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出会って一年で、すっかり後輩に攻略される  作者: 無味乾燥
八月の特許申請
75/121

羽目を外す・1

「このお店は初めて入りました」

 彼女が経験豊富でなくて助かったと僕は安堵する。僕が選んだ店は、変に安すぎはしないけれど、変に気取ってもいない程度で、隠れ家とはいえないまでも、ある程度落ち着いた雰囲気のある創作イタリア料理店だった。肉バルと表現するのが適当かもしれない。僕は大抵の場合、こういった場面で挑戦的な選択をすることが苦手だ。


 八月の終わり、僕はようやく百井と食事の約束を取り付けることができた。七月と八月は彼女も多忙を極めていたようで、数度の日程調整を繰り返した結果の今日だった。


「良かったのか? 完全に酒場だけど」

 彼女を気遣ったつもりだったのだけれど、僕の言葉に彼女はむっと唇を尖らせる。


「秋葉さんは私のことを自分の娘か何かと勘違いしてるんですか? 私だって飲むときは飲むんです」

 その言いようがおかしくて、僕鼻から息を漏らす。


「あっ、やっぱりそうやって、鼻で笑う。先に言っておきますが別に無理してるわけでもないですから」

 確かに彼女に言われなければ、無理に付き合っているのではないのかと僕は疑っていただろうから、少し驚いてメニュー表をめくる手を止めた。


「そうか、悪い。なんというか、ついだいぶ年下なんだって意識が先に立って」

 言いながら、僕はカクテルがいくつも並んでいるページを開いて彼女に差し出す。


 すると、今度は何を間違えたのか、再び百井はむっとした表情を見せた。

「五歳くらいしか違わないんですが」


「五歳違えば、小学一年と六年生だ」


「それは極論で、二十代の五歳差なんて些細なものです」


「それはそれで、極端な言い方だと思うけどな」


 僕がそこまで言ったところで、百井はトンと机を叩く。意図が読めずにぽかんとしていると、彼女が言い放った。

「ワインにしましょう。こういう場所ではワインです」

 どうやら、カクテルのページを開いて渡したことを怒っていたらしい。やけに挑戦的な顔だった。子供扱いが気に入らないらしい。今日の彼女は、どうもいつもとテンションが異なる気がする。


「お前、明日は大丈夫なのか?」

 しかし、僕のそんな言葉はよくわからない威圧感を孕んだ彼女の視線に制される。


「問題ありません!」


「まあ、百井の好きなようにすればいいけど。今日はお礼のつもりだから」


「はい。秋葉さんも、付き合ってくださいますよね?」

 にこと今度は悪戯っぽい笑みを浮かべる。ああ、と僕は頷く他なかった。


 それから。最初に頼んだボトルは、おおよそ一時間が経過したころに空になった。どちらかのペースが速いということもなく、飲んだ量は丁度半分くらいだったと思う。

「次はこっち」


「本気か?」


「あ、お金のことは心配しないでください。きちんと私も払いますし」


「いや、そういうことを言っているわけじゃないんだけど」


「秋葉さんはもう限界ですか?」

 僕と垣内は頻繁に酒を酌み交わす仲ではないが、それでも一年に二回程、わけもなく深酒をすることがある。僕は別に負けず嫌いというわけでもないけれど、そんなふうに言われると、こちらも引き下がるわけにはいかないと、妙な意識が働く。


「いや、百井が言うなら」

 僕が頷くのを見て、百井が微かに息を漏らす。


「ふふっ…………。秋葉さんは今、楽しいですか?」

 特に呂律が回っていないわけでも、言動がおかしいわけでもなかったから。おそらくは本当に本人のいうとおり、酒に弱いわけではないのだろう。今、という言葉の意味をしばらく思案してから答える。


「ああ、正直ちょっと楽しいかもな」


「私に気を使っていませんか?」


「多分、僕にしては珍しいくらいに、何も考えていない」


「秋葉さんはこういうの、あまり好きではないと思っていたのですが」


「こういうのって、飲み会のことか?」


「と、言うよりは、他人と過度に交流しないといけないこと、全部」

 一度グラスに口をつけてから彼女は言う。


 百井に嘘をついてもいつもすぐばれるから。そうだと反射的に答えそうになる。けれどもそれを思い直して、僕はふっと浮かんだことを口にする。

「百井と話をするのは、自然とつかれないから」


 楽しいからという言葉は、どこか不適なような気がした。それに彼女のことを変に意識しているようで、どうしても僕のような人種の口からは出すことが難しい。


「つかれない……」

 すると、百井がそれを反芻するように、呟く。少しだけ絞られた照明のせいで、気付かなかったけれど、アルコールで彼女の肌はすこしだけ赤くなっているようだった。

「それは、癒される、ということでしょうか? 私はきちんと秋葉さんが心を休めることのできる場所を提供できていますか?」


 予想もしなかったことを言われて、僕はぴくとグラスを傾けようとしていた手を止めた。結局ワインは口に含まないままに。


「好きなように解釈してくれていい」

 そんな風に口にする。今日はお礼のつもりだから、それが真実だということにしよう。あるいはそんな忖度なんて実は必要ないのかもしれないけれど。


8月編明日で完結予定です。いつのまにかブックマーク50件に到達していました。大変うれしいです。もしよろしければ、今後もお付き合いください。

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