その姿を見て、心臓がえぐられるように痛んだ。


その日から、僕の心は絶望の一色に塗り替えられた。日々の中に希望はなく、笑うこともなくなった。僕は自室に引きこもるようになった。




◆◆



「初めまして! 坊っちゃん」



彼女と出会ったのは、十二歳になった時のことだ。僕の世話をする使用人が与えられた。


部屋から全く出ようとせず、食も細い僕のことを気にした両親が、同年代の話し相手をやろう、と考えたことでつけられたらしかった。余計なお世話だと思った。何を今更、とも。


どうせその子も他と変わらない。世話係といっても、掃除や食事の用意をするだけで、話をすることもないだろう。


そう思っていたのに。


新しい使用人は部屋にやって来て、僕の姿を見るとパッと笑顔を向けた。そして、明るい声で挨拶をする。


そんな風に目を見て挨拶をされたのは久しぶりで、僕は思わず呆気にとられた。



「エミリーと申します! 精一杯働きますので、よろしくお願いしますね!」



第一印象は、馬鹿みたいに笑う子、だった。


綺麗な金髪を無造作に一つにまとめていて、化粧気は全くなく、ケラケラと屈託なく笑う。何が面白いんだろうと思った。こんな世界、面白いことなんて何一つとしてないというのに。


エミリーはただ仕事をするだけでなく、僕に積極的に話しかけてきた。最初は理解ができずに戸惑っていたが、次第に「彼女は僕の蛇のことを知らないんじゃないか」と僕は考え始めた。


使用人ということは、金に困っている平民出身のはずだ。貴族ならば一度は僕の噂を耳にしたことがあるだろうが、平民で、外との交流が滅多にない田舎で暮らしていた、というなら知らなくてもおかしくはない。


エミリーの態度を見れば見るほど、その考えが確信に近付いていく。彼女が屋敷に来てから二ヶ月が経ち、どうやら本当に知らないみたいだ、と僕は結論付けた。


平民は十分な教育も施されない子供もいるらしい。魔力という概念さえ理解してない子もいるらしいから、エミリーもそうなのではないか。この屋敷で僕の噂を聞いても、蛇が何か、精霊が何かをきちんと理解できていないのではないだろうか。


そこまで考えて、僕は安堵に近い感情を抱いた。


エミリーが何も知らないのなら。彼女は僕を普通の子として扱ってくれるのだろうか。


そんな都合のよいことを期待したのだ。



「坊っちゃんは喋りませんねぇ…。少しくらい、私とお喋りしてくれてもいいと思うんですけど」


「…」


「みょーん。どうです? 変な顔でしょう?」


「…君、よくそんなに笑ってられるよね。飽きない?」


「…………え?! 坊っちゃん?! 今話しました? 話しましたね?! え、坊っちゃんって、ちゃんと喋れたんですね?!」


「…僕のことを何だと思ってるの。赤ん坊じゃあるまいし、普通に話せるよ」



初めて彼女の言葉に反応してみたら、目を丸くして酷く驚かれた。次に目をキラキラとさせて、見つめられる。


ニコニコ笑って「私、坊っちゃんに認められたんですね。これからは一杯話しましょうね」と言われた。その笑顔が、僕には酷く眩しかった。


それからポツポツと僕は彼女と話すようになった。今日はこんなことがあった、今日はこんな楽しいことがある予定だ、と彼女は楽しげに日々のことを教えてくれる。


僕はそれに少ない相槌を打ちながら聞き、この世界は彼女の目を通すとそんなにも輝いていて見えるのか、と驚くばかりだった。


次第に、僕は彼女に親愛の情を抱くようになっていった。唯一僕を僕として見てくれる人。僕を腫れ物のように扱わない人。…いつの間にか、そんな存在を失いたくないと思うようになっていた。



「坊っちゃんが?」


「そうよ。恐ろしい方なの。貴方も必要以上に近付くのは止めておきなさい」



だから、エミリーと他の使用人がそんな話をしているところを見てしまって、僕は凍りついた。思わず物陰に隠れ息を殺す。あぁ知られてしまう、という恐怖が胸に渦巻いた。


また、一人ぼっちに。戻って。また。


脳裏によぎるのは、忘れもしない、忌々しい十歳の誕生日。一日でこの世のすべては敵になった日。あぁ…彼女も、彼らと同じ視線を僕に…。



「だから、何だというのですか?」



彼女の声に、息が止まった。



「その恐ろしい殺人鬼の人と、坊っちゃんは別人物でしょう? 少なくとも坊っちゃんは、今まで私に手を上げたことはありません。あの人は優しい方です。今日だってただの使用人である私に『いつも、掃除。ありがとう』と、すごい小声ですけど、言ってくださいました」


「でも…」


「お話がそれだけなら失礼します。気にかけてくださって、どうもありがとうございました」



エミリーはペコリと頭を下げてから足早に去っていく。言うべきことはいってやった、というドヤ顔で。胸を張って、大股で歩いていく。


物陰に隠れながら、僕はズルズルと崩れ落ちた。膝に額をつけて、足に顔を埋める。「…何だよ、それ」とぽつりと呟く。



「優しい…なんて言うの。君くらいだよ」



嫌われなくてよかった。そんなことを、思ってしまった。



◆◆



「君の守護精霊って何なの」



エミリーが来てから一年が経ち、僕たちは十三歳になった。


淹れられた紅茶を飲んでいる最中に、僕はまだ彼女のことを何も知らないな、ということに気が付く。好きなものは何なのか、趣味は、と尋ねていき、最後に僕はそんなことを尋ねた。


エミリーは僕の精霊のことをすべて知った上で、普通に接してくれているということを知ってからは、自分の精霊に対して過剰に気にすることは少なくなってきていた。そのため、ごく自然にそう尋ねることができたのだ。


エミリーは「うっ…」と言葉に詰まり、視線を泳がせた。


言いたくないことなのだろうか、と察した僕は「別に無理に言えとは言わないけど」とすぐに付け加えた。


精霊についてとやかく言われることの不快感は自分がよく分かっている。彼女が話したくないと言うのなら、無理に聞き出す気はなかった。



「いえ…隠すほどのものではないのですけど…」


「けど?」


「お見せできるほどのものでもないと言いますか…」



はっきりしない態度に、僕は首を横に傾げる。


「うぅ…」とエミリーは唸り、「笑いません?」と僕に視線を寄越した。


そんなにおかしな精霊なんだろうか。小型犬サイズの狼とか、子猫サイズの獅子とかだろうか。確かに格好いいとはいえないけれど、それはそれでエミリーらしい気もする。


「笑わないよ」と僕は誓い、特別に見せてもらうことになった。



「種類は?」


「…蝶です。一応」


「へぇ」



蛇ほどではないが、蝶の祝福を受けた人間は珍しい部類に入る。そしてまた、人によって外見が大きく異なる精霊だ。一体一体のはねの模様が違うのだ。


蝶の翅の模様は人の心を表すとされ、模様が美しければ美しいほど心も美しい、と言われている。


僕のような人間を優しいと言いきるくらいだ。エミリーの蝶なら、それなりに綺麗そうだけど、と僕は意外に思った。


エミリーが手に魔力を集めると、光が生まれ、それが蝶の形状をとっていく。光がおさまると、彼女の手には、人の顔ほどの大きさの蝶がとまっていた。



「え、地味…」


「だから言ったじゃないですかぁ!!」



笑いこそしなかったものの、思わず素直な感想が口から漏れる。ほらぁ!! とエミリーは叫び、僕の背中をペシペシと叩いた。


枯れ葉のような茶色に、眼状紋。お世辞にも綺麗だとか可愛いとはいえない見た目の蝶だった。正直に言うと…蝶というより、蛾に見える。



「この子、絶対に翅を広げてくれないんです! 翅の裏側しか見せてくれなくて!」



エミリーは蝶の翅をひっつかみ、むんっと全力で開かせようと力を込める。が、蝶もまた全力で抵抗し、決して翅を開かせまいとする。


そんなに乱暴にして大丈夫なのかと心配になって尋ねた。下手に引っ張ると翅が抜けたり…。と思ったけれど、「いつもの喧嘩ですから。平気ですよ」と返された。彼女たちにとっては、常日頃からやっている日々の喧嘩らしい。



「ほら、坊っちゃんに御披露目しましょ?! やればできる子なんですから! ね? 怖くないですから!」


「…」


「蜂蜜! 見せてくれたら、蜂蜜差し上げます! だから!!」



エミリーが必死に懇願するものの、蝶はどこ吹く風というように無視をする。


二人のそんな様子を見て、僕を堪えきられずに吹き出した。精霊が祝福した人間の言うことを聞かないところなんて初めて見たのだ。



「坊っちゃんが…笑った…!!」


「だって…ふふっ、君、それ…」


「え、これが面白いんですか? 本当に?」


「あはは!」



腹を抱えて笑ったのは、何年ぶりだろう。


これが面白いのかと尋ねながら、エミリーは蝶の翅を引っ張り、蝶も何をするんだとジタバタと暴れる。終いには翅でエミリーの頬を器用に叩き始めた。「あ、やりましたね!」とエミリーも反撃する。


彼女たちの掛け合いが面白くて、僕は更に笑ってしまった。


あぁこういう精霊もいるんだ、と新しい発見をした気分だった。久しぶりに思う存分笑うと心がすっと軽くなる。


僕の笑いがよくやくおさまってくると、エミリーは少し躊躇うような顔で言った。



「あの…私も坊っちゃんに訊いてもいいですか?」


「何?」


「坊っちゃんが手袋をいつも外さないのって…何か理由があるんでしょうか?」


「あぁ…これは」



僕は自分の手に視線を落とした。風呂や手を洗う時以外はずっとつけている手袋。エミリーが不思議に思うのも無理はないだろう。



「…僕が触ると、皆が嫌がるかなと思って」



我ながら女々しいとは思うが、十歳の時に婚約を破棄された日のことを未だに引きずっているのだ。


僕が触れたことを泣くほどに嫌がった婚約者。同様に僕に触れられることを嫌がる人がいるのでは、といつの日か手袋をつけて外さないようになった。


最初から触れなければ、近寄ろうとしなければ、相手も自分も傷付かずに済むだろうから。


自嘲するような声色でかつての婚約のことを話していると、エミリーが僕の手を取った。え、と驚く。エミリーは「失礼しますね」と言って、勝手に僕の手袋を外し始めたのだ。



「え、ちょっと…」


「はい、取れました」


「いや、『取れました』じゃないんだけど…。僕の話、聞いてた?」


「聞いてました!」


「そんな元気よく言うことじゃないんだけどな…」



いいですか! とエミリーは切り出した。



「坊っちゃんのそういうところ、私は面倒臭いと思います!」


「えぇ…」



突然面と向かって否定される。あまりに潔いので、不快に思うことさえなかった。一応僕の方が立場は上なんだけど…と呆れつつ、彼女の言葉に耳を傾ける。



「そこまで卑下されると、こちらは反応に困ります! なので、今後は控えて欲しいです!」


「結構言うね…努力はしてみるけど」


「はい! そうしていただけると助かります! …それでですね」



エミリーは笑って、僕の手を自分の頬に添えた。予想外の行動に僕は目を丸くする。



「私の我が儘を聞いてくださる坊っちゃんのこと、私は嫌だとは思いません。私が平気だと思うんですから、人が一杯いるこの世界には、坊っちゃんのことを怖がらない人はまだ沢山いるはずです。一人いれば似たような方が何人もいるものですよ。坊っちゃんは、皆から嫌われている訳ではありません」


「…」


「全員から好かれる必要はありません。噂を鵜呑みにしない、見る目がある方と付き合っていけばいいのです」


「…君って時々、マトモなことを言うよね。普段はヘラヘラ笑っているだけなのに」


「え、酷い。私だって色々と考えているのですよ」


「嘘でしょ」


「本当です!」



不服だったのかエミリーは頬を膨らませ、僕をペチペチと叩いてきた。


これ、端から見れば、使用人が仕える相手に手を上げている状況なんだけどなぁ…なんて思っていたら、首の辺りに何かが当たる感触がして、僕は振り向いた。そして「え」と固まる。



「ちょっと…」


「聞いているのですか! 私だってですね、人並みに考えているのです。何の悩みもないお花畑と思われるのは、誠に心外というもので…」


「ちょっと!!」


「はい! 何でしょう?!」


「…飛んでるんだけど。君の」



翅を動かし、空中に浮かぶ蝶を僕は指差した。


蝶というのは飛ぶのに翅を動かさねばいけない訳で。つまり、それは今まで広げたことがなかった翅を広げていることを意味している。


そして、僕たちはその翅の表側を目にしていた。


どうして急に、と思うよりも前に、僕たちはその色に目を奪われた。



「綺麗…」



エミリーは思わずといった風に感嘆の声を上げる。


鮮やかな青だった。


青空を切り取ったような、水面を輝かせている透き通った湖のような、そんな色だ。模様は一切なく、だからこそ、その色合いの美しさが際立っている。



「やっぱり、綺麗じゃないか。君らしくて」



僕の言葉に、エミリーは驚いた顔をする。そして、はにかみながら「…ありがとうございます」と呟いた。




◆◆



エミリーと過ごすにつれて、僕は彼女のことを特別に思うようになっていった。


でも、拒絶されるのが怖くて…。この関係を壊したくなくて。


想いを告げられぬまま、数年が過ぎた。



◆◆



僕たちが十六歳になった時のことだった。



「は?」



エミリーから大切な話があると切り出され、そして告げられた言葉を僕はすぐには理解できなかった。


目の前には、普段の笑顔ではなく、いつになく真剣な…それでいて、少し申し訳なさそうな顔をしているエミリーが立っている。そして彼女は…使用人の制服ではなく、普通の服を着ていた。


「…今、何て言ったの」と僕は掠れた声で尋ねた。喉がカラカラに渇いていた。



「使用人としての仕事を、止めさせていただきたいのです」


「どうして。お金が足りなかった? それなら、給金を上げてもらうように頼んで…」


「いいえ。給金が理由ではありません」


「何か嫌なことでもあった? 不満でも?」


「いいえ。屋敷の方からも、坊っちゃんからも、よくしていただきました。私はこの仕事が大好きなのです。不満なんて何一つとしてありません」


「なら、どうして」


「…私、婚約することになりました」



婚約。その言葉に僕は固まった。



「これを機に仕事を止めろ、と祖母から言われまして。今までは屋敷に住み込みで働いておりましたが、家に帰らせていただこうと思います」


「…」


「坊っちゃん。四年間という短い間でしたが、貴方と過ごした時間は私の宝物です。本当にお世話になりました」



エミリーはそう言って、深々と頭を下げる。



「既に当主様方には挨拶も終え、荷物もまとめております。坊っちゃんと話せば出ていく決心が揺らいでしまうかと思いまして…こうして、出立する直前にご挨拶をしに参りました。…坊っちゃん」



彼女は僕に笑いかけた。寂しげな、どこか影のある微笑だった。


その彼女らしくない笑みに、僕は酷い違和感を覚えた。



「どうか、お元気で」



そう言い残して、去ろうとする背中。僕はそんな彼女の手を掴んだ。彼女が平気だと言ってくれたから、手を伸ばすことに躊躇いはなかった。



「…それは、本当に君の意思?」



思わず口から漏れたのは、そんな疑問。


急な婚約。今までのエミリーの会話に意中の相手がいると感じさせるものはなかった。そして今の表情だ。



「その婚約をして、君は幸せになれるの?」



君が幸せであるというのなら、僕は、僕を救ってくれた君の幸せを祝いたい。痛みや寂しさはあるけれど、君が本当に幸せになってくれるというのなら、僕は祝福したい。


でも、本当に君は、幸せなの。



「…幸せになれますよ」



エミリーは無理矢理、張り付けたような不格好な笑顔でそう言った。




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