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85話 大好きだよ!

 甲子園優勝の名将は思う。5回の守備、選手たちは指示を待たずに自分たちの力で乗り切った。でも、相手のエースも絶好調になっていた。点がとれない。ただ、こちらのエースも奇妙に立ち直っていた。そして、戻ってきて口を開く。

「監督、俺たちの判断でやっていいんですよね?」

 そんなことを聞いてくる。もちろん、そう言ったのは自分だ。

「じゃあ、アイツらに付き合っていいですよね」

 うなずくしかない。すると、ナインたちがうれしそうに笑う。

「しつこいんですよ。野球は楽しいよな、って声がいちいち聞こえてくる。殺し合いみたいにやってるのが、バカらしくなってきました」

「思いきり投げて、思いきり走って、捕って、打ちます」

 呆然とした。あの勇者たちは、ある瞬間から、野球を楽しむことをこの試合の中に見つけたのだ。勝たなきゃいけない、という力が抜け、純粋にプレーに向き合うようになった。さらに、強くなった。

「よう考えたら、俺たち、野球好きなんですよ。忘れそうでしたが、思い出しました」

 そう言って、打席に向かっていく。相手エースの火の出るような球を、なんとか打とうとトライアンドエラーを繰り返す。そして、たまに打つ。いい顔で笑っていた。


 遼四郎りょうしろうひろしに言う。

「この試合、省吾も投げさせてやりたい。いいか?」

 宙はさんざんに楽しんだ。おもしろくて、仕方ない。でも、うなずいた。

「ヨーコに見てもらった。俺のラストピッチは今日じゃないし、別にいいぞ」

 8回。その省吾がマウンドに立った。思いきり、ハンナの方にグラブを向けて、笑う。

「省吾っ。あのボール、見せて!」

 返ってきた声にニッコリ笑う。見せたいのだ、大好きな人に、最高のボールを。

 ボールが手に心地いい。気持ちよく足を上げる。ストライドが伸びる。上体がしなった。指に残る、最高の感触。

 稲妻のように秀樹のミットに突き刺さる。

「スゴイよ! 省吾っ」

 ハンナの声が聞こえる。もっと、もっと、キレイな稲妻を見せてあげるよ。


 炎のエースが降板したと思ったら、稲妻の左腕が出てきた。

「とんでもない。ごちそうが出てきたぞ」

「食わなきゃ、損だよな」

「どう食う? どうすれば、食える?」

 でも、選手たちは食おうとしている。残りのイニングは少ないが、それを攻略しようとしている。メンタルはこれ以上ない状態にある。

「監督って、できること少ないなあ。ああ、選手やりてえ」

 仕方ないから、そう言ってやった。

「選手の特権ですよ」

 野球エリートたちが野球小僧に戻って、笑っていた。


 8回裏。遼四郎が三振に倒れた。相手エースはうれしそうにガッツポーズをした。

「ナイスピッチ!」

 遼四郎はやられた方なのに、相手に拳を向けて言った。向こうもちゃんと見返してくる。互いにニッと笑った。

 9回。省吾の稲妻はさらに冴える。ドラフト候補ふたりを相手にしても、輝きは増すだけだった。

 スコアは5-3。でも、9回裏だった。富夫が声をかけてきた。

「ヨーコたちに見せてないから、もう1本打ってくるよ」

 陽気な声だった。

「たしかに、せっかく来てくれたんだからなあ」

 遼四郎はそう返した。スタンドでは、エリーたちが富夫コールを繰り返す。

 相手エースは、この野球の神様みたいな巨神を抑えてみたいと思った。できるイメージはないが、全力でいけば、幸運がある気もした。いいボールを投げられた。

 でも、富夫にはボールが見えていた。力みないテイクバックなのに、力感の塊だった。長い時間、富夫はボールを見ていた。ようやく身体の近くに来た。

 バンッ! 何かが爆発した。ボールはキレイな角度でただ空に向かう。いつまでも落ちることはなかった。バックスクリーンの左に消えていった。

 エリーたちが立ち上がっていた。ボールの行く末を見届けた。忘れられないくらい、美しい放物線。

「やったぁっ!」

 5人で抱き合って喜ぶ。富夫がベースを回りながら、彼女たちの方を見る。腕を上げた。ハンナとヨーコがガッツポーズで応じた。


 1点差だった。夏の大会ではよく、先輩たちともっと長く野球がしたい、だからがんばるとか言うけど、そりゃあ、そうだと陸は思う。自分ももっと向こうの世界にいたかった。誰とも、別れたくなかった。

 スタンドのハンナを見た。

「陸っ! 楽しいよっ」

 押せ押せムードに絶好調のハンナが叫んでいる。そうだな、楽しいのだ。そんな時間は続いた方がいい。終わって、さみしいのはもう勘弁だ。だから、ここは打とう。そんな姿を、ハンナに見てもらおう。

 伸びてくるボールを竜の尾を叩き切る感じで打つ。もちろん、食うために切るのだ。骨まで断ったような手ごたえだった。サードの頭を越えた。一塁でハンナに手を振る。好きな人が、めいっぱい笑ってくれている。ああ、竜肉でカレーをつくりたい。

「行けるっ! まだまだよ」

 ケイが拳を突き上げていた。次の省吾が遼四郎を見る。バントをする気だ。相手のバントシフトも強烈だったが、それでも、うまく三塁方向に転がした。ワンアウト二塁。

 いいところで回ってきた秀樹は、遼四郎を見ていた。何の指示を出してくるわけでもなかった。でも、見ていた。こいつと過ごした時間は、忘れられない。そして、こいつとやる野球は最高だ。

 2球目、カウントをとりに来るボールが少し甘かった。振りぬいた。速い打球でライトに抜けた。ただ、速すぎて陸が還れない。まあいい、ワンアウト一三塁。必殺の形だ。


 とうとう、ここまで来てしまった。自分の選手たちは伸び伸びと勇壮に戦ったと思う。でも、追い詰められた。それでも、ハートは強く保っている。悪いことは、何もない。

 互いの力をぶつけ合い、そのときの優劣を決めるのが試合だ。力が拮抗していれば、運のようなものが左右する瞬間が来る。今がそれだろう。

 ただ、相手打者が嫌な存在だった。2年生なのだが、急速に伸びている感じだった。たぶん、センスも資質も根源的にはない方だろう。だから、自分ならチームに入れないはずだ。だけど、彼の動きには周囲への思いやりがある。それがあの選手を恐ろしく強くしている。

 知らないヤツに、相手にしなかった男に、ぶん殴られるのだ。まあ、それも運だ。誰も、ここまでの流れはコントロールできなかったのだ。

「おもしろいな、野球は」

 ベンチに身を預けボソッとつぶやいた。控えの選手たちが、驚いて見ている。

 その正則の方は、ビビることもなく、打席に向かっていた。

「ジャスティンさん、野球、おもしろいですよ。ヘタクソでも、最高に楽しいですよ」

 頭の中では、相変わらず変な歌が流れている。初球も、2球目もリズムが違った。相手が困っている感じだった。何とか、こっちのリズムを崩そうとしている。でも、それが逆に本人のリズムを変えてしまう。3球目、さらに相手のリズムが変わる。

 そして、来た。うれしくて、少し急いでしまった。でも、ガッチリ芯を食った。もらった!

 キンッ、金属音とともに強烈な打球が飛ぶ。エリーたちは大きな声を上げた。でも、途中で止まった。

 打球はサードのグラブに奇跡的に入っていた。慌てて陸が戻る。でも、間に合わない。アウト。

「ゲームセット!」

 何もかも、一瞬で終わった。


 試合が終わったことに気づいて、遼四郎はみんなに声をかけた。

「みんな、ありがとうな。さあ、一緒にやってくれた相手と、野球仲間に戻ろうか」

 1年生が不思議な顔で見ていた。宙が大きな声で言う。

「挨拶するぞ。この夏に優勝する連中だ。相手してもらった礼くらい言え」

 ベンチから走って出る。並ぶ。まっすぐに相手を見た。気持ちいい顔だった。互いに頭を下げた。

 すると、相手のエースが富夫に抱きついてきた。

「スゴイよ、お前! 野球の神様に見えたよっ」

 ドラフト候補の打者ふたりが、宙と省吾に声をかける。

「楽しかった。また、勝負してくれ!」

 宙が笑うと、念を押してきた。

「絶対だぞ!」

 宙が拳を突き出して応じた。省吾は笑っている。そして、相手のレギュラー全員が、遼四郎の周囲に集まる。審判は大会進行が遅れることを気にしたが、何も言わない。この試合がずっと見ていたいほどに好きだったからだ。

「野球、楽しいなあ!」

 野球エリートらが遼四郎に声をかける。次々に握手を求める。だから、笑って言った。

「俺も、野球が大好きなんだよ!」

 敵味方なく大笑いした。こいつはバカだ。最高の野球バカだ。


 球場裏に戻って、荷物をまとめた。誰も、何も話さない。でも、注目の春優勝校初戦だから、遼四郎は記者に囲まれる。何を言っても伝わらないと感じたから、かんたんにあいさつをして、後にした。

 球場の外、壁際にみんなが荷物を置いて集まっていた。歩いていくと、大好きな人たちがいた。立ちすくんだ。

「遠くから、来てくれてありがとう」

 遼四郎がエリーに言う。

「うん」

「それなのに、せっかく来てくれたのに、負けちゃった」

「うん」

「ごめん……」

「ううん」

 エリーが最後だけ首を振って否定した。遼四郎の目から、涙がこぼれた。ヨーコがエリーの背中を押した。

 エリーは駆けた。そのまま、遼四郎を抱きしめた。

「よくやったね! かっこよかったよ! 楽しかったよ! 会いたかったよ!」

 大事な人に抱かれて、遼四郎の全部が決壊した。ボロボロ泣いた。

 もう、我慢できなかった。ヨーコもハンナも、ケイもリサも、遼四郎の方に走った。抱きついた。ぐちゃぐちゃに抱きしめた。大きな声で叫んだ。

「大好きだよ!」


 不思議な光景を見て、応援に来ていた2年生の女子が言う。

「誰、あの子たち?」

「校長先生が言ってたよ。なんか、合宿所で何日も一緒に練習したんだって」

「だから、東先輩とあんなに仲がいいんだ。いいなあ……」

 後ろで聞いていた校長がクスッと笑っていた。



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