立ち位置
「といった状況でして」
目の前で、町田さんがうぅんんと、渋い顔を作っている。僕は構わず続けた。
「僕と町田さん、あとは室田さんと橘さんからはお金を頂こうと思います。千円程度ですが」
もう一度、町田さんは僕の前で、うぅんんと唸り声をあげた。
「何か問題が、ありますか?」
「いや、やってくれることはいいんだけどねぇ。ありがたい」
「どの辺りが、まずいですか」
僕の口から町田さん好みの言葉を引き出そうとするこのやり口は、いつも少しずるいと思う。
「やるなら、全員で、がいいよねぇ」
やはりそうきたか、と僕は内心でだけ毒づいた。僕だって、井川さんから努力をして妥協を引き出せるのであれば、そうしたい。だけど、僕のような小者の知恵では、彼をなんとかする方法を最後まで思いつかなかった。
「正直、井川さんに賛同して頂くのは難しいと思います。どうしてもというなら、」
だったらせめて、井川さんのあずかり知らぬところで全てを済ませてしまいたい。これはもはや、彼の協力を得られないだけで済むか、彼の協力を得られない上に、誰かが彼の好感度をも失うかという問題で。
「町田さんから説得してください」
三度、町田さんは、思いっきり眉根を寄せて、唸り声をあげた。
「秋葉くんが、井川君を含めた全員にメールを送って、僕が真っ先に賛成の返事を出すから。そうすれば、彼も乗らざるをえなくないかな?」
「難しいと思います。うちのグループのメンバーが皆さん少々偏屈だというのは、町田さんが一番ご存知でしょう」
「そういう言い方はよくないと思うなぁ」
やっぱりこの人は少しずるい。
「ともかく、」
小さく咳払いしてから僕は繰り返す。
「井川さんには伝えない方がいいと思います」
額を机に立てた右腕で支えるようにして、数秒考え込んだ町田さんだったが、やがて一つ大きな息を吐いて。数度こくこくと首を縦に振った。
「まあ、進めてくれるのは秋葉くんだしね。君がそういうなら、そうしよう」
「ありがとうございます。助かります」
これは僕の分、と町田さんは懐から二千円を取り出して、席を立った。ホワイトデーを一週間後に控えた、金曜日の業務後の出来事だった。
彼との会話を終えて、ようやく僕は対象となる男性社員四人にカンパ金お願いの旨を記した一斉メールに手をつけることができた。
週末には、小洒落た有名洋菓子店で、自分のためには決して買わないような高級な焼き菓子を詰め合わせてもらった。少しだけ考えて五人分用意したそれらは、少々大荷物になってしまって。万一にも恵さんなんかに見つからないようにと、週明けには最近早めている出社時間をさらに早めた。
僕が送った返礼品のメッセージには、週末、町田さんだけが返事をしていた。この会社の研究員は、休日に仕事のメールを返信しないでも、叱責されない程度には、働きやすい職場で仕事をしている。僕も週末には、連絡用のスマートフォンで町田さんのメッセージを確認するに留めていたから、それに謝辞を返そうと、パソコンを開いてまず一番にメール管理のソフトウェアを立ち上げた。
『秋葉さん、とりまとめありがとうございます。僕は賛同します。』
目当ての町田さんからのメールを見つけて、そこでふと違和感を覚える。
宛先の、カーボンコピーのメンバーが多い。
先頭から、順に横長のカラムに記されたそのメンバーを追っていく。宛先欄に、僕、秋葉葉太の名前。CC欄に、室田さん、橘さん、そして、井川さんの名前。
町田さん……。僕は思わず、心中でGMの名前を零していた。
たった一人加わっただけだけれど、間違いなく意図的なメンバー拡充だ。こんなことになるなら、先日はっきり、井川さんも宛先に加えてくれと頼まれた方がまだよかった。
頭を掻きむしりたくなるのを抑えて、返信用のメールを作成しようとした丁度その時、二通の新着メールの存在を、ソフトの通知機能が告げてくる。
二通とも差出人は井川さんだった。ちょうど通勤電車にでも乗ったのだろうか。まずは、僕たち男性社員全員に対して、企画には不参加の旨を伝えるメッセージ。
もう一通は僕個人に宛てられたもので。恐る恐るそれを開封して、予想どおり、盛大な溜息をつくことになった。
『がっかりした。秋葉はしっかりものを考えられると思っていたのに』
それがどんな相手からのものであっても、失望の言葉というのは少し心を揺らされるものだ。




