72話 陸、仕留めろ
翌日、牛車の後ろに三本鍬をぶち込んで、草原の一部を引っ掻き回す。抜けた草はどんどん車に積んで、そのまま、干し草にする。馬と牛のエサになる。草を引っこ抜いた部分に土を入れ、軽く固めて、トンボをかける。なんとなく、グラウンドみたいになる。
「取り急ぎ、球場2面だ。それで、何試合かこなせる」
遼四郎が草を選り分けながら、デカい声で言う。明らかに竜討伐とは関係のない行為だった。でも、トマスも文句は言わない。
「私は野球がまだ下手だから、明日は遼四郎の後ろで見ていたいんだが」
「黙って見てればいい。得ることもある。でも、口は出すな。それから、今も含めて、細かい手伝いは絶対にしろ。やればやるほど、いいリーダーになれる」
いつのころからか、遼四郎はこの世界の行く末をトマスに委ねる気分になっていた。自分とは全く異なる頭脳派のリーダーだった。でも、こいつがいいと思った。トマス自身もそれを感じている。だからなのか、妙に厳しい。
「だいたい、エラそうなやつほど、自分が忙しいとか言うんだよ。たいしたことしてないのに。でも、忙しいのはみんな同じだ。めんどくさいことこそ、自分でやれ」
「肝に銘じるよ。トンボとかいうのをかけてみるよ」
「どうせ上手にできない。でも、やれ。誰かが教えてくれる。初心者に、できないヤツにやさしくなるために、初心者である自分を楽しめ」
トマスは遼四郎の言葉が全部うれしい。ガンガン心に響く。
「了解した。ヘタクソこそ、成長と可能性の塊だよな」
そう応じたトマスに、遼四郎が笑ってやる。顔中、汗だった。
夜、すでに遼四郎は戦闘モードだった。夕食の前に、全軍に言う。
「明日、野球の試合やるぞ。午前10時に俺たち多摩広井野球部とお前らの野球できるヤツと試合する。真剣勝負の申し出だから、手抜きなしにやる! 終わったら、今日つくった球場でみんな試合していい。できているであろうそれぞれのチームの責任者は、今日のうちに試合参加を申し出ておけ」
竜と戦うときさえ、あまり遼四郎が峻烈だったことはない。みんな、驚く。
「マジで真剣勝負するって、こんな感じなんだ」
「心理戦とか、そういう面もあるのかな」
兵たちは、遼四郎の人間性をもう知っている。豹変しようがない男なのだ。でも、別の側面を見せてくれた。
「明日は、本気なんじゃないかな。キャプテン」
「見たいよな。本気の野球!」
征竜軍は盛り上がっていた。野球をただ教わる時間から、自分たちでやる、というタームに入ってきたことを感じたのだ。
翌朝は早朝からみんな起きていた。何も言わなくても勝手に朝食を済ませ、身体を動かしはじめる。
「食べすぎると、身体が眠りたくなるから、調整しておくんだよ!」
最初に言ったのはリサ。昨日、勝利は夕方まではいろいろ話してくれた。でも、その時間が過ぎると、別人になった。
「明日、試合する相手だから、今日はここまでにしよう」
そう言って、最近、妙にしっかりしてきたメガネは、リサの前から消えた。
「耕平もそんなこと言ってた。なんか、ちゃんとコントロールしているみたい」
ケイも同じような目に合ったらしく、エリーたちに言う。
「まあ、勝負するんだったら、そうなるんだよ」
ハーマンが応じた。横にはうどん屋の大将がいる。このチームの監督兼選手が、彼だった。
「相手は本気だから、こっちも失礼がないようにやること。いつもの仲良しグループは通じないからな」
たぶん、遼四郎がやれと言ったのだとエリーは思う。大将は圧倒的な存在感で、彼女らを束ねた。年齢も上だし、貫禄も違うのだ。
メチャクチャ久しぶりに多摩広井野球部に戻った遼四郎たち。10人だけで集まる。
「適当にやって、ボコボコにしたらいいんスよね」
正則はなんとなく口にする。深く、考えてない。すると、遼四郎が怒った。
「適当になんかやるな! 絶対にボコボコにするぞ。お前ら、ハンナ嫌いか?」
恐ろしい形相で遼四郎が聞く。特に陸と省吾が、絶対的に違うという反応をした。でも、遼四郎は続ける。
「あの子は武術の筋がいい。よすぎる。だから、このまんまじゃあ、俺たちが去ったら、あの子はバリバリの軍人になっちまう。それでいいか?」
陸と省吾が唖然とした。した後で、絶対的に嫌だという反応を見せる。
「だったら、陸よ。あの子の球を徹底的に打て。野球で負けて悔しくて、野球しかしたくないように倒せ。それがお前の仕事だ!」
陸は言われて、ようやく意味がわかる。ハンナは武術の天才だった。でも、人間的に大好きな人だった。愛した人を、軍人にしたいとは陸は思わない。
「わかりました。ボコボコにする意味が、やっとわかりました。やります!」
陸の顔が戦闘モードに入ったのを見た遼四郎は、省吾を見る。
「お前はぁ!」
遼四郎に問われる前に、すでに省吾は陸と同じ思考はしていた。勝たなきゃいけない理由がわかっていた。
「キャプテン、この試合って、そういう意味があったんですね」
省吾の闘志に火が付いた。もう、ヘラヘラしないだろう。こうなれば、あとは投入する場面と、空回りを制御すればいい。そう、遼四郎は思う。
「俺たちはな、あいつらに軍人やらせたくて竜殺してるんじゃない。そうでない時間をあげたくて、やってんだ!」
遼四郎の激を、うまい、とトマスは思う。野球部たちの愛情は、すべて相手側に向いている。その人たちのために、鬼になって遼四郎は勝てと言う。まったく、正しい。
試合時間が近づく。
「この試合、チーム名どうする? 多摩広井対、何とする?」
ちゃんと試合をしようとすると、そこで引っかかった。大将と一緒にメンバー表をつくってきたエリーとヨーコも困る。
「そうよね。チームなんだから、チーム名くらい必要だよね」
ちょっと悩んでいると、一也が前に出てきて言う。
「ドラゴンスレイヤーズって、どうかな? 単に竜掃使の意味を英語にしただけだけど、みんなが馴染めそうな気がする」
その提案を聞いて、ヨーコが納得した。
「いいわね、ドラゴンスレイヤーズ。竜がいなくなったら、役立たずだけど、野球部の名前ならカッコイイ」
全体的に賛成しているみんなを見ながら、一也が言う。
「僕たちはね、みんなを本物のドラゴンスレイヤーズから解放したいんだよ。そんな物騒なことは、野球チームの名前くらいで、ちょうどいいんだよ」
最後に、髪が伸びてイケメン全開の一也が、わけのわからないことを言って去った。
「一也が大事なこと教えてくれたけど、まあ、深く考えなくていい。やってみりゃわかる」
大将が笑って言った。そうなのだ。ドラゴンスレイヤーズをなくすための事業が、都から長々と歩いてきて、今、やってることだ。
10時になった。一也と秀樹がルールを教え込んだ女子たちが審判を買って出てくれた。その前に、遼四郎たち多摩広井ナインと、エリーたちドラゴンスレイヤーズが整列する。正しく、礼をして、試合開始となった。
やはり、マウンドに立ったのはハンナだった。左の長身で、ストレートが速い。器用だから、変化球も使える。当然の選択だろう。でも、多摩広井の1番は耕平だ。いちばん、手ごわい男。
それでも、ハンナは抑えたい。受けるキャッチャーはハーマン。初球は自慢の速球ではなく、スライダーで入った。でも、耕平は右打席でピクリとも動かない。
普通、キャリアのあるバッテリーならば、耕平のこの挙動を見れば、スライダーが無意味とわかる。待っているのはストレートなのだ。だから、それだけは投げない。投げてもストライクにはしない。
でも、ハンナもハーマンも野球のキャリアはない。ならばと投げたストレート。当然のように、耕平は合わせてくる。
カンッ、という木製バットの音と同時に、打球は一塁ベースの横を鋭く抜ける。ファーストにいるエリーに捕れるわけがない。二塁打だった。
「まあ、耕平は仕方ないわよ。勝利以降を仕留めればいいのよ」
ヨーコがセカンドから声をかける。ハンナもうなずく。でも、耕平はそんなやりとりの間にも、2番の勝利と目を合わせている。
初球からガツンと打った勝利の打球は、ワンバウンドしてヨーコのグラブに入った。でも、二塁ランナーの耕平は、すでに三塁近くまで走っている。勝利をアウトにしても、ワンアウト三塁という、厳しい局面になる。
そして、3番は遼四郎だった。わかっていたつもりのピンチだけど、ハンナは少しうれしい。野球やってるんだから、遼四郎をガチで見ても変じゃない。けっこう好きだった人を、勝負の相手としてしっかり見る。
でも、遼四郎はハンナの方をあまり見てくれない。無表情に三塁にいる耕平の方を見た後は、何の感情もない目でハンナを見ている。腹が立ってくるハンナ。
「一昨日は、大好きだって、言ってくれたじゃん!」
感情のままに投げてしまう。やっぱり、ストレートだった。読んでいた遼四郎は、力みなく無表情にスイングする。ショートにいたイーデンの頭上を高く超える打球。長打になる。
耕平が還る。遼四郎は二塁へ。
声も出さずに二塁で立つ。次の4番である富夫を指さして指示を出す。
「富夫。初球振れ」
竜と戦うときは、ニヤリと笑ってくれるのに、やさしく元気づけてくれるのに、野球では笑ってくれない。ハンナが孤独になる。ヨーコもエリーも声をかけているのに、ひとりになる。そして、怒る。
「なによ、富夫なんか!」
そうして、富夫を正視する。そして、気づく。構えに隙なんかなかった。何を投げても打つ気だった。気持ちで負けた。ストライクゾーンから、遠くへ逃げた。
結局、5番の陸と勝負するしかない。いつもやさしい陸。一緒にいてくれる、ひとつ年下の男の子だ。でも、違う。
「陸、仕留めろ」
二塁から鬼のような声で遼四郎が言っていた。それに、躊躇なく陸はうなずいている。ハンナはわけがわからない。いつもの仲間じゃない気さえする。
「陸もキャプテンもいじわるじゃん!」
そう叫んで、ハンナはセットする。陸も表情を変えない。腹が立つくらいにつまらない顔。ハンナは、思いきり内角にストレートを投げる。でも、テイクバックの前に陸が少しだけ笑っていた。しまった、と思う。
陸は思いきり振りぬいた。容赦する気なんかない。今までやったことなんかないほど、丁寧に、力いっぱい振ってやった。十分な手ごたえが手に残る。
レフトを守るグレッグの十数メートル上を通り、打球はラインを越えていく。
「ホームラン、です」
塁審を務める女子が頭の上で手を回す。陸は下を向いたままベースを蹴って、腕を軽く上げた。ハンナの方を見ることさえなかった。




