73話 天才だよ、キミは
「はっはっは。この世界最強の投手と対戦できる喜びを感じとけ!」
多摩広井先発の宙は、とんでもなく絶好調だった。基本はスライダーとカーブ、ツーシームを適当に投げているだけ。それだけならば、みんな打てただろう。でも、打ちに来るであろうタイミングで、宙と秀樹のバッテリーはストレートを選んだ。突然、浮き上がるような軌道のボールを見せつけられると、打つ方は視界が大きくズレてしまう。
1番のリサも2番のケイも当てることさえできない。ケイは次のハーマンに声をかけて打席を譲る。
「あの人、本気です。私には最後のボールが見えなかった」
ハーマンがうなずく。マウンドで仁王立ちする宙と、サードで無表情に見ている遼四郎。ライトには富夫がいるが、風向きを見ている感じだった。すると、マウンドから声がかかる。
「ハーマンッ! お前はな、武術は知らんが、野球は中の上だ。せめて、上の下になってから来い!」
宙は明らかに挑発していた。ただ、それに乗るほどハーマンは青くない。でも、宙の初球が来る。それを見て、熱くなる。
見たこともない軌道だった。人が投げた球なのに、急に浮き上がるように、顔面へ向かって飛んできた。宙のボールは調子がいいとキレイなバックスピンがかかって、落ちてこない。浮くようにさえ見える。振れなかった。
驚くハーマンに、宙が笑う。
「友達だから言ってやる! 今のが竜の尾なら、お前は死んでいる」
たしかにそうだ。竜の尾が跳ねあがってくるような軌道。それに対処できなかった。竜なら死んでいる。打とうとなんかしている場合じゃない。ただ、弾き返せ。
だが、次はカーブを投げられた。弾こうと力んでいたハーマンは、空振った。
「もう1回死んだぞ! 何やってんだ、バカ野郎!」
宙の言うとおりだ。上と思ったら下、その逆もある。それが戦場だ。対処できなければ、死ぬ。ハーマンは何がなんでも対処してやろうと思う。
だが、宙は容赦ない。思いきりゆったりとテイクバックし、そこから、これまで以上に速く腕を振ってきた。指先が弾いたボールには、キレイなバックスピンがかかる。ボールは切れ味抜群にハーマンを襲った。打てるわけがない。
「三振だ! ハーマン。野球練習しまくって、死なないように努力しろっ」
手も足も出なかったハーマンが、グッと拳を握る。悔しいのだ。憤怒の表情でマウンドを見たハーマンに、それ以上に暑苦しい顔で応じる宙。それで、ハーマンはわかる。友情なのだ。真剣勝負だ。
次のイニングも正則と一也は手を抜くことなく、ハンナを打った。次の耕平は初回と同じような長打を放つ。さらに、勝利にも今度は打たれる。
「ハンナちゃん、おつかれ。代わろう」
そろそろ、何を投げたらいいかわからなくなっているハンナに、サードの守備位置から大将が声をかける。うつろな目で、ハンナが見ていた。
「大丈夫、いい試合になるから。それより、ハンナちゃんはファーストで、エリーがサードだな。頼むぞ」
そう言いながら、監督兼選手である大将がマウンドに向かう。すぐに投球練習に入るが、その球がスゴイ。
次打者の遼四郎が笑って見ていた。前にキャッチボールをして感じた、あのボールが来るのだ。手首と指先が異様に強い。ボールが指先から浮き上がるのをムリヤリにねじ伏せたような球だ。大将は上背もある。2階からボールが叩き落とされるような軌道になる。ちょっと高校生にはいない。プロにまれにいる外国人投手のような球だった。
「おもしろそうだ。打ってやる」
遼四郎はバットを何度か前へ向けながら、そのボールの軌道に見当をつける。納得したところで、構えた。
でも、大将は怖い顔をしたまま、遼四郎を見ている。足を小さく上げて、テイクバックする。
「甘えるな、小僧がっ!」
そんな感じで腕を振った。しなやかさとはベクトルの違うフォーム。遼四郎はボールがワンバンになると思った。でも、そこから伸びてくる。振れない。
「ストライクッ!」
何が起こったのかわからないほどの軌道だった。普通、通りすがりの高校球児は、こんなものを見ずに野球人生を終える。見るのはごく一部のプロやメジャーリーガーだろう。
「スゴイ経験させてくれるなあ。大将っ」
そう言って、遼四郎はまたもバットを前に向け、来るであろう軌道を修正する。緊迫感が、見ている者たちにも伝わる。
「おい、ちょっと異質な投球なんじゃないか、アレ」
「キャプテンが、本気というか、緊張してる」
見ている兵士たちが、ザワつく。大将も遼四郎も見たこともない顔をしている。
また、大将が小さく足を上げた。遼四郎は振ると決めていた。ボール球でも、バットは止めない。振って、つかむものがあるからだ。
来たのは、初球と同じようなボール。叩きつけられたように見える。でも、そこから、浮いてくるのだ。だから、それを予測して極めてコンパクトに振った。それなのに、手ごたえがない。
「ストライク、ツー!」
審判の声が響く。完全な空振りだった。ボールの上を振ったのか、下だったのかも、わからない。要するに、軌道が見えていない。タイミングも違う。
遼四郎が打席にいるときは、秀樹が指示を出すことも多い。彼は、それでも振れと伝えようとした。振ってくれないと、次打席の富夫を含むみんなが、感覚をつかめない。でも、ベンチを見た遼四郎が先にサインを出した。
「次も振るから、見とけ!」
そう伝えている。多摩広井ナインが、強い相手と戦うスタイルになった。緊張感が、見ている方にも伝わる。
「おい、キャプテンたち、それでも打つ気だぞ」
「わかってる。黙ってろ!」
征竜軍の兵たちは、軍に身を置き、死線をくぐってきた者たちだった。スポーツの場であっても、何が起こっているかはわかる。瞬間的に、状況を見るクセがついている。
3球目、大将は同じような球を投げた。今度は、遠るから見てわかる雰囲気で、タイミングが合っていた。打った、と思った者も多い。でも、遼四郎は空振っていた。
「バッターアウト!」
遼四郎は、恐れ入りました、という顔をして大将を見た。でも、見られた大将はそう思わない。圧倒的に有利だと思って投げたのだ。でも、遼四郎はたった3球で糸口をつくっていた。次の富夫は、この経験を生かしてくる。その次の陸も、宙も、秀樹も、同じようにやってくるだろう。
それでも、富夫に同じようなボールを投げた。初球は見逃してくれたが、2球目はついに当てられる。かすって、後ろに飛んだ。3球目、大将は慣れない変化球を投げてみた。タイミングが全く違うので、さすがに空振りしてくれた。
たった6球しか投げていない。でも、大将は疲労を感じる。そして、陸だった。さっきはハンナからホームランを打っている。よく知る柔和な男なのに、雰囲気が違う。しかも、初球から振ってくる。当たらなかったが、ねらわれたのだ。ねらうほどに、もう、見えているのだ。
大将は変化球とストレートを混ぜ、なんとか陸もアウトにした。でも、次のイニングに残った自由は少ない。驚かせれば、数イニングは耐えられると思ったのに、すでにプレッシャーを感じている。
「ハンナちゃん、アイツらって、こんなに怖いんだな」
ベンチに戻って大将が言う。
「あの人たち、全員で来るんだよ。だから、すぐに追い詰められる」
ハンナが汗をぬぐって、サードに走る遼四郎を見ながら言う。目には、くやしさがほとばしっている。
「なんか、キャプテンたちが強い理由が少しわかった」
見守る兵たちがゾクゾクしながら言う。
「そうなんだよ。大竜並みにどうしようもない球を大将は投げた気がするんだけど、いつか、攻略しそうに見える」
「大竜と戦ったときも、あんな感じだったんだよ」
はじめて大竜と戦ったときに、竜掃使の中の数名が遼四郎の指揮下にいた。そのひとりが、説明する。
「負ける、って、思わないんだな。相手が強いのに」
聞こえた数人がうなずいていた。
次打者はその大将だった。スコアは0-7で負けているのだが、そういう問題じゃない。こっちも攻撃の形をつくって、少しでも点をとることで、得るものがある。
「形をつくらないと」
大将はそうつぶやいて、ストレートを捨てることにした。そのために、ストレートを打とうとしているフリをする。3球目、外してきたツーシームを強引に膂力で押し込んだ。三遊間を抜ける。
サードで捕れなかった遼四郎は、戻ってきたボールを宙に返すときに目で合図した。
「次はハンナだ。打たせなくていいが、隙くらいやれ」
そんな意味だった。ボールを受けた宙は、目だけで応じた。
「わかってる。俺も同じ気分だよ」
こうして、宙は左打席のハンナに対した。
ハンナの方は、なんとかしないといけないと思っていた。自分の投球で試合は壊れた。でも、みんな必死にやってくれている。自分が打てば、もう少し、試合に意味ができる。宙のストレートは打てないだろう。スライダーも胸元にキレてくる。合わせるだけになる。でも、外に逃げるツーシームなら、長い腕で拾えるかもしれない。
ハンナは遼四郎のマネをして、バットを回して投球の軌道を想定する。でも、見ているのはストレートじゃなかった。そこから少し外のツーシーム。
初球のストレート。ハンナはあえて反応して見逃した。宙と秀樹のバッテリーに、ストレートねらいだと思ってほしいのだ。だからだろうか、2球目はスライダーが来た。大げさに避けた。ねらいと本当に違うのだから、芝居ではない。打ちたいのと違う球しか来ていないけど、その軌道は忘れて、もう一度ツーシームの軌道を反芻する。呼吸もそこだけに合わせた。
3球目、ストレートに見えて、少し遅い。想定した軌道に重なったと感じた。前になる右足は自然に踏み込んでいた。ボールが外に逃げていく。竜がとっさに逃げるのを追うように、槍の穂先、いや、バットをコントロールする。
ガツンッ、と芯を食った手ごたえ。いっぱいいっぱい届いた体勢だけど、何がなんでも振りぬいた。
カンッと木のバットがキレイな音を奏でた。打球が伸びていく。レフトの正則が追ったけど、届かない。そのまま、遠くへ落ちた。
「ホームランッ!」
審判が腕を回した。打球を見ながら、走っていたハンナの中に言葉にできない思いが沸き上がる。宙の右手をボールが離れる瞬間から、バットとボールが当たる瞬間まで、全部見えていた。全部、頭の中に刻まれている。一生、忘れないと思った。こんなに濃密な時間なんて、ほかにあるんだろうか。
いつもみたいに、キャッキャと騒げない。でも、うれしい。楽しい。野球が大好きだと思う。だから、一塁ベースを回るときに、腕が上がった。でも、笑うことも、声を出すこともない。ただ、あの瞬間だけが何度も脳裏をめぐる。
打たれた方の宙は、帽子のつばを押さえて、下を向いていた。
「天才だよ、キミは。だから、野球やれ。もっと、今みたいな瞬間をつくれ」
ツーシームを打たれる予定ではなかった。遅いスライダーかカーブ、そっちを想定して投げていたのだ。視線の先で、キャッチャーの秀樹が不思議な表情をしている。思いは同じなのだろう。




