補給
「ホットサンドのセットを。飲み物はココアで。温かいのを」
「アールグレイを。ホットで、ミルクはいりません」
「食べないんですか?」
「朝食は取ってきてるから」
「気を使って、何か頼むものでは?」
「悪いが、気を使うのは苦手なんだ」
「嘘ばっかり」
「本当」
ふぅん、と百井が口を閉ざしてから、店員に以上ですと告げた。年配の、見事な白髪を丁寧にセットした男性だった。客は、僕たちを除けば二、三組しか入っていない。
間もなく運ばれてきたホットサンドを、百井は大口を開けて頬張ろうとしていた。きっとそのままかぶりつけば、その一口目が一番おいしいけれど、反対側からトマトとソースがはみ出すだろう。
「じっと見られると、はずかしいです」
「すまん」
知らず百井に注視していたことに気付いて、僕は恥ずかしさを隠すように紅茶を啜る。
「やっぱり食べたくなったのなら、半分あげますよ?」
「いや、そういうことじゃないから」
もう一度紅茶を啜って、ようやく平静を取り戻した。じゃ、食べますからね、とわざわざ宣言してから、百井がようやくサンドウィッチを口にする。
やっぱりソースが少しだけ、白い皿に落ちたのを見て。笑いそうになったところで、慌てて目を反らした。先ほど、あまり見ないで欲しいと注意されたばかりではないか。
「それで、やっぱり最近も、遅くまで残ってらっしゃるんですか」
幸い、今度は僕の視線など百井は気にしていなかったようで、いつもの調子で問いかける。
「いや、遅いこと自体は慣れてるから別にいいんだけど」
百井が眉根を寄せているのに気づいていながら、僕は続ける。
「業務量はそのままで残業を減らせって言われるのは、ちょっと。難しいなぁと、今朝は考えてたところだ」
「基礎探索の先輩方はみんな忙しいんですね」
僕は一瞬考える。
「でも、僕ともう一人以外はあまり遅くまで残ってる人はいないか。ああ、GMも含めると三人はよく残ってる」
「何人の部署でしたっけ?」
「……九人、だったかな」
「他の六人の方は?」
もう一度、僕は思案する。何をしているんですか、という言葉を百井は飲み込んだようだ。だが、僕としては、他の六人に現状の責任があるとも思えない。
「別にさぼってるわけじゃない。そもそもグループの構成がちょっと偏ってるんだ。ベテラン七人に、若手二人。基礎研究だとどうしてもベテランがブレーン、若手が実働部隊になりがちだし。お子さんのいるところなんかだと、どうしても残業はさせにくい。GMもベテランの仕事には介入しにくいだろうから……」
僕は思いつくかぎりの一般的化された理由を述べる。
「言ってることは分かりますが、秋葉さんはそれでいいんですか?」
「いいのかって?」
「不満はないのかってことです。秋葉さんはいつだって、秋葉さんの周りの方の事情ばかり教えてくださいますが、ご自身の事情は何も教えてくれませんよね」
「それは……」
それで初めて、はっとする。彼女に言われて。自分自身が動かなければならない事情を見つけようとして、僕は言葉につまった。
いつだってそうだ。僕は、周囲の誰もが自分のために何かをしてくれるなんて考えていなくて。周囲のみんなが何もしてくれない理由だけを考えている。僕自身が動かなければならない能動的な理由は見つけられなくて、ただ需要を見つけてはそれを埋めている。
自分以外の人たちの理由だけを知っているから、自分以外の人たちが何もしてくれないのは自然なことで。僕が何もしない理由は見つけられないから、僕が動くのは自然なことだ。
「ないなら、いいんですけど。私は見ていて少し不安になりますよ」
現状に何も不満を言わない秋葉さんは、とささやくように付け加えた。
その表情が、少し悲しそうで。僕はやっぱり、自分の中にある何かを探そうとする。百井にだけは、それを晒しておいた方がいいのではないかという不安に駆られる。
「あ、そろそろ、時間ですね」
僕が言葉を探して、結局口を開けないでいると、百井が先ほどまでとは打って変わって明るい口調で言った。いつの間にか、綺麗にサンドウィッチは無くなっていて。僕たちが入店してから約四十分程が経過している。
「わがままにつきあってくださってありがとうごさいます」
ぺこりと下げたられた彼女の旋毛を視界にとらえながら、僕はまだ彼女に言うべきことが残っている気がしていた。もう少しだけ、ゆっくりしていこう。
けれど、そんなふうに言いかけて、僕は口を噤む。最近少し、彼女に気を許しすぎではないだろうか。
「いや、僕の方も。いい気分転換になった」
結局、それだけ言って、伝票を持って立ち上がることにした。




