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62話 過去の先にある未来

 石壁に向かって、ボールを投げる。指先にかかるボールの縫い目が心地いい。跳ねてきたボールを、足で追って捕る。また、投げる。

 子どものころ、ずっと、そんなことをしていた。友達と遊んで帰ってきても、近所の公園に行って、ボールを投げていた。そんなときに、考え事をする。隣のクラスにやってきた、長い黒髪の女の子を気にしていたときも、そうして考えた。さんざん投げた後にひとりで言う。

「よし、明日、あの子に話しかける。決めた」

 ある夏休みには、知らない金髪の女の子が、ひとりで座ってた。さみしそうに見えた。ボールを投げながら、どうしようかと考えた。何球も、何球も考えた。いいボールが投げられたときに、決めた。

「あの子に声をかけよう。嫌じゃなかったら、いっしょにアイス食べよう」

 遼四郎りょうしろうは、そんな風に、いろんなことを決めてきた気がする。だから、また、ボールを投げている。


 昨夜、襲ってきた大竜を倒した後、夕食の時間にトマスが興奮しながら、大きな声で言った。

「遼四郎! ここで竜を倒しながら、町を建設していくんだ。すごいぞ。大竜含む50の竜を一瞬でほふれたんだ。しかも、浅い負傷者はいても、死者、重傷者はなしだ。こんなに強い軍はほかにない。お前がここにいれば、都もこの国も安泰なんだ」

 彼の言葉に賛同した者も多い。急先鋒はヨーコ。

「ホントにそうよ。私のアイスチャージだって、正則と組んでのあの威力。さらに、ひろしや富夫の力があれば、竜なんか屁でもないわよ。征竜隊があれば、征竜軍は鬼より強いのよ」

 彼女の物言いはお姫様のわがままのようにさえ聞こえる。でも、実は常に正論だった。お姫様待遇に甘えるような人の言葉なら、こんなに苦しまない。

 征竜軍の兵のみんなだって、この日の勝利を喜んでいた。今まで劣勢だった相手に、遠い地の果てでさえ、圧勝したのだ。この力を失いたいわけがない。

 みんなの意見に遼四郎は薄ら笑いを浮かべていた。みんなが正しいのだ。耕平や勝利かつとしだって、帰らなくてもいい未来を話していた。ハーマンも、エリーだって、遼四郎の悩みを汲んでくれていたが、それでも、トマスやヨーコが語る未来を願っているのが理解できた。


 ただ、ボールを投げ続ける遼四郎。誰も気を遣って近くに来ない。でも、ひとりだけそこに向かう男がいた。

「キャプテン、元気ないな」

 うどん屋の大将だった。

「はは、ちょっと、煮えすぎて答えが出ない」

 遼四郎は意外な人物の登場に軽く驚いた。でも、そんなことはお構いなしに、大将は自分のグラブを遼四郎に向けた。仕方なく、ボールを投げる遼四郎。

 大将は実は背の高い遼四郎よりデカい。毎日、うどんをこねて、茹で続けているから、膂力りょりょくも異様にある。下手するとハーマンより強いのでは、と兵士たちは噂している。そんな大将がボールをバシッと受け、ちょっと怖い形相で遼四郎を見る。投げてくる。

 瞬間的に真剣になった遼四郎がそのボールに向きあい、捕った。試合で、富夫の送球を受けたときのような衝撃だった。遼四郎の顔が変わる。

「うどんはな、煮詰まったら、煮詰まったで、やわらかくてうまい。年寄りは、そっちの方が好きだ」

 大将は、どうでもいいことを言いながら、遼四郎のボールを受け、さらに投げる。根本的な力の入れ具合が正確な、強烈なボール。遼四郎はグラブに入れる位置をシビアにした。

「でも、固いうどん求められることも多いでしょ」

 大将の実力がわかった遼四郎は、手加減なしのボールを投げ返す。シングルハンドで軽く捕る大将。

「相手に求められるものを提供するのが仕事だ」

 やり返す遼四郎。

「じゃあ、俺はここで竜やっつけるのがいいんですかね!」

 渾身の遼四郎のボールが少し逸れる。でも、大将はバックハンドで軽く受ける。なんだか、元プロみたいな人と、キャッチボールしているような気分に遼四郎はなる。

「やりたいことを、やるのも生き方だっ」

 また、強いボール。この距離だと、ビリッとくる。

「それじゃあ、みんなが不幸になるでしょ」

 遼四郎が半分怒りながら、投げ返す。大将は屁でもない。そして、大きく振りかぶる。鬼の形相。そのまま、投げた。

「調子に乗るな!」

 剛球だった。ちょっと、見たことがない球筋。異様に強い手首と指が生む鉄のようなボールだ。生まれてはじめて受けた種類のもの。

 驚いた遼四郎が相手を見ていた。笑う大将。

「お前がいなくなったら、俺がこの軍を率いてやろうか。飛び方もお前のを見ておぼえたし、長年、店やってんだからリーダーシップもお前よりはうまい。野球はこんなもんだが、剣はお前よりたぶん上だ。血筋と素性のせいでできなかったが、昔から戦士か将軍になりたかったんだ」

 遼四郎は大将の言葉が虚言ではないことがわかる。人間の器も、膂力も、まだまだかなわない相手だった。自然に笑えてくる。

「遼四郎、やりたい野球をやってたから、今、お前はここにいる。好きなだけやれ。できなくなったら、次やること考えろ。帰りたくなったら、帰ってこい」

 ムチャクチャを言っている大将だが、遼四郎にはうれしい言葉だった。だから、聞いてみたくなる。

「好きな人は、どうしたらいいですか?」

 大将は笑う。

「お前のころなら、みんな好きな女がいるんだよ。でも、やりたいことやるから離れてしまう。いつか過ぎ去ることも多いが、忘れずに行動して一緒になる未来もある。どの世界でも一緒だ。女が大事なら、行って帰ってこい」

 あまりに明快な答えに、遼四郎の顔がはじける。そうだった。好きな相手がいたって、みんなどっかに行ってる。去年の先輩だって、行きたい大学に行って彼女と離れ離れだ。それでも、彼女が好きなら、帰ってくればいい。ただ、この世界にまた帰れるのだっけ? そこに遼四郎の思いが至る。そして、顔を上げる。

 大将は笑ってうなずいていた。ウソであっても、遼四郎はそう思うことにした。そうでなければ、前に進めない。


 結局、陣営の近くで倒した竜たちを処分するなどに時間をとられる征竜軍。一部は食料として備蓄することにもなり、食える部分を陸たちが処理し、急ごしらえの貯蔵庫に運ぶなど、仕事は多かった。

 ここのところ、晴れているので、夕食は外で食っていた。この軍にとって、それはいつも幸せな時間だった。腐るほどある竜の肉を辛めの鍋にして食ったみんなは、上機嫌で歌を唄い、それぞれの話に花を咲かせる。

「キャプテン、今日は私と話でもしませんか」

 幕舎近くに戻ってきた遼四郎に、ケイが声をかけた。ちょうど、エリーも富夫もいないタイミング。それを見計らっていたのだろう。

「あ、ケイか。いいな。なんとなく、キミと話したい気分だった」

 赤い髪をかがり火に映えさせているケイがうれしそうに笑う。

「ケイは遠くに行きたい?」

「陣営の離れくらいでいいかな」

 小さく笑った遼四郎は、隣の幕舎にいるトマスに少しだけ出ると声をかける。

「これで大丈夫。さ、歩こうか」

 そう言って、遼四郎はちょっと大きな革袋を肩にし、さらに腰に刀を差して歩きはじめる。ケイの腰にも細剣が下げられている。それが軍人の姿。

 何も言わないで、ゆっくりと歩く。テントの外にいる兵に、軽く会釈をしていく。200メートルほど歩くと、人もいなくなる。さらに、100メートルほど歩くと、もう、かがり火も空をそれほど照らさない。星がよく見える。

「このあたりでいい?」

 遼四郎の方から聞く。ケイは軽くうなずいた。乾いた草の上に、刀を抜いて、そのまま腰を下ろす。ごそごそと革袋を開けて、いろいろととりだす遼四郎。

「なんですか? それ」

「俺の遊び道具。陸とハーマンに相談して、一緒につくった」

 そう言って、いくつかの薪や小枝を取り出し、火口になる樹皮や藁を重ね、油のようなものを垂らし、火打石で火を放つ。すぐに小さな火がふたりを照らした。

「薪を割るのに苦労していた人が、上手になるんですね」

 ケイがずっと前のことを思い出して笑う。

「だから、キミの前でやりたかったんだよ」

 ニヤッとした遼四郎の顔が火に照らされる。ケイは屈託のないキレイな顔だと思う。

 さらに、小さな三脚を置き、その上に水筒の水を注いだカップを置くと、遼四郎がケイに言う。

「これで、あったかいお茶を飲みながら話せる。カップはひとつだけど、変な気は遣わない約束な」

「キャプテンって、なんか、モテるのわかる」

 ケイがまた笑う。

「そんなためにやってるんじゃない」

「わかってますよ」

 他愛もないことを話す。でも、その後は言葉が途切れた。小さな火を見つめながら、時間が過ぎる。言葉を探す気もなかった。それでも、話しているようなものだから。

「私、耕平君を好きになりました」

 ようやく、ケイが口にする。遼四郎は小さく息をしてから、にっこりと笑う。

「よかった」

 そう言って、カップを指さす。お茶がちょうどいいくらいに煮えていた。

 ケイはカップをとって、ゆっくりとひと口飲む。

「なんだか、おいしい」

 その声を聞いて、満足そうに遼四郎は空を見上げた。なんとも自然な仕草に、ケイは少しいじわるになる。

「キャプテンって、私のこと好きだったことあります?」

 聞いてくるケイにすぐに答えず、遼四郎はケイが置いたカップを手にして、お茶を飲む。もちろん、同じところに口をつけたりはしない。

「何度もあるよ。そのたびに、どうしたらいいんだろう、と考えたよ。いつからか、未来にまかせようと思うようになった」

 今度は、ケイがカップを握ってまた、お茶を飲む。そして、空を見上げる。

「よかった。ただ一方的じゃなかったんだ」

「かわいいもん。ケイは」

 言葉少ないやりとりだけど、心の底が温かい豊かな時間。

「大竜がキミを襲ったとき、俺は届かなかった。未来がこれかと思った瞬間に泣いてしまった。でも、耕平が降ってきた。なんもかんも、変えてくれた。さすが親友だと思った。その未来がうれしかった」

 温かい時間そのままを抱くように、ケイは両手でカップを握っている。

「遼四郎、ありがとう。一瞬でも私を思ってくれて。私はね、あなたを好きだった過去の自分が大好き。だから、こんな未来があるんだと思う」

 遼四郎は、何か大事なことをケイが教えてくれた気がした。でも、その意味がすぐには認識できない。わからないけど、正しいと思った。

「こちらこそ、ありがとう。俺もキミと出会え、好きになれた過去を大事に思うよ」

 ケイは言葉を返さず、まだ温かいカップを遼四郎に返した。受け取った遼四郎がお茶を口にする。ふたりはやさしく目を合わせ、ただ笑った。



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