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少年猫は憂う

作者: 桐龍潮音
掲載日:2009/08/10

「僕、運命の人に出会ったんだ」



真紅の薔薇園の中で純白の少年兎がくるくると踊り狂う。

彼が軽やかなステップを踏むたびに薔薇達は無残にも踏みにじられていく。

断末魔さえ上げることのできない薔薇達は為すすべもなく舞散りながら死んでいくしかなかった。

少年兎の真っ白な肌に、まるで血しぶきのように舞散った真紅の花弁が降り注いでいた。



「運命の人…?」



少年兎を少し離れたところから見つめていた少年猫が悲しみと怯えが混じったような表情で聞き返す。

彼がそんな表情をしているのは少年兎に踏みにじられていく薔薇達を想って心を痛めているからでもあったが、それ以上に友である少年兎のあまりの変貌ぶりに驚いているからでもあった。



「そう、運命の人。今日、異世界に遊びに行ったとき見つけちゃったんだ」



歌うようにそう言うと、少年兎は朗らかな笑い声を上げながら回転速度を上げて踊り狂う。

その顔には純粋な喜びだけが浮かび上がっていた。

けれどその喜びは純粋すぎるが故に狂気と化しており、少年猫は恐ろしさを感じていた。



「白兎…。踊るのやめたら?薔薇達が可哀想だよ…」




少年兎の異常な様子と踏みにじられていく薔薇の姿に耐えかねた少年猫は思わずそう言葉を漏らした。

あどけなさの残る端正な顔は悲痛そうに歪められ、ピンクと紫のオッドアイが不安そうにゆらゆらと水面のように揺れている。

瞳と同じピンクと紫の縞模様をしたふさふさの尻尾が力なく垂れ下がっていた。



「ふふ、君は相変わらずフェミニストだねえ、チェシャ猫」



踊るのをやめ、舞散る薔薇のように真っ赤な瞳を細めて少年兎は友である少年猫を見つめる。

理知的で端正な顔に薄い嘲りの微笑みを浮かべる少年兎の表情は、幼さなど欠片もなくて不気味なほど大人びていた。

そんな少年兎の表情と言葉に、少年猫は怒りよりも恐怖を感じていた。



「白兎、どうしたんだよ?こんなの君らしくないよ…。異世界で何かあったの?」



少年猫にとって少年兎は自慢の友達だった。

とても頭がよくて物知りで、色々なことを少年猫に教えてくれた。

誰にでも優しくて、仕草や表情の一つ一つが優雅な彼はまるで王子様のようだった。

美しくて優しくて賢い、素敵な友達だった。



―――なのに…。



「だからさっきも言っただろう?僕は異世界で運命の人に会ったんだって」



少年兎は変わってしまった。

数時間前、異世界へと遊びに行って帰ってきたら驚くほど変わっていた。

優しかった彼はどこかへ消えた。

薔薇を踏みにじり、友である少年猫に嘲りの笑みと言葉を向けた。

そしてそうした行為に欠片も罪悪感を感じていないのだ。

純粋に、狂ってしまったのだ。



「異世界の運命の人…」



少年兎と少年猫が住んでいるのは「緋月の国」という世界。

この世界のものは手の甲に刻まれた緋い扉の刺青にキスをすると異世界へと通じる道を開くことができるのだ。

時には仕事で、時には遊びでこの国の者たちは異世界へと足を踏み入れる。



「その人が君をこんなにも変えてしまったの?」



少年猫の問いかけに少年兎は答えなかった。

というよりも、彼の問いかけを聞いてはいなかった。

少年兎は手の甲に刻まれた緋い扉の刺青をじっと見つめていた。



「白兎…?」


「ふふ、いいこと思いついた」



少年猫の呼びかけと少年兎の呟きはほとんど同時に発せられた。

少年兎は勢いよく顔を上げると、猟奇的ともいえるほどの狂喜を含んだ笑顔で少年猫を見つめた。



「君を僕の運命の人を会わせてあげるよ」



そう言うと、少年兎は手の甲にキスをした。

辺りが緋い光に包まれて、彼の目の前に緋色の扉が現れる。

それを確認すると彼は少年猫の方へと走り寄り、その腕を掴むと扉の向こうへと飛び込んだ。



「白兎!!」



少年猫の叫びも虚しく、彼らは緋い光の中へと消えていった。







* * * * * * * * * * * *






「チェシャ猫。着いたよ」



少年兎の声に、少年猫はそれまで固く閉じていた瞼を恐る恐る開いた。

真っ先に目に映ったのは少年兎の端正な顔だった。

さもおかしそうに少年猫を見つめていた。



「君、異世界へ行くのは初めてじゃないだろう?そんなに怯えることないんじゃないの?」



クスクスと笑う少年兎を少年猫は悲しげな瞳で見つめる。

彼が怯えていたのは異世界へ行くことなんかじゃなかった。

狂った少年兎に腕を掴まれたことに怯えていたのだ。

自慢の友達に怯えてしまったこと、そしてそう思ってしまうほどに少年兎が変わり果ててしまったことが、少年猫は悲しくて仕方がなかった。



「ほら、僕の運命の人はあそこにいるよ」



笑い終えた少年兎がそう言いながら顔を向けた方向に、少年猫も目を向ける。

やや離れた所に小高い丘があり、そこに映えている木の根元に一人の少女が座っているのが見えた。

本か何かを読んでいるらしく、うつむき加減の顔は長く真っ直ぐな金色の髪で隠されていてよく見えない。

頭の上に結ばれた黒いリボンがその髪によく映えていた。



「美しい人だろう?」


「う、うん」



少年兎の問いかけに少年猫は曖昧な返事を返した。

今のところ見事な金色の髪以外見えないのだから評価のしようがない。



「それじゃあ、僕は彼女を連れてくるね」



少年猫の曖昧な答え方に気を悪くすることなく、少年兎は金髪の少女のもとへと走って行く。

その走りゆく後姿を見て、少年猫はあることに気がついた。

少年兎にあるはずの真白な耳と尻尾がなくなっているのだ。

自分の耳と尻尾もなくなっていた。



「そっか、異世界に来るとなくなるんだっけ…」



異世界に来るとその世界に合った姿になる。

少女の姿を見る限りこの世界の住人と「緋月の国」の住人はそれほど大差ないように見えるから大きな変化はないようだが、尻尾と耳が消えたということは少年兎や少年猫のような尻尾や耳はこの世界の住人には生えていないということだろう。

「緋月の国」にしても彼らのように尻尾や耳が生えている住人は少ない方だけれど。



そんなことを考えているうちに、気がつけば少年兎は少女のもとに辿りついていた。

彼は何やら少女に声をかけると手を差し伸べた。

少年兎の呼びかけに顔を上げた少女は小さく微笑むとその手に自分の手を重ねた。

そして二人はゆっくりと微笑み合いながら少年猫の方へと近づいてくる。

少女に見せる少年兎の微笑みは、先ほどまでの狂気じみたものではなく、少年猫が大好きだった優しいものだった。



「はじめまして。アリスと申します」



少年猫のもとへと辿りついた少女は優しげな微笑みを端正な顔に浮かべながらそう名乗った。

水底のように深く透き通った大きな青い瞳が柔らかな光を放ちながら少年猫を見つめる。

雪のように白い肌は日の光を受け滑らかに輝き、愛らしい唇から零れる声は凛としていてとても心地よく聞こえる。

少女から女へと変化する直前の、花のように甘く匂いたつ色香を彼女は纏っていた。

少年兎が言うように、確かに美しい少女だ。



「…はじめまして。チェシャ猫です」



少年猫がそう名乗り返すと、少女は優しげな微笑みを嬉しそうに深めた。

そんな彼女に少年猫は今まで感じたことのない気持ちに体と心が火照るのを感じた。

この時、少年猫の瞳には一瞬だったが確かに少年兎の微笑みに浮かべられていた狂気と同じものが宿っていた。



「僕とアリスはこれからお茶会を開く予定なんだけど、君も参加するかい?」



少年兎の問いかけに少年猫は力なく首を振り、「僕は帰るよ」と小さな声で別れを告げた。

このままこの少女と共にいたら体と心を火照らすこの気持ちに狂わされてしまいそうで恐ろしかったのだ。



「そう。それは残念だな。でも帰るなら仕方ないか」



たいして残念そうでもない声でそう言うと、少年兎は少女の手をとり少年猫に背を向けて歩き出す。

少女は名残惜しそうに少年猫を見つめていたが、少年猫はその視線から顔をそ向け続けた。



「何なんだあの子…」



少女と少年兎が立ち去ってから充分な時間を置いて、少年猫は彼らが消えた方向を見つめてそう呟いた。

少女に出会って抱いた気持ちに少年猫は戸惑っていたのだ。




「欲しい、なんて思うなんて…」



少女の青い瞳を見た時。

少女の凛とした声を聞いた時。

少女の優しげな微笑みを受けた時。


少年猫は少女のことを「欲しい」と思った。

彼女を自分のものにしてしまいたいと思った。



「こんな、こんなこと思うなんて…」



愛らしい唇を貪り、凛とした声を甘い喘ぎ声に変えてしまいたい。

水底のような深く透き通った青い瞳を、熱情で潤ませてしまいたい。

雪のように白い肌に噛みつくようなキスを落として、赤い花を咲かせたい。

淫らに、淫靡に、異常に、彼女をこの手で汚してしまいたい。

僕なしでは生きられないほどに狂わせてしまいたい。

それほどに少女を愛し、そして彼女に同じくらい愛されたい…。



渦巻く欲望。

溢れる欲情。

それが少年猫の体と心を火照らせた感情の正体だった。



「君が狂った気持ち、わかる気がするよ…」



少年猫は溜息とともに火照る体と心の熱を吐き出した。

少年兎が狂ってしまった理由がようやく分かったのだ。

すべてはあの少女のせい。

あの少女には人を狂わせるほどの美しさがある。



「けれどあの子は僕等と共には生きられない」



あの少女は異世界の住人なのだ。

「緋月の国」の住人ではない。

遊びや仕事程度の短い期間なら訪れることを許されてはいるけれど、少年猫達がこの世界に住むことも、少女が「緋月の国」に住むことも許されてはいない。

生活の仕方も、時の流れも、同じなようで同じではないから。

それが異世界というものだから。



「君はそれでも…」



少年猫は少年兎が薔薇園で踊り狂っていた姿を思い出す。

真紅の薔薇の血しぶきを受けて純粋な狂気の微笑みを浮かべる、友の顔を…。



「彼女と生きていくんだろうね」



きっと少年兎は少女のことを手放したりなんてしないだろう。

確実に自分のものにするはずだ。

だとしたら近いうちに彼は「緋月の国」で何かをやらかすだろう。

彼女を「緋月の国」の住人にするために…。



「白兎…」



空を仰ぎ、少年猫は友の名を呟く。

穏やかな午後の日差しの中で、あどけない顔を、これから友が起こすであろう狂乱とそれに巻き込まれる少女を思って、悲痛に歪ませる。





―――そして溜息とともに、少年猫は憂うのだった。





はじめまして、桐龍朱音と申します。

この短編は連載中の「白兎は嗤う」の序章的話です。

拙い文章ではありますが、よろしかったらそちらも読んでみてください。

感想など頂けると嬉しいです!

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