影響
「まぁ、いい機会だと思うから。一度データを持って相談に行っておいでよ」
数日前の町田さんの言葉を思い出す。僕は生体情報部生体防御機構グループの研究員と対面していた。抗ヒスタミン薬と併用することを目的とした副作用軽減物質の機能調査。その案件を一手に引き受けることになった僕は、基礎知識補充の目的も兼ねて、ざっくばらんに話を聞きたいと考えていた。
「話を聞かせてと言われてもな。橘さんに大体の話しは既にしてあるし。彼から情報を引っ張ってきてよ」
町田さんからも、そういった話が可能な相手だと聞いている。けれど。
「いえ、それは確かにそうなんですが。一度得たデータも見ながら少しアドバイスをいただきたいと思っているんです」
「アドバイスって……。具体的な質問なんかにしてくれた方がこっちとしては話しやすいんだけどな」
先程からどうも相手の研究員の反応が悪い。話を広げる気はさらさらないようだし、何かしら僕のことを警戒しているようにも思える。
「そうですね……。具体的な質問ということになると、それがあるわけではないのですが。データ解釈の仕方などに、何かしら間違いなどないかと」
「こりゃ、聞いてたとおりなのかね」
ぼそりと、目の前の研究員が呟く。
「何がでしょうか?」
すっと僕は目を細める。すると相手は慌てたようにひらひらと手を振った。
「いいや、なんでもないよ。こっちの話。データ解釈の妥当性について意見を聞いてるなら、僕からは特に意見はないよ。しっかりデータ取れてるんじゃない?」
「はぁ……。そうですか」
ここへ至って、ようやく僕にもおおよその事情が見え始める。
特に会議室を抑える必要性を感じず。生体情報部の面々が常用的に使用する、十二階のオープンスペースで、僕たちは意見を交わし合ったが、これなら個室を取っておくべきだったと僕は後悔する。
ごくまれにではあるけれど、すぐそばを通る研究員達の視線にやや好奇のそれが混じっていると感じることがあった。
ここの研究員達は、皆森下さんの噂を気にしている。
この場所では、彼が本当に噂を信じて僕にあんな態度をとったのか、周りの目を気にして気前よく話すことができないのか判断がつかない。町田さんが紹介するような人だということは後者の可能性が高いとは思うのだが。
「あの、もういいかな? 用が済んだのなら」
「ああ、はい」
自らの思考の海に浸かっていた僕は気の入っていない返事を返す。
「それじゃあ」
ぱたりとPCを閉じて、彼はその場を立ち去ろうとする。
僕はこれ以上印象が悪くなることはないと判断して、その背中に声をかけた。
「あの、またお話を聞きにきても」
振り返った研究員は怪訝な顔である。
「こっちも忙しいから、できれば来ないでもらえると」
「わかりました。ではまた七十五日後にでも出直しますよ」
「は? なんで七十五……」
彼は一瞬、打算や演技の一切を忘れたかのように惚けた表情を見せた。それが少しおかしくて、僕は苦笑いする。
「人の噂もなんとやら、というでしょう?」
今度は苦々し気に、彼が表情を歪める。僕が色々な事に勘づいていることを悟ったのだろう。
「悪いね」
それだけを告げて、本当にその場を後にする。
ひとりその場に取り残された僕は、パチンとPC画面の端を指で弾いた。
こんなつまらない理由で、どうして僕の業務が邪魔されなければならないのか。森下さんは今、一体どういう思考回路で仕事をしているのだろうかと。詮無いとは分かっていながらも、僕はそんなことを考えていた。
お付き合いくださり、ありがとうございます。
もう一本の拙作も、是非ご一読ください。
https://ncode.syosetu.com/n9228gx/
『 頑張れ菅原先生!-かわいい教え子の頼みなら断れないのは仕方ないよね-』




