昔話
「おい、秋葉」
肩を叩かれて振り返ると、滝川が薄い笑みを浮かべていた。会議終了直後のことだ。僕に何かを言いけていた香月さんは、それを見て会議室を後にする。町田さんの姿も既になかった。
「滝川。随分久しぶりだな」
僕が答えると。
「秋葉がなかなか同期の集まりにも顔出さないからだよ。どうしてるのか気にはなってたんだ」
「俺のことが? そりゃ嘘だろ」
「いやいや、いるんだよ。未だに飲みの席ではたまに話題に上るんだぜ」
訝しんで僕は眉を潜めた。だが、彼が嘘を吐いている様子はないし、そんな嘘はそもそもお世辞以上の効果を期待できないだろう。
「まさか」
僕のその表情を見た滝川が慌てて説明を加える。
「本当だよ、自分で言うのもおかしいけど、俺と垣内とあとは秋葉のことはいつもだ」
「なんで」
「なんでって、そりゃ研修から色々注目されてただろ。別にすすんでってわけじゃないが、研修班ではリーダーなんかやって、結構褒められたりもしてたからな」
僕は首を振る。
「そういう目立ち方をしてたのは滝川と垣内だけだろ。そこでなんで僕なんだ」
すると、滝川は苦笑いとともにこぼした。
「わかんないかな。そういうこと何もやってないのになんとなく皆がお前を認知してたからだよ。何気ない発言が本質をついていたり、誰も気が回らないタスクを気が付いたらこなしていたり。そういうのが、なんとなく記憶に残るからだと俺は踏んでるんだが」
「そういう事実があるとして」
僕はPCの画面を畳みながら続けた。
「偶然だと思うぞ。僕はお前らみたいに器用じゃないんだ」
「まあ、いいけどな。研修の時の優劣なんて今はどうでもいいわけだし」
すると滝川は諦めたように溜息をついた。
「それよりも」
再び彼は話題を変えるように口を開く。
「今お前が取り組んでる案件はなかなかおもしろそうだと思う」
それは僕にとっては意外な言葉だった。そのまま思いが口にでる。
「M2がか? 僕が言うのもおかしいが知財的にはありふれた案件だと思うけど」
少しだけ悪戯っぽい笑みを滝川は見せた。そういえば数年前にも何度かこの表情を見たことがあるなというのを思い出す。
「M2だけなら、そうかもな。俺が面白いと思ったのはその評価モデルの方だよ」
ああ、と僕は頷く。
「生体外新規免疫ネットワークモデルのことか。面白いなんて一言で言ってくれるけど、あれの構築は正直いって並みのしんどさじゃなかったぞ」
「モデル構築自体はお前が一人で?」
「いや、アイディアは僕で、構築はさっきもいっしょにいた香月さんに手伝ってもらってる。そのあとのM2のアッセイはほとんど香月さんだな。僕はモデルの信頼性を確かめる実験に終始してたから」
顎に手をやりながら、滝川が告げる。
「俺としては、そのモデルの方が知財としては面白いと思うんだけどなぁ……。M2はライセンスを取得したところで、他からの使用依頼は来ない気がするんだ。でも、モデルの方は他のアッセイにも広く応用できる可能性があるだろ」
「まあ、でも今回はM2で特許をって方針だからな。それに、変にライセンス化して普及が遅れるってのも僕個人としてはあまり嬉しくない」
「おまえ、個人としてはな。秋葉が非営利団体のメンバーならそういう考え方も許されると思うけど」
「分かっている。会社としてはまた別、だろ」
こくりと滝川は頷いた。彼は彼で、すっかり知財グループの考え方が浸透しているなという印象だ。
「まあ、また何か面白い技術があったらちゃんと紹介してくれよ。今回久々につながりを持ったのも何かの縁、だろうしな」
「おう」
じゃあまたと、彼は会議室を後にする。確かに知財部の優秀な同期というのも、なかなかに心強い味方なのだろうと思う。現金だけれど、これからはもう少し懇意にしておくべきかと、僕らしくない考えが思考の隅にうかぶのだった。




