兄の務め
えー、お日柄も良く、本日は奥多摩方面へとやってきております。
この辺りの虚数領域には、食料品をドロップするモンスターが多いので、個人的には狙い目だったのです。
とはいえ、そう考えるのは皆同じ。
牛肉とか鶏肉とか、一般的に食べられている系統のモンスターは人気度が高く、人もたくさんいる。
鬱陶しい位に。
特異な活動スタイルをしている俺としては、変ないちゃもんを付けられたくないから、まぁ人気のない虚数領域を選びますわな。
という訳で、選んだのは、第41奥多摩虚数領域。
ここは、ザ・山の中で、出てくるモンスターは虫ばっか。
ひぃ、キモイ。マジキモイ。
だから、皆さん、あんまり寄り付かないよね。
だけど、落とすアイテムは、やっぱり食料――虫由来だけど――なので、俺としては狙ってみるのも一興な場所なのでぃす。
そんな感じで、でかい蜂型のボスを倒したのは、夕刻。
ハチミツを落として欲しかったのに、出たのは短槍くらいの毒針だった。
ちくせう。
しかも、やっぱり何もスキルは進化しなかったし。
どちくせう。
虚数領域を脱出して、恒例の事情聴取を受けている時に、それはやってきた。
俺と、目の前の管理者さんの、両方の携帯端末が呼び出し音を奏でた。
「「失敬」」
お互いに断りを入れて確認すると、それは鎮伏協会からの緊急の招集命令だった。
向こうも似た様な要件だったのか、厳しい視線で俺を見ていた。
「吉田さん、緊急案件です」
「ヤバいみたいですね。
初めてなんでどうすりゃ良いのか分からないんですけど、どうすれば良いんですかね?」
「やる気があって結構。
……イレギュラー発生は、第22奥多摩虚数領域です。
ここから近いので、吉田さんは現地に急行してください。
こちらでの処理は、私がしておきます」
「ウッス。よろしくお願いします」
という事らしいので、後の事は任せちゃって、俺は手早く着替えると走って問題の虚数領域へと向かう。
いやね、ここ、山の中なんですもん。
交通機関とか発達してる訳ないじゃないですか。
走るしかないのよね。
まぁ、変容の恩恵か、ちょっと自分でもビックリするくらいに快速で走れてるんだけど。
ああ、俺は猿になったのだ。
最短直線距離を突っ走ったおかげで、お知らせから一時間と経たずに到着した。
ゲート前は慌ただしい様子。
規制テープが引かれ、鎮伏者の侵入を拒んでいる。
こういう場合、俺はどうしたら良いのかね?
分かんないので訊いてみましょう。
適当な職員さんを捕まえ、鎮伏者カードと例のクレジットカードを見せて、後の行動について訊ねてみた。
最初は迷惑そうな顔をしていた職員さんだが、俺が召集を受けた指定鎮伏者だと知ると、すぐに態度が翻り、奥へと丁寧に、しかし急いで連れていかれた。
「よく来てくれました」
「はい、来ちゃいました。
あの、俺、こういうの初めてで、どうしたら良いのか……」
奥で管理者さんと面会し、今後の行動について詳しく訊ねる。
彼は、少し疲れた様子ながら、丁寧に説明してくれる。
「はい。現在、詳細な状況確認と、対処法の策定を行っている最中です。
迅速に駆けつけてくれたところ、大変申し訳ありませんが、吉田さんにすぐにしていただく事はありません。
イレギュラー鎮圧の作戦が出来次第、それに従って動けるように準備だけしておいてください」
「あっ、はい」
「それと、お手隙のようでしたら、内部状況の速報くらいなら用意できます。
……必要ですか?」
「あ、お願いします」
「分かりました」
良かった。
取り敢えず、何も分からんから突っ込め、なんて無茶振りされなくて。
そんな無茶振りされてたら、刑事罰受ける覚悟で逃げ出していたかもしれん。
ひとまず、すぐさまにはやる事は無いらしいので、内部に関する情報を持ってきてもらっておく。
準備ったって、俺、ノーガード戦法だからなー。
飯食う以外に、やる事もないんだよね。
何なら、今からでも突入できますよ?
やらないけど。
指定鎮伏者は、緊急事態での切り札らしく、よほど無茶な事でない限りは、こんな時でも色々と便宜を図って貰えるようだ。
まぁ、忙しそうに走り回っている職員さんたちに対して、心苦しいから資料だけ貰った後は、隅っこの方で静かにしておきますけども。
そんな感じで、貰い受けましたよ、内部状況。
ウルトラファットレーション齧りつつ、目を通していく。
どうやら、内部では、突然の変遷が起きたらしい。
元はだだっ広い草原型虚数領域だったらしいのだが、今現在は、草原が全て枯れ果て、代わりにポツンとコロッセオの様な建築物が形成されているとの事だ。
四方に入り口らしき物はあるのだが、光の粒がそれを塞ぐようにしているらしい。
とは言っても、それはあくまでも出る事を防ぐだけで、入る事を防いでいる訳ではない、と思われるって書かれてる。
何でも、確認の為に向かわせた者たちが、入ったっきり出てこないし、何の連絡も寄越してこないんだと。
だから、コロッセオの中がどうなっているのかは分かっていない。
巻き込まれた鎮伏者たちは、コロッセオ内部にいるだろうと推定されているが、やっぱりこれも定かではない。
あるいは、変遷に巻き込まれて、何処かへと消えてしまった可能性もある、と注意書きされていた。
「あやや、怖いねぇ~」
他人事の様に呟く。
いや、実際に他人事なんですけどね。
いやー、良かった良かった。
こんな場所に先陣切って突っ込めなんて言われなくって。
鎮伏協会の常識的判断に心からの賛辞を贈らせていただきますよ。
そんな暢気な事を言っていられたのも、巻き込まれたと思われる鎮伏者の名簿を見るまでだった。
どうせ知り合いなんてほとんどいないんだけど、まぁ一応は? という程度で見ていくと、その中に信じられない、信じたくない名前が連ねられていた。
〝吉田由乃〟と。
「…………あ?」
暫し、脳ミソが空転する。
え? 由乃?
マイシスター?
同姓同名? 本人?
どうして? 何で?
ここに?
巻き込まれた?
イレギュラーに?
ピンチ? ヤバい?
由乃が、死んじゃう?
思考回路が繋がった瞬間、俺は立ち上がっていた。
職員さんたちを飛び越えて、背後から引き留めるような声も無視して、虚数領域の中へと飛び込んでいた。
瞬間に、気功法を発動させる。
やや遠目に見える石造りの建築物。
成程、確かにコロッセオっぽい。
そんな場所でやる事なんて、一つに決まっている。
殺し合いに、決まっている。
「妹がピンチなら……」
踏み込みと同時に、発勁で加速した。
一歩一歩で数十メートル以上の距離を飛び越えながら、俺は最大速度で駆け抜ける。
「それを助けるのは、兄の務め……!」
俺の意思に呼応するように、気功法が応えた。
ここ十日以上、ずっと虚数領域に潜り続けても、一度たりとも発動しなかった、発動する気配すらなかった機能、【殻破】。
それが、今こそ使えと叫んでいた。
同時に、俺の脳が、本能的に【殻破】の機能を理解する。
俺は迷う事無く、【殻破】を発動させるのだった。




