脱出ゲーム
「俺は前から、お前は後ろから頼む。多分後半の方がややこしいワード設定になっているだろうから、俺のノルマが二十そっちが十個くらいか」
「はいはい。りょーかい」
目の前にいくつも並んだ、白抜きの四角形を眺めながら僕は思考を巡らせた。いわゆるクロスワードパズルというやつだ。
ふと思い立って、僕は隣に立つ二人の先輩に声をかけた。
「ざっと見たところ、これが一番地味な上に時間がかかりそうなので、恵さんと曽我部さんは他に解けそうなところから取り掛かってもらって大丈夫ですよ」
告げながら、三つ目のワードのマスを埋める。
「はぁー……。なんとなくわかっちゃいたけど。なんか君らすごいねぇ」
僕がソガベと呼んだ女性が間延びした声を漏らした。
「垣内くんが色々とすごいのは知ってたけど、秋葉くんもちゃんとすればできる子だったんですね」
「言っておきますが、僕はいつも仕事はちゃんとしていますよ」
恵さんの軽口を、あしらう程度に留めて問題用紙に向き直る。今回の課題は時間制限付きなのだ。
「まぁ、じゃあ、私たちは解けそうなのから行きますかね」
それでようやく恵さんと曽我部さんも、机の上に広げられた紙とにらめっこを始める。
随分気候も暖かくなり、そろそろ長袖で外を出歩くのが厳しくなってきたゴールデンウィークの初日。僕たち四人は六畳のワンルームマンションほどの広さの部屋に閉じ込められていた。
閉じ込められていると言っても、垣内や僕の表情に深刻なものはなく。恵さんや曽我部さんはむしろこの状況楽しんでいるようでさえある。ゲームなのだから当然だ。僕たちは現在、巷で流行している脱出ゲームという催しに参加していた。
多くの従業員を抱える僕たちの会社では毎年、役付き以外の、労働組合に参加する若い社員の交流を目的に、ゴールデンウィーク中に大規模なイベントが開催される。参加は任意だけれど、組合員とその家族を含めると参加者は二百名程にもなる。例年、その構成は、午前に大人数で楽しむアクティビティ、交流を深めた仲間と昼食がてらにバーベキュー、場が盛り上がればそのまま夜の宴会になだれ込むというものになっている。
「ああ、なんだろ。これ? せんっぜんわからん」
五つ目のワードのヒントに目を落としながら、がしがしとペンの端で頭を掻く曽我部さんの声を聴く。僕は今日までほとんど話をしたことがなかったが、垣内の直属の先輩にあたる人物だ。年が近いこともあり、彼とよく話している姿をよく見かける。
「あんま時間とられたくないなぁ。A5和牛を焼きたいもんね」
恵さんが応じてる。因みに、この脱出ゲームは成績に応じた景品が配布される仕組みになっていて、その多くが高級食材だ。昼のバーベキューで焼けるように、複雑な調理なしでも美味しいものが多い。
「でも、そもそも考えるとっかかりもないわ。時計のブランド、ネクタイ、速度、否定文? どういうこと?」
今回の脱出開始時に、僕たちは封筒に入った七枚の問題文と一枚の解答用紙、加えて光る台座を手渡された。トレス台といでもいうのだろうか。
「三文字でしょ?」
「うん。それは間違いない」
解答用紙には、方眼ノートのような枠付きの解答欄が八つ並んでいるから各設問の答えの文字数は明確だ。各解答欄には一文字ずつ太線で枠が引かれている部分があるから、全問を回答した後、その部分を繋げて読めば次のヒントが示されるのだろう。
タテ:8『モンゴルや中国の乗り物といえば? ひとつより、ふたつの方が乗りやすそうだよね』先ほどから、想像していた以上に軽い口調の問題文が続く。
「……フタコブラクダ」
ずいぶん面倒なワードを選択しているものだと感心する。時間をかけたこともあって、思いついたとき思わず呟いてしまった。
「え? ラクダ?」
それを恵さんが聞いていたらしい。どうやら思考を邪魔したようだ。
「すみません。こっちの話で」
「なんだ……。ずるいですよね。そっちはこういうの得意だからって」
少し思考に疲れたのか恵さんが唇を尖らせる。稀に酷く子供っぽい一面を見せることもこの人の魅力の一つだと思う。
「だからすみませんって。謝ってるじゃないですか」
僕の方の進捗も、順調とは言えない状況だったけれど、素直に謝罪を口にした。魅力的かどうかはさておいて、先輩には逆らえないものだ。
「じゃあ、バツとしてこっちも見てみてくださいよ」
けれど、素直に謝ったところで、許してもらえるかはまた別の話のようだった。。
「いや、ヘルプが必要なら後で、」
「いいから、一回見てください」
目の前に差し出された問題文が、いやでも目に入った。
『時計のブランド、ネクタイ、速度、否定文、連想されるものは?』
「ちなみに解答欄は三文字ね」
思考中に、曽我部さんが口を挟む。こうなってしまったら僕の性格的に、答えを導くまでずっと、この問題が思考の隅に引っかかりそうだ。
やがて、速度、否定文からなんとなくのあたりがついて。ネクタイの部分で確信する
「……ノット」
「え?」
恵さんが聞き返す。
「ノット、じゃないですか? 船や飛行機の速度の単位にノットがありますし、英語の否定文といえばnotです。時計のブランドは正直分かりませんが、ネクタイの結び目のことはノットといいます。ほら、結び方にプレーンノットとかありますよね」
「はえー」
また曽我部さんが間延びした声を漏らし。
「天才!」
恵さんが大げさに指を鳴らして、解答欄に書き込む。
ちょうどその時、垣内が僕の作業を覗きに来た。
「おっ、もう八つ終わってるな。今向こうで二十二個終わったぞ」
「お前、やっぱり早いな」
「まあ、リンゴを英語で? とか、いつも小さい帽子をかぶっている人の職業は? とか前半は子供騙しが多かったからなぁ」
喋りながら、器用に垣内が空欄を埋めていく。最終的に答えの欄にもカタカナを並べてゆき仕上げとばかりに読み上げる。
「えぇ……。どす、どすとえふすき。ああ、ドストエフスキーか。罪と罰の。多分、合ってるみたいだ」
フタコブラクダの「フ」も使用されていた。ちゃんと単語になってるし、と垣内が確認するので、僕も頷いた。
「じゃあ、次、とりかかるか」
解答欄はまだあと、五つが空欄のままだ。先は長くなりそうである。




