人間回帰
「ほんっではっ!」
明けて翌日。
昨日の嵐が嘘のように晴れ渡る青空。
ああ、太陽が眩しい。
そして、立ち上る蒸気が鬱陶しい。
夏の熱気に当てられて、昨日の雨が蒸発し、湿度がヤバい事になっております。
なんだ、この苦行。
誰か助けろ。
「張り切って参りましょー!」
「おー」
まぁ、そんな愚痴はさておいて、久々の虚数領域攻略であります。
もう夏休みは十日くらいしか残っておりません。
俺としては、二学期が始まるまでには、二段に昇格したいところであります。
実の所、俺ってば、二段への昇格条件をほとんどクリアしているのよね。
一桁層の虚数領域を五種類以上踏破、そして二桁層の虚数領域の一回以上のボス討伐。
これが、実績的な方面での昇段条件なのよ。
で、俺はそれは余裕でクリアしてんだけど、問題は活動時間の方だ。
一ヶ月以上の実働。
この条件がネックになって、まだ初段のまま。
本当は、毎日潜り続ける事で、八月半ばにはクリアする予定だったんだけど、検査入院のせいで大幅に予定が狂っている。
こここら怒涛の追い上げで、ギリギリ間に合う……筈! きっと! 多分!
計算が間違っていなければ!
という訳でやってきた訳です。
挑むのは、第31新宿虚数領域。
オーソドックスな迷宮タイプの虚数領域であります。
最深部は17層で、日帰りするにはちょっと厳しいかもしれない深度……らしい。
俺なら急ぎ足で駆け抜ければいけそう、と思っちゃう所なんだけど。
出現するモンスターは、浅いところではゴブリンとかファングというお馴染みの顔ぶれ。
深いところだと、オークとかオーガが出てきて、最下層付近だと、そいつらが徒党を組んでいるらしいけど。
何でまた、そんな面白味のない場所に挑むのかと言えば、当然、理由があります。
なんと、初の試みとして、今日はマイ・ラブリー・シスターこと由乃と一緒に挑戦します。
お互いの実力とか戦闘スタイルをよく知らないので、今日はお試しでありますのん。
俺に合わせて、隣で拳を掲げる姿は、んー、控えめに言って頼りない。
俺が守ってやらねば。
「つーか、とても今更なんだが、普段のお仲間はええのんけ?」
当然、由乃には他の仲間がいる。
俺のようにソロで攻略するのは少数派なのだ。
というか、一般的には自殺志願者扱いである。
はなはだ不本意である。
断固抗議する。
そっちの方は放っておいても良いのか、という確認に、由乃は何でもないように言う。
「うん、皆は……多分、引退しちゃうかもだから。
この前の事、トラウマになっちゃったみたいで」
「あー、ね?」
ミノたんのお話だろう。
まぁ、そうね。
リアルに命の危機でしたもんね。
俺とか、よくある事で片付けちゃったけど、普通は怖いよな。
分かる分かるー(棒)。
「そう言う由乃んは、大丈夫なのかね? うぐっ」
可愛い愛称で呼んだら、前言の通りに俺の脇腹を殴ってから、彼女は答えた。
「怖いっちゃ怖いけど。でも、やりたいから」
「……ふぅーん? まぁ、それなら良いけど」
神経太いね。
俺が言えた話じゃないか。
これも血筋なのかね。
ああ、我が両親よ。
あなた方の育て方は、どうやら命知らずの馬鹿を産み出すようですぞ。
「まっ、それなら良いやな。
んじゃー、着替えてゲート前に集合な」
「オッケー」
ってな感じで、それぞれに更衣室に別れてお着替えタイムです。
とはいえ、俺は代わり映えのないボクサースタイルなので、服を脱いでハーフパンツを装着するだけで終わってしまう。
この間、一分もかかっていない。
当然と言えば当然として、準備を終えてゲート前にやってきても、由乃の姿は何処にも見当たらない。
まぁね。女の子の身支度は時間がかかるって言うしね。
……女云々じゃなくて、俺が早すぎるだけか。
仕方ないので、ゲート前で華麗なステップを踏みながら、キレのあるシャドーボクシングを行う。
ふふふっ、あまりの素晴らしさに、皆が注目しているな。
ゲート前の警備員だけでなく、通り掛かる鎮伏者の皆様からも、熱い視線を感じるぜ。
ああ、俺は今まさに輝いている……!
もっと見てくれ!
そんな感じで時間を潰していると、女子更衣室前で立ち竦んでいる由乃の姿が目に入った。
あら、可愛らしい。
所々にフリルをあしらった黒いワンピースに、黒いマント、先っぽが折れ曲がったとんがり帽子を被っております。
手には、胸の高さくらいの長さの杖が握られている。
先端には、赤い宝石が飾ってあるけど、んー、多分、イミテーション。
いや、あの大きさの魔法触媒って目が飛び出すくらいには高いし。
俺の負債額くらいには高いし。
まだ鎮伏者初めて一年もしてない由乃に買えるとは思えない。
まぁ、簡潔に言って、魔女っ子って感じかな。
コスプレとしては可愛いと思います。
でも、んー、なんというかなー、微妙にコレジャナイ感ががが。
いやさ、俺の個人的趣味かもしれんけども。
由乃が満足してるなら、んー、まぁー、別に良いんだけどさー。
「おぅーい。こっちよ、こっちー」
なんだか棒立ちになって固まっている由乃に向かって、大きく手を振る。
周囲の皆の視線がそちらに向かった。
ふふふ、可愛らしかろう?
あれ、俺の妹なんだぜ?
内心で自慢気にしていると、顔を真っ赤にした由乃が駆け寄ってきた。
おお、そんなに兄の胸に飛び込んできたいのか!
よし! ドンと来い!
両腕を広げて迎え入れるように待ち構える。
由乃は俺の目の前で踏み切り、膝を前に押し出して胸のど真ん中に飛び込んできた。
「死ねッ!!」
そんな気合いの叫びと共に。
華麗なる跳び膝蹴りと言えよう。
おいおい、そんな勢いでやっちゃいかんぞ。
お兄ちゃんじゃなかったら死んじゃうぞ?
いや、マジで。
胸骨に大ダメージを受けた俺は、残心の構えを取る妹様の前に崩れ落ちた。
「……由乃、何をする」
「何って訊きたいのは私の方だよ!
何だ、その格好は!?
自殺志願者か!? 露出狂か!?
夏の暑さで脳味噌バグったの!?」
散々な言われようである。
そんなにおかしいかなー?
ちょーっと、ガードが緩いだけですよ?
「あー、もう!
取り敢えず大丈夫かどうかはどうでもいいとして、一緒に活動する私が恥ずかしいから!
せめて服を着ろ!」
よほど腹に据えかねるものがあったのか、蹲る俺の背中を三発ほど蹴りつけてから、由乃は俺の腕を取って強引に歩き始めた。
向かう先は、鎮伏協会購買部。
鎮伏者活動に必要とされる、ありとあらゆる物が揃うという総合商店である。
当然、武器や防具と言った品も取り扱っている。
「攻略は後!
今日はまずお兄ちゃんの人間性を取り戻すよ!」
「おい、妹よ。そこまで言うほどか?」
原始人扱いはちょっと。
そんな俺の抗議は黙殺されるのだった。