強引な同期
ブブっと、私用のスマートフォンが震えた。プライベートな付き合いが、常人と比して少ないと自覚している僕は、珍しく金曜日の夜に震えたそれを、業務中にも関わらず鞄からつまみ出した。時刻はちょうど七時になろうかという時間帯。
『ごはーん』
『久しぶりにいこーよ』
『あーきーばー』
メッセージアプリの文面からでさえ再生される、陽気な声だった。僕に対してこんなメッセージを送りつけてくる相手は、安住しかいない。商品開発系に配属された同期の中では、唯一定期的に連絡を取っている相手である。
ピピーピ、ピピピピ、ピピピピピと、特徴的な電子音が耳に入った。培養室に設置されている遠心分離機からだ。しばし考えてから、スマートフォン上に指を走らせる。
『今ちょっと取り込み中』
とあるメーカーの遠心機は、デフォルトでアラーム音が、この木なんの木、に設定されている。研究員の皆はなんとなくそれが気に入っていて、誰も設定を変更しない。
蓋を開き、セットされていた筐体状のサンプルを取り出して僕は動きを止めた。これを冷蔵庫に入れるか、作業台に移すかで今日の仕事終わりの時間が決まる。
ここ三日程、今までの状況が嘘のように仕事に余裕ができている。面倒だった仕事を一部、望月に譲渡することに成功したのも大きな要因の一つだ。この隙に平常業務の進捗をできる限り進めたいという思いと、早く帰れそうな日には残業時間削減に努めておきたいという思いが、頭の中で小競り合いを繰り広げていた。
ブブっと再びスマートフォンが震えた。
『えーー』
『じゃあ、無理はしないでー』
文面を確認して、彼女が心にもない文字を打ち出しているだろうことに苦笑する。
いつだって安住は強引で、僕にはそれくらいの相手が丁度いい。おそらく、関係性が薄れていく同期が大半の中で、彼女との連絡が途切れないのもその辺りが関係している。
人付き合いに関する僕の守備範囲の狭さを、彼女の強引さがカバーしてくれている。現に安住は、未だに多くの同期と頻繁に飲みの席を設けているらしい。
『おっけい。じゃあ、今日はやめとく』
間髪入れぬ間に、返信を受信した。
『ちょっ』
『もうちょっと考えてよー』
『だって無理はするなって』
『あーーーん』
画面上で、不細工なうさぎが寝転んで足をばたつかせていた。
『やっぱ無理してーーーー』
『……』
『このままだと』
『うちにごはんない』
『ねぇーーーー』
『ちょっとだけー』
『じゃあ、三十分後に会社出る』
結局初めから、僕にとっても、安住にとってもこのやり取りは結論が見えていた。新喜劇の笑いに似ている。
『⁉』
寝転んでいたうさぎが、ばっと跳ね起きる。
『神!!!!』
僕はもう一度笑ってから、取り出したサンプルを冷蔵庫にしまった。
どうせ、放っておいてもしばらくすればまた仕事の波がやってくるのだから、今のうちに残業時間を少し減らしておくのも、やはり僕の重要な仕事であることには変わりない。




