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84話 負けるな、がんばれ

 4回、全力投球を強いられてきたひろしがつかまる。でも、ここで引いたら、怒涛のように襲われることはわかっている。省吾の投入は、もっと後だ。

「5点やっても、構わない。俺たちは、ヤツをもうすぐ捕捉する」

 なんとか2点に止めた宙に、遼四郎りょうしろうが言う。大きく呼吸をしながら、宙が応じた。

「それなら、なんとかなる。まかせとけ」

 実際に3回もランナーは出せた。手ごたえはあった。

 しかし、4回の攻撃も得点には至らなかった。この5回が大きな山場になる。遼四郎は感じていた。


 校長の車が、市民球場に横づけされる。

「私は車を置いてきます。東君たちは一塁側です。そこをまっすぐ進んで右側の内野席へ!」

 校長が指さしたのと同時に、5人は飛び出した。走る。教えられたとおりに、受付をした。目の前に暗い階段。駆け上がる。ひざ上丈のスカートが大きく揺れる。

 風を蹴るように、飛ぶ。

 真っ白な視界。夏のにおい。すぐに目が慣れた。深く青い空、緑の芝と土のグラウンド。そこに、いた!

「宙っ、負けるな!」

 一瞬で状況を見てとり、ヨーコが叫んだ。

 つかまって、追い詰められ、睨む以外にできなくなっていたエースが耳を疑う。スタンドを見る。大事な人が、声を上げている。

 身体の奥で、何かが沸き上がり、爆発した。しっかりと、ヨーコと目を合わせる。

 宙はグラブにボールを入れた。足を上げた。胸を思いきり張る。ぶん投げる。

「いっけぇえーっ!」

 ヨーコだけじゃない、エリーもケイも、ハンナもリサも叫んでいた。

 秀樹が驚いた。1球前とは、フォームの躍動感が違っていた。もう一度、相手打者の胸元にボールが伸びてくる。いや、浮き上がる。爆発する火球だ。

 今日、いちばんのボールだった。ミットに収めた秀樹の身体が震えてくる。ゾクゾクするほど、宙のボールが強い。思いの塊。

 大ピンチで、宙はドラフト候補を三振にしたのだ。振り返った宙が、ツーアウトなのに指を1本だけ立てる。上にするのでなく、それをスタンドに向けた。でも、背中を向ける秀樹以外は、もう、みんな気づいていた。

「ドラゴンスレイヤー、再結集じゃあっ」

 宙の叫びで、秀樹も気づく。スタンドを見て、驚く。ナインは大きな声で宙に応じる。

「オオォッツ!」

 遼四郎は下を向いて軽く帽子を押さえてから、顔を上げた。順にみんなを見る。みんなも見ている。

「待っていた!」

 そう言った。声は届くわけない。でも、聞こえていた。

「ちゃんと、約束守ったよ。遼四郎!」

 エリーが大きな声で叫んだ。


 車を置いてから校長がスタンドに入ってきた。スコアを見て、驚く。1-5だった。試合になっている。相手は、野球校だった。しかも、春の全国覇者だ。

「リードされてるけど、大丈夫です。遼四郎君がそんな顔をしています」

 エリーが言う。それにも、校長は驚く。彼女たちは勝つと感じている。選手らの顔を見て、感じとれるのだ。どれだけ、深い絆で結ばれていたのだろうと思う。

「先生、なんであっちばっかり、あんなに人がいるんですか! ズルい」

 ハンナが相手側のスタンドを指して聞いた。千近い人が陣取っている。楽器や旗での応援もある。でも、こっちには30ほどの父兄と、生徒がいるだけ。

「向こうは野球校ですからね。春に日本一にもなっている。たくさんの生徒で応援に来る習慣もあります。でも、ウチは公立だし……」

 ヨーコは、だからなんだという顔をする。

「別にいいわよ。こっちはこっちの応援をするんだから」

 その言葉にケイとリサらも同意する。その雰囲気にも、ビックリする。彼女たちは、野球部たちと一緒に戦っている感じなのだ。だから、いわゆる応援しやすい場所にいなかった。選手に近いベンチ脇に陣取っていた。

 校長は“トライビト”を知る人間だった。いや、あの世界で育ったのだ。そのため、行き来する人たちを補佐するように生きてきた。だから思う。彼ら、彼女らは、向こうで何をしてきたというのだ?


 つかまえた、そう思った。だが、何かがきっかけになって、あのエースは立ち直った。いや、強烈に再生した。

 野球校だから、資質のある選手をスカウティングできた。この試合は、その資質の量で押し込んできた。格好のいい戦い方だとは思わない。物量にまかせて、つぶすようなものだ。駆け引きや気持ち、チームワークを駆使する、野球のおもしろさとは違うからだ。

 でも、そうするしかない。そうしないと、あの勇者の軍団は倒せない。ひとりひとりが、自立しているのだ。勝手にチームのために熱量を上げ、プレーにぶつけてくる。

 エースが急に立ち直ったあと、あのサードと目が合った。それまでと違う印象だった。正直に言えば、感動した。彼は、何か、大事なものをまた背負ったように思う。そうなのに、また強くなった。ただし、闘志ではない。

 底抜けにやさしい男なのだと感じた。誰かが、彼を突き動かす。彼はそれに応える。互いに信頼し合い、あそこにいる。

 名将などと持ち上げられているが、自分はあの域に到達していない。将として負けているのは、自分の方だ。

「この回、来るぞ。自分たちのやってきたことを信じ、自分たちで判断し、乗り切れ」

 できることはこれしかない。あっちの将はグラウンドに立っているのに、こっちは遠くで見ているだけなのだ。瞬間にその差が出る。直接率いるヤツが強いのだ。こっちは選手たちの自立を引き出し、それを埋めるしかない。


 5回の攻撃。さあ、勝負所だ。

 すると、先頭の正則が1年生たちに声をかけている。

「ヘタクソでもいいんだよ。ヘタクソなりのやり方があるからな」

 そんなことを言って、ヘルメットをかぶって出ていった。遼四郎が何も言わなくても、正則は自分で答えに到達していた。いや、1年生に話しながら、気づいたのかもしれない。

「正則ぃ! 力むな! ビビるな!」

 ヨーコが大きな声で言う。スタンドを見て、正則が笑った。

「怖いものにはビビりますよ。でも、力むのはやめます。心のリズムで行きますよ」

 そんなことをつぶやく。頭の中で音楽が鳴っていた。なぜか、ジャスティンが歌っていた変な歌だった。

 初球は小さく動くボールだった。たぶん、カットボール。でも、リズムに合わないから、振らない。頭の中では、まだ変な歌が響いている。

 2球目、リズムが合った気がする。まっすぐ、バットが出た。サビのところにピッタリとリズムが合う。

「ヘタークソでいい~!」

 コンパクトに振りぬかれた打球は、ピッチャーの横を抜ける。

 一塁ベースの上で、正則が1年生に拳を突き出して言う。

「ダサいけどオールタイムベスト。それがセンター返し!」

 そして、次は9番の一也。小器用で足もある。ついでにイケメン。だから、ここに置かれ、上位の耕平らにつなぐのが仕事。

「女の子たちには、9番がおもしろいと教えたんだよね。打てない打者じゃなく、先につなげる打者の方が、攻撃が多彩になるって」

 一也はそんなことを思い出していた。だから、実践してやろうと思う。正則と目が合った。

 スルスルッとリードを広げた正則を見て、一也は初球をバントした。ここまで、バントは一度も使っていない。点差も4点ある。だから、内野が慌てた。一也は速い。それでも、野球エリートは耐えた。

 ギリギリのところで、一也はアウトだった。でも、正則は二塁に進んだ。結果は送った形だが、そこに至る意味がかなり違う。気持ちで押し込んだ。

 そして、耕平が打席に向かう。ケイがちぎれそうなほどに叫ぶ。

「耕平っ、みんなを、みんなを助けて!」

 耕平はケイの方を見る。ニッと笑う。背を向けてバッターボックスに向かう。その背中に安心感がある。竜に切り込む彼は、いつもああだった。

 相手投手は、この耕平の存在に辟易へきえきしていた。とにかく、上体がやわらかい。なんでも当てられる。力で行くしかない。

 初球はインコースにツーシームを投げて外した。上体を起こさせ、ここから、全力投球でねじ込むのだ。

 だが、耕平はその軌道もタイミングもつかんでいた。大将のストレートほど、厄介ではなかった。ただし、変化球の熟練度が高い。その差でここまで攻略が遅れた。

 キンッ、と金属音を残し、ジャストミートした打球がショートの脇を突き抜ける。正則は走った。三塁を回る。生還!

 打った耕平も二塁に至った。形ができた。

「よっしゃあー!」

 祈るように手を合わしたケイの横で、ヨーコがわめき散らした。

勝利かつとしっ、勝利っ、勝利ぃーっ!」

 リサは大事な人をただ呼んだ。勝利は曇っていないメガネを押さえてから、その人をよく見た。自分の学校の制服を着ている。メチャクチャにかわいいな、と思ってしまった。

 その勝利もストレートを待っていた。左打者の彼が引っぱれば、単打でも耕平は還ってくる。そして、振った。ここまで時間をかけて攻略してきたのだ。よく見えた。見えすぎて、芯を食った。

 右中間に打球が上がる。抜けろと思った。だが、野球エリートは必死に捕った。悔しがる勝利。それでも、耕平は三塁に進んだ。

「遼四郎っ、私、見てるよ!」

「大好きだから、打っちゃえーっ!」

 エリーとハンナが、絶叫していた。遼四郎が大きく笑った。

「ああ、楽しいなあ」

 そんなことを考えていた。大好きな野球をしている姿を、大好きな女の子たちが応援してくれているのだ。こんなに楽しい時間なんか、めったにない。

 仲間が好きだ。エリーも、ヨーコもハンナも、ケイもリサも、みんな好きだ。いや、必死に戦ってくれる相手の選手も、なんか好きになってきた。

 陽気な顔で打席に入る。相手投手が驚いた。前の打席までの殺気のようなものがない。でも、あきらめているのとは違う。伸びやかで、隙がない。

 自然体。そんな言葉が頭をよぎる。でも、それに対応する方法って、あったかな?

 よくわからない気分だけど、腕は振れた。いい球だと感じた。でも、打席の男は、もっといいスイングをしている。

 鋭い金属音とともに、打球がセンターに転がる。耕平があわてずに還る。キレイに打ちすぎて、センター返しになったため、遼四郎は一塁止まり。でも、楽しい。次打者の富夫に向けて、胸を叩いてから手を突き出す。笑っていた。

 それを見て、富夫も感じた。野球は楽しむものだ。今こそが、その時間だ。

 富夫がヨーコたちの方を見て、手を上げた。メチャクチャに笑っている。

「どうしたの富夫? 純朴さ丸出しじゃない」

 ヨーコが怪訝に思った。でも、エリーは遼四郎と富夫の顔を見てわかる。

「あの人たち、私たちと野球で遊んでる気分なんじゃない? そんな顔してる」

「ああ、そうだね。あれはそうなっちゃった感じだね」

 ハンナやリサもうなずく。

 相手投手は、富夫の顔を見て、もうダメだと思った。野球の神様みたいなのが、打席にいるのだ。

「ボールで遊ぼう!」

 そう言ってる感じだった。仕方ないから、遊ぶことにした。投げて楽しいボールを思いきり、投げるのだ。

 でも、その球を神様は楽しそうに打ち返した。左中間を大砲の球のように吹っ飛んでいく。一塁のランナーが走っている。どんどん走る。数度バウンドしただけで、フェンスに突き刺さったボールをセンターが捕った。ボールが中継のショートに戻る。

「勝負だ!」

 叫んだランナーは三塁を回っていた。

 返球がまっすぐ戻る。クロスプレーになる。

「アウトッ!」

 チェンジだった。スコアは5-3。まだリードしている。

 ベンチに戻ろうとしたとき、アウトになったあのサードが声をかけてきた。

「ナイスプレー!」

 ナインが不思議な顔をした。


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