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出会って一年で、すっかり後輩に攻略される  作者: 無味乾燥
三月の返礼品
20/121

彼女にも返礼品を・2

「うん、……甘い」

 先に手を付けるのはどうかと思いながら、頭から一口、それをその場でほおばってから、僕は頷く。


「よかったです。それで、何か私にしてほしいことはありませんか?」

 ごくごく自然に、当たり前といった口調で百井が聞く。


「はい?」

 それで、今度は僕が彼女に替わって頓狂な声を上げる番だった。


「私に何かしてほしいことはありませんか? 今なら特別に、何でも受け付けます」

 彼女が繰り返した。それで、彼女の言い間違いでも、僕の聞き間違いでもないことを悟る。


「なんで、急にそういう話になる?」


「だって、チョコレートバーのお礼に、こんな高級なお菓子をいただいては全くつり合いが取れていません」


「それは、そうかもしれないけど。ホワイトデーのお返しは三倍返しってよく言うし」

 自分を落ち着けるためにも、僕は一旦適当な言い訳を返す。


「私はそれには納得できません」

 だけどそれはばっさりと切り捨てられて。


「だとしても、」

 僕は、結局動揺したまま返事をする羽目になった。

「そういう言い方はやめた方がいい」


 視線を反らして、急に声が小さくなった僕を見て、ああ、そういうことですかと百井が決定的な言葉を口にした。

「もしかして変なこと考えました?」


「分かってるなら……。なんでもなんて言ってると誤解を招かないとも限らない」

 少し声が大きくなって。動揺していること自体が悪いような気になって。僕は一度深呼吸を挟んでから小さな声で言った。精いっぱい抗議の念を込めて。


「出会ってから間もないですが、私は秋葉さんのこと、信用してますよ?」

 信用、という言葉に僕の気持ちが揺らぐ。信用しているということは、信用するということは一体どういうことだろうか。


 信用というのは、相手に、ある程度行動の自由を与えるために使う言葉で、相手に、ある程度自分の何かを預けるときのための言葉だ。


 僕は今までその信用の意味を考えてこなかったから、ある程度がどこまでなのかいつも分からない。


「それは、どういう意味?」

 結局僕は、情けなくもその意味を問い返す。


「どういう意味でしょうか?」

 すると彼女は今までにないくらい、大人っぽい表情で僕に問い返した。彼女の目には、僕がひどく幼く映っているような気がする。


「少し、向こうを向いてみてください」

 考え込む僕に、百井が告げる。


「こう?」

 唐突に彼女に行動を指示されるのは、もう初めてではなくて。何か酷いことをされるとも思わないから、僕はそれに素直に従う。


「今、秋葉さんは私に言われて、何も聞かずに背を向けましたね」


「ああ」


「秋葉さんも私のことを少しは信用してくれているみたいで、安心しました。これが、ひとつの信用の形じゃないですか?」

 その言葉に僕ははっとする。確かに、とても小さいけれど、これは彼女に対する信用、に近いのかもしれない。


 しかし、次に彼女がとった行動は。

「それで、こういうのが、信用を裏切る、悪い行動、です」


 背中が熱い。


 柔らかい何かが、僕の身体の半分を包み込んでいた。

ゆっくり視線を落とすと、僕の腹の前で、百井の細い腕が組まれて。僕はようやく彼女が何をしているのか悟った。


「あの、百井?」


「なんでも難しく考えすぎるのが、きっと秋葉さんの悪い癖です」

 僕の質問を受け付けず、彼女が言う。


「たまには、何も考えずに。思ったままに行動した方が楽ですよ」

耳ではなく、触れている背中から、声が振動で伝わっているような錯覚に陥る。


「この行動にも、別に変な意味はなくて」

 それを知ってか知らずが、彼女は酷くゆっくりとした口調でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「ただこうすれば、ちょっとは秋葉さんが、元気になるかなぁと思っての行動です」

 どくんと、ひときわ大きく心臓が跳ねた気がした。


「裏切った直後に、これを信じてくださいって言うのは少し無理があるかもしれませんが」

 やっぱり僕はいつだって、百井に本心を隠し切れない。自分さえを騙せていた方法が、彼女には通用しない。


「信用してくださいね?」

 言ってから百井は、少しだけ僕の前に回した両腕に力を込めた。


「ああ……」

 やはり彼女にも、ホワイトデーのプレゼントを用意してよかったと思う。だって僕が百井に感謝しなければならないことは、なにもあの日のチョコレートバーだけじゃない。

 

 初めて会った時、疲れている僕の心をすっと落ち着けてくれた。

 周囲から正当な評価を受けることを諦めていた僕に、少し悲しそうな表情を見せた。

 疲れた顔で通勤しようとした朝に、強引にカフェへ連れ込まれた。


 いつも彼女の言葉に振り回されていたようで、気が付くと僕は彼女に助けられている。

押し付けがましいようでいて、僕がひっそりと欲しがっているものを彼女は暴いてくれている。


 彼女と会う前の自分がいったいどんな風だったのか、少しずつ僕は思い出せなくなっていた。


三月編はこれにて完結です。

また☆評価をしてくださる方がいらっしゃり大変うれしく思います。

引き続きお付き合いください。百井さんの出番はこれからどんどん増えていきます。

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