79話 私は約束したんです
6月だった。遼四郎たちは練習に明け暮れていた。もうすぐ、めざしてきた夏が来る。
向こうの世界であった2割増しのパワーはもうなかった。でも、エリーやヨーコたちと過ごした時間は、多摩広井ナインを強くしていた。
「先輩たち、めっちゃ研ぎ済まされてません?」
1年生たちが彼らの動きを見て言う。
「秘密練習の効果だよ」
一也が何も知らない1年たちをけむに巻く。そう言いながらも、鋭い当たりを軽くさばき、ファーストの陸に投げる。陸の貫禄も春までとは圧倒的に違った。
「外野準備、できてるからっ!」
誰よりも格段に変わったのが正則だった。前はポジションを奪うならば、彼のレフトしかないと1年生は思っていた。いちばん、下手だし。何よりもビビりだった。
でも、5月のある日から、正則が変わった気がする。まず、声をかけてくる。ビビっているようにも見えない。そして、背は伸びてないのに、大きな存在感で言う。
「ヘタクソは可能性だよ。うまくやろうとするな。気持ちが大事なんだ」
そんなことを言う。練習が終わった後は、部室でギターを弾いてみんなを元気づける。
「俺たち、強くなったと思わないか?」
秀樹が宙と遼四郎がいる場所でボソッと言う。言われたふたりが目を合わせて笑う。
「当たり前だろ。俺たちはドラゴンスレイヤーだっ」
宙が胸を張る。秀樹は満足した。弱小公立野球部が、よくここまで来たものだ。どんな相手でも、勝てる気がした。何しろ、竜の王を倒したんだから。
それでも、夜の帰り道に勝利が口にする。
「リサに会いたいよ」
富夫と、耕平、遼四郎が一緒にいる。
「富夫さ、俺、エリーやヨーコに約束させられたよな」
遼四郎が街路灯の下で言う。
「うん、したよ。待ってろ、って言われてた」
富夫が答えると、耕平が遼四郎を見た。
「俺もケイに言われたんだよ。必ず行くから、待ってろって」
耕平のマジの顔を見て、遼四郎が笑った。
「俺は信じてるよ。待ってる。ただし、信じても届かないことはある。だから、それで恨んだりしないよ。いい思い出があるから」
耕平がそれを聞いて、ニッと笑った。
「勝利、会いたいよな。でも、会えなくても怒るわけないよな」
「当たり前だ!」
勝利がその問いの方に怒った。
都に征竜軍が凱旋した。率いているのは、トマスだった。その後ろにはハーマンが歩いている。さらに、エリーやヨーコが続く。城南地区のみんなが大きな拍手をする。でも、さみしさがぬぐえない。
「あの子たち、本当にいないんだね」
オバサンたちが、真実に触れて呆然とする。なんとなく、やっぱり還ってくる気がしていたのだ。でも、いない。
「グレッグはどうした?」
迎えたジュリアンが聞いた。遼四郎がいないことを確認して、立ち直るまでに、かなりの時間が必要だった。それからの言葉。
「あの人は、草原の駐屯地が気に入ったみたいでね。同じ思いの冒険的な兵100人ほどと、あそこに留まりました」
トマスが返す。
「俺が行けないじゃないか」
言いたいことはわかった。だから、トマスは応じる。
「行っていいですよ。もう、ここを竜から守る必要なんてない。俺たちの友がそうしてくれたんです。やることはいっぱいあります。むしろ、アンタこそ行くべきだ。俺もここの庶務が終わったら、さっさと戻りますから」
ジュリアンが驚いた。トマスの印象が変わっている。トマスであるのは間違いないのだが、少し、遼四郎の風情がある。
「野球場つくって、ダムつくって、やることばかりです。ヒマがあったら、水運用の船をつくっておいてください。それで、スタートが早くなる」
そう言ったトマスは、次に父であるジョージを見た。
「解散したら、家に帰ります。話を聞いてください」
ジョージは何も言わずにうなずいた。そして、トマスは女王の前に立つ。
「征竜将軍、東遼四郎率いる征竜軍は、見事に竜の王である白竜を討ち、この国に安寧をもたらしました。願わくば、この征竜軍に最大の賛辞と、その後の自由をお与えください。彼らは、この国をさらに照らし、豊かにしてくれるでしょう!」
両手を前で合わせ、女王に言上した。まっすぐに女王と未来を見る強い目。もうひとりの遼四郎が、ここにいる。
女王はその手を両手で包み、うなずいた。少し遅れて、万雷の拍手が鳴る。数万の人たちが、その瞬間を祝う。
エリーたちが、女王の部屋に呼ばれた。ズカズカと入ってきたのはヨーコだった。
「何やってたのよ! クソババアっ。終わってから教えてくれても、遅いのよっ」
今まで、我慢してきたものを吐き出す気だった。エリーも止めない。むしろ、ヨーコよりも鋭く、女王を睨んでいる。ハンナもケイもリサも、女王の前であることを気にしない。
女王は黙って見ていた。彼女たちの怒りがわかる。だから、言い訳をしなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
深い息を吐いて、女王はそれを言った。さすがに、ヨーコも止まる。でも、エリーの目は収まっていない。
「あなたたちは、決めていたのですね」
女王は聞いた。それに対して、遠慮なく口を開いたのはエリー。
「当たり前です! 私は自分で考えました。この世界と、遼四郎と、どっちが私の重要な要素であるかを。すぐにわかりました。遼四郎が私の全部なんです。もちろん、この世界に置いていく、おばあさま、お父様、お母様には命の全部で感謝しています。ありがとうございました!でも、 エリーは遠く旅立ちます。いつか帰ってくる日があるかもしれませんが、多くは望めません。それでも、私は彼と一緒に、未来を生きたいのです!」
一気に言う。容赦ない顔だった。遼四郎の勝負がかったときと似た顔に見える。女王にとって、エリーは前に出たがらない、引っ込み思案な子だったのに。
「私は歴史も運命もへったくれもない。自分で選び、つかめと言いました」
まだ、エリーは睨んでいる。
「歴史にも運命にも抗います。選び、つかみに行きました! でも、でも……、私の手は届きませんでした!」
エリーの涙腺が崩壊した。心の中で閉じていた、遼四郎が笑って消える瞬間を思い出す。彼は、ありがとう、と言った。なぜそうなる? それを言うのは私だ。彼をそこに向かわせたのは、自分を含む、この他人まかせの世界だ。怒りがさらに涙になる。
「おばあさま、なんでもいいから、情報をすべてください。ここからは、自分たちで戦います。未来をつくるのは私たちです」
エリーの猛勇にヨーコが冷静になった。もう、自分らでやるしかないと思う。すると、ハンナが怒気をまとわずにスッと立つ。
「女王様もキャプテンたちの世界に行ったんですよね?」
驚いた女王がハンナを見つめた。オヤマ家の娘で子どものころから知っている。ただ、こんなに自我のしっかりした子だった気はしない。
「そうです。ペンを持って向こうへ行った私は、とても大事な人に会いました。手紙を交換し、それは私の手元にまだあります。残念ながら、その方の顔さえ、記憶から消えてしまいましたが」
女王の言葉にハンナが笑う。
「大丈夫です。私たちは何も忘れていません。女王様が行ったのだから、私も必ず行けます。でも、できることはしてください。知っていることは教えてください。私は遠い未来ではなく、すぐに会って、野球したいからです」
この子がいちばん強いと女王は感じた。何も疑っていない。状況は悪くとも、遼四郎たちを根底から信じている。だから、迷いがない。
「すべてを尽くします。私を憎んでも構いません」
女王が言うと、もう一度ハンナが言う。
「そんなことしません。私は約束したんです。キャプテンは約束を破る人ではないし、私も絶対にそれをしないからです。だから、絶対に会えるんです!」
ハンナは無敵だった。この子は勝つ、そう女王は感じた。
とんでもなく久しぶりに、エイデン家の敷居をトマスがまたいだ。ひととおりのあいさつと、旅の垢を落とすことが終わると、トマスが父の部屋の扉を叩く。
「入れ、一緒にゆっくりとメシでも食おう」
部屋にやってきた倅を見て、ジョージは不思議な感覚になる。根の暗い書生風だったトマスが、力強い若者の顔をしている。そう、遼四郎に近い印象。
「帰ってきました。長い間の後方支援、感謝いたします」
「報告書は全部読ませてもらった。興味深いし、おもしろかった。あるころからは、読むのが楽しみになってしまった」
そんなことを父が言って、倅が席に座る。書斎の小さなテーブルだが、少しずつ食べられる食事と酒を用意していた。
「まあ、飲もうか」
父がボトルを差し出すと、トマスはそれを受けた。軽く乾杯をすると、互いにグッと飲んだ。
「どうだった? 旅は」
「楽しく、学ぶことが多いものでした」
トマスはそう言ってから、テーブルの上のものを適当に口に運び、さらに飲む。こんな野趣ある行為ができる男でもなかったと、ジョージは思う。
「得たものが多かったようだな」
父としてそう思う。聞かれたトマスは、肉をぐちゃぐちゃと噛みながら、酒を腹に入れる。さらに肉をぐちゃぐちゃ噛む。また、飲む。そして、言う。
「失ったものが大きすぎます。私は友を得ました。彼らは夢もくれました。毎日が充実して、生きることが楽しいという意味を知りました」
ぐちゃぐちゃとさらに肉を食う。さらに飲む。足りなくなるから、ジョージは合図をして、追加を取り寄せた。
「友達って、いいですね。私が命令したり、身分をかさに語ったり、そんなことしなくていいんです。ただ、信用してくれる。やりたいことをやるのを互いに助け合う。うまくいったときに、しびれるような言葉で祝福してくれる」
まだ肉を食う。味なんかどうでもいい。肉を噛んでないと、しゃべり続けてしまうから、そうしている。でも、言葉があふれる。
「アイツね、草原の地を見つけたときに、なんて言ったと思います? 友達が夢に近づいたんだ、って。なんだよ、それ。卑怯だろっ、好きになってしまうじゃないか!」
ジョージはうらやましいと思ってしまった。宮廷の政争を続けている中で、そんな言葉を聞くことはない。
「オヤジ、今、うらやましいと感じたでしょう? そうなんだよ。アイツは、そういうことを誰にでも言う。俺にも、俺みたいに面倒くさいヤツにも言う!」
ジョージはなんか泣けてきた。つまらなく育ったと感じていた倅が、人を泣かせることを話す。こういう男が自分は好きなのだ。
「よかったじゃないか」
ジョージは軽い気持ちで、そう言った。すると、トマスが表情を変えた。
「いいわけないだろう! 俺は、俺はぁっ、大事な人を失ったんだよ。手の中に残ったのは、一緒に見た夢しかないんだよ……」
そこまで言って、トマスはようやく泣いた。涙が出てしまうと、もう、止まらない。遼四郎と別れてから、今日までずっと我慢してきたのだ。
ボロボロに泣き続ける息子の肩に、ジョージは手を置いてやった。
さんざんに泣いた後、トマスは小さく言う。
「アイツ、後は頼んだぞ、と言ったんだよ。俺がやるしかないんだよ」
ジョージの心が震えた。こいつはもう強いのだろう。新しいリーダーが、目の前にいる。自分はそれに従えばいい。とんでもなく大きな置き土産だった。




