インテグレーション
自らにあてられたスポットライトを感じながら、僕は本当に、恐ろしい状況を創り上げたものだと自嘲する。
意識は目の前の鍵盤に集中していたけれど、それでも自らに集まるおよそ五百対の視線は確かに感じられて。入社以来ほんとうに、これだけの衆目を集めたことがあっただろうかと僕は思い返す。
研修の頃から、僕は周囲に自らの能力を認められながら、どこか表舞台に立つことを避けてきた。仮に、もし僕が衆目を集めるのであれば、それは、研究成果が広く会社、あるいは社会に波及した時だけだと予想していたけれど。こういった形で研究員たちに僕の顔を覚えられるのは、まったくもって想定外で、不本意ではないにしろ本意ではない結果だった。
町田さんはおそらく、義務的によくやったねと褒めてくれるだろう。
香月さんには、無駄な労力を払ったと切り捨てられるかもしれない。
安住はきっとこのようなイベントは外さないだろうから、僕が弾く姿に単純に驚いているかもしれない。
垣内や滝川には、柄じゃないときっと笑われる気がする。
そこでふと、僕の中で何かが腑に落ちる。散々人を信頼しきれないことに劣等感を覚えていた僕だけれど。町田さんなら、香月さんなら、安住なら、垣内ならと、そんな面々の行動を思い描いて微かに頬を緩ませることも。ほんの小さな、ノイズみたいなものかもしれないけれど、期待と信頼の一つの形なのではないかと。
演奏が終わるたびに、会場は拍手に包まれる。そこに参加する実に多くの研究員の視線が僕に向いている。それでも拍手がきちんと送られている。
それは、僕がこの数カ月散々悩まされていた悪評が。実に些細で、ほんの小さなコミュニティの中でしか機能していなかったことの証左である。僕はまだ、たとえいくらかの研究員との関係を失ったとしても、これだけ多くのまだ見ぬ誰かとのつながりを上手く紡いでいける可能性を残している。柄にもなく、視野が狭くなってしまっていたことを嫌でも僕に気付かせてくれる。
彼女にそんな意図はなかったとしても、やっぱり僕をこの役割に召し上げた彼女には、僕の方から感謝を告げなければならない。最後の曲目、サイレントナイトをBGMにしながら、そんな思考を巡らせていた。
サンタ帽をかぶった遠藤さんはマイクに口を近づける。
「みなさん、本日はWSC主催の大クリスマスパーティに参加していただきありがとうございます。仕事中にはなかなかできないくだけた話題を、上司や先輩、あるいは後輩と楽しむことはできたでしょうか? 普段交流のない社員との、つながりを築くことができたでしょうか? この研究所ならではの大規模パーティを、存分に楽しんでいただけていたのであれば何よりです」
遠藤さんの言葉を、そっくりそのまま、台湾出身の男性研究員がきれいな英語で繰り返す。さらに、遠藤さんは続けた。
「さて、ここまで続いてきた楽しい宴も、いよいよ大詰めです。最後は研究員全員による記念撮影を行います。参加されている社員の方は、フロア中央に集まってください。カメラは二階、メインステージの上方から構えますので、そちらを仰ぎ見ていただき、合図と同時に、皆さん右手の拳を突き上げてください」
ぞろぞろと、会場で思い思いに雑談を躱していた研究員達が、一か所に集中し、大きな人の塊を形成する。
僕はその様子を、どこか遠くにあるものを眺めるような心境で、パイプオルガン用の椅子から、ぼんやりと眺めていた。
「みなさん、よろしいでしょうか? 私が、『ワン』と声をかけますので、みなさんは『チーム』掛け声をかけてくださいね。言い忘れましたが、みんさんの声が大きければ、今回の写真には音声も、もしかすると、写るかもしれません」
宴も大詰め。すっかり温まっていた会場では、そんな子供向けのアミューズメントショウみたいな冗談でも、どっと笑いが巻き起こる。
「いいですか? まずは、練習を。行きますよ……。『ワン……』」
『チームっ‼‼』
思っていたよりもはるかに大きな声量で会場が満たされて。皆が同時に右手を突き上げる。あの中に混ざりたいという希望があるわけではなかったけれど、輪の中にいる人間たちは確かに興奮の最中にいるのだろう。
僕はこのイベントでピアノ奏者として、確かにイベントに貢献していたのだから。混ざりたければそうすればいい。今回はその理由を簡単に用意できる。けれども、僕はいつだって、結局自分から誰かに歩み寄ることを避けているから。
「秋葉さんも、行きますよ」
なんて、いつものように、自分自身に言い聞かせるための言い訳を組み上げていると。
すっと、本当に自然に、まるで、それが当たり前かのように、僕の手を引く者がいた。
「おい、ちょっと」
「秋葉さんも行きますよ」
百井は再び同じ台詞を繰り返す。
「僕は写真はNG……」
そんな彼女の強引さに、僕はいつものように抗ってみるけれど。
「人が多すぎて顔なんて見えませんよ」
「だったら、なおさら映る意味はないんじゃ」
「あの輪の中に、自分もいることに意味があるんです」
意味が分かりそうで分からない、絶妙な理屈で百井は僕を引っ張り出した。
「さあ、それでは、本番いきますよ」
右手の拳を身体の横に構えながら、遠藤さんが告げる。
「はい、『ワン』」
『チームっ‼‼‼』
先程までよりもさらに大きな一体感に会場が包まれて、カシャカシャと数回フラッシュが炊かれる。
僕がチームと叫ぶことはなかったけれど、百井の隣で控えめに右手を突き上げる姿はしっかりとその写真に収められてしまっただろう。
明日、最終話です。




