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出会って一年で、すっかり後輩に攻略される  作者: 無味乾燥
十一月のモラトリアム
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時節柄

 分子生物学用の実験台が立ち並ぶ十四階で、自らの使用スペースを整理する。今はまだちらほらと忙しなく動き回る研究員の姿を見ることができるが、十一月も後半になれば、例年のことながらこのスペースもがらんとするのだろう。


 間もなく年末、報告書の季節だ。僕たちの研究に、一年単位の区切りと言うものは実は存在しないのだけれど、会社のカレンダーで動くメーカー研究員の義務としてやっぱり年末には成果の報告義務が生じるのだ。


 僕の場合、個人で動かしている研究の他に、香月さんのプロジェクト下で動いている案件も複数進行中であるから、町田さんと香月さん二人分の校閲が入る報告書に関してはそろそろ手を付け始めなければ、年末に泣くことになるだろう。


「秋葉くん、どう? 順調にあげられそう?」

 年末の修羅場を思い浮かべていた僕にとっては、実にタイムリーに町田さんから声がかかる。報告書をという目的語は省略されてしまっていたけれど、この時期、報告者にとっても、それを受け取る側にとっても、口にするまでもないほど業務において重要な位置づけにあることを意識している証左だろう。


「すみません、昨日とりかかり始めようとは思ったのですが、書く段になって、いくつかデータの粗さが気にとまりまして」


 ふむと町田さんは一つ頷く。

「どうせ、上の方は子細なところまで見る目がないんだから、とりあえず大雑把に完成させておくのも一つの手だと思うけど」

 そして、こんな風に実に町田さんらしいアドバイスをくれる。


「はい。ですが、年末近くになるとキャリブレーションが入る機器も多いので、使えなくなってしまう可能性がありまして」

 データの質より報告の見せ方重視などと言い出したら、僕たち研究員にとっては元も子もないような気がするけれど、実際高い評価を得るためにはそうした手法の方が、効率的なことは否めない。


「なるほど、そういうわけね」


「いつでもとれるデータに関しては確かに町田さんのおっしゃるとおり後回し、というより余裕があればといいたところですね」


「まあ、きみの報告書に関してはあまり納期やクオリティに心配はしていないんだけどね」

 町田さんは誰のことを思いうかべたのか苦笑いを見せた。


「いえ、僕の方も今年は少し数が多くなっていて。少々スケジュールも厳しいので、お手数おかけしますが、注意してチェックしてくださると」

 僕は僕として、自らの懸念を口にするが。


「何言ってるの」

 町田さんはやや不快な表情でその発言を制して続けた。

「うちのみんなはタダでさえ、注意してないといけないメンバーが多いのに、君のことまで気にしてる余裕はないよ。納期という意味でも、報告の方向性という意味でも暴走しがちな人が多いからねぇ」

 どうやら特定の誰かひとりを気にしているわけではない様子であった。


「はぁ」

 僕は弱弱しい返事を返す。


「まあ、研究員としては正しい姿なのかもしれないけどさ。もう少し、こう、ディレクターというか、マネージャーの立場も組んでもらいたいものだよねぇ」


「気をつけることにします」

 ぽんと町田さんは僕の肩に手を乗せる。


「まあ、意識しておいてくれるだけで有難い。頼んだよ」

 ひらひらと手を振って、町田さんがその場を去った。今年度末もやはり、楽をできそうにはないと僕は溜息をつく。


 すると、ちょうどそのタイミングで、社用のスマートフォンがポケットの内で振動したことに気付いた。ラテックスのゴム手袋を脱ぎ捨て、白衣の内側から、それを引っ張り出す。メールボックスを確認すると、それは意外な人物からの招集依頼であった。


 差出人に、製品開発部の遠藤さん。表題に、『WSC新規取り組みに関して』。


「この忙しい時に限って……」

 長ったらしいメール本文の確認は後にすることを決め、ひとまず僕は目の前の作業に集中することにした。


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