ホワイトデーと身の丈・1
蛇足3月編。今回は二話。
「なぁ、嘘、なんだよな?」
垣内と二人きりで、少し高めの缶ビールを握ったまま僕は聞き返した。
「嘘じゃないぜ。こういうことはちゃんとやっておかないと後々掘り返されて痛い目を見るんだ」
一年に二度三度、気が向いた折に開催される垣内との深酒の席で、彼はなんでもないことのように告げる。
「また僕をからかって遊んでるんだろ。後から笑いものにしようとして」
彼と二人で酒を飲む時は、適当な居酒屋で食事を済ませてから彼が無理やりに僕の部屋に上がり込んでくることが多い。そんなことが、頻度は多くないにせよ定期的に起こるものだから、僕の部屋は基本的に最低限の清潔さが保たれている。
日奈はまだ一度も僕の部屋を訪れたいと言ったことはないけれど。垣内を上げていることを知ったらすぐにでも招待を要求するかもしれない。
「そんなに疑うなら初めから俺に聞くなよな。……ほれ」
未だに訝し気に眉間に皺を寄せる僕の眼前に、垣内は私用のスマートフォンの画面を差し出す。日本人にしては堀の深い、鼻筋の通った綺麗な女性が肩越しにこちらに視線を送りながら、ワイングラスを手にしていた。少し酔っているのだろうか。少しだけその頬は朱に染まっていて、男性なら誰しも一瞬どきりとしてしまいそうな色香を放っている。
「はっ……。相変わらずキレイだよなぁ」
一年程前から、彼が交際している女性だ。確か僕達より一つ年上の、医薬品開発モニター専門の会社で働いているとかいう。
「今着目するのはそこじゃねぇだろ」
分かってはいたのだ。彼は唐突に自分の交際する女性を見せびらかすようなタイプの男ではない。彼が見せたかったのは写真の背景。自宅とは思えない豪奢な装飾のインテリア。パーティ用と思われる小洒落た料理。それに明らかに普段の生活では着ることのないような、気合の入った女性の身なり。
「はぁ……。本当に随分盛大に準備してたんだな。プロポーズ」
ホワイトデーの返礼品に頭を悩ませていた僕は。普段垣内は彼女に何かプレゼントをすることはあるかと、ほんの軽い気持ちで質問してみただけだったのだけれど。
「こんなのは盛大なんて部類には入らないと思うけどな。ちょっとサプライズ的に高級ホテルの部屋を用意して。ホテルスタッフにちらっと事情を説明して。指輪と食事だけ選んじまえば、後は彼女に家に泊まってもらう約束を取り付けるだけでいい」
藪をつついて蛇を出すとはこういうことかと、若干的外れな思考を回しながら、僕は残ったビールを煽る。少し酔っ払った頭で考えても。彼のようなサプライズを用意することなど、到底僕にはできそうにない。
「それで、お前の様子をみてると、めでたく婚約成立したみたいだけど。もし断られたらどうするつもりだったんだ?」
どうしても最悪のケースを想定してしまうのが、僕の悪癖なのだろう。
「断られるわけないだろ」
「はぁ……」
またしても当然のことのように口にする垣内を相手に、僕はもう、根本的な感性が異なるのだと理解する他ないことを悟る。
「お前だって、もういい年なんだぜ? 数年後にはこういうことをしなきゃならない日が来るだろ」
「仮にそんな日が来たところで。僕はお前のようにサプライズは組まないぞ」
すると垣内は、ぐいとビールを口に含んだ後、呆れ切った様子で首を振った。
「そいつは相手が……、というより百井が可哀そうになってくるな」
「あ、あいつは……。あまりそういうので喜ぶタイプじゃないだろうから」
「ばーか。んなもん、お前が苦手だからそんな素振りをみせないだけだろ。日常的にする必要はないだろうが、たまには多少趣向を凝らすことも必要だと思うぞ」
すかさず反論しようとした僕は、言葉に詰まる。確かに、日奈であれば、それを僕に気付かせないことなど造作もないだろう。僕の様子を見た垣内は、止めを刺すかのように告げる。
「何も思ってないことと、何も言わないことが同じじゃないのは、お前みたいなやつが一番よく分かってるはずだと思うけどな」
「まあ、そうかもしれない」
殊勝に僕は頷く。
「まあ、つまりだ。イベントごとを曖昧にしたまま放っておくのはとにかくおすすめしないってことだ。特に、男側が義務を負ってるホワイトデーなんかは」
諦めて腹をくくるしかないのだと、僕は深い溜息をついた。




