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58話 雨に濡れても

 トマスと遼四郎りょうしろうで決定したように、征竜軍は都城の東方向から流れる河に沿って移動していく。数日の間は、竜掃使りゅうそうしの偵察隊も活動していたエリアで、地図もあった。だが、そこを過ぎると、もう長い間、人がやってきていない世界になる。ほぼ、古地図のようなものを頼りに進むしかない。

「100年以上、人が来ていないとこうなる。伝える人があの世に行き、受け継ぐ人が忘れる。知らないことばかりになる。だから、記録は重要なのだ」

 トマスが川の流れが地図と違うことにうんざりしながら、そんなことを言う。勝利かつとしがその憤りを理解して、声をかけてやる。

「俺たちの世界でも、そういうことは多いよ。少なくなった人々の言語や、いなくなった生き物の姿。戦争の苦い思い出……。みんな役に立たないと思って、捨てていく。そして、必要になったときに、断片しかなくて、うろたえるんだ」

 自分の生きる世界の愚かさ、バカバカしさに疲れを感じていたトマスだが、少し落ち着く。

「勝利、キミの言うことは正しいことが多い。たいしたものだと思う。でも、それをやっていると、私と同じように嫌われる」

 トマスは笑って言う。勝利も笑う。

「キミは嫌なヤツだけど、頼りにもなる。全部、混ぜてひっくるめると、まあ、いいヤツだよ。俺自身もそんな人間でいいように思う」

 すると、近くを歩いていたリサが割り込んできた。

「アンタたちはね、ちょっとだけクセが強くて、でも、けっこう正しいの。少し付き合えば、やさしいこともわかる。実はいい人なの。だけど、初対面で嫌がられる。それを無神経に放置しないで改善することね。もっと、アンタたちの考える正しいことが世の中に伝わる。みんなが幸せになる」

 二日、雨に降られていた。話しているリサも合羽は着ているが、髪から足の先まで、びしゃびしゃに濡れて歩いている。でも、笑顔。

「うん、がんばるよ。正しいことは、伝わった方がいい」

 大好きなリサに言われて、勝利は素直だった。

「キミの言うとおりだと、私も思う。努力しているところだ」

 トマスもリサに返す。もう一度、わかりやすく笑って、リサが顔を別の方に向けた。

「いいお手本があるよね。そこのキャプテンを見習いなさい」

 視線の先には、馬を少しだけおぼえた遼四郎がいた。雨が降っている間中、全軍の隊列を、行ったり来たりして、声をかけ続けている。後ろには騎乗のエリーも続いていた。ふたりともずぶ濡れだった。誰も、馬に乗って楽をしているなんて、感じない。


「本当に済まない。こんなに雨に降られるとは、想定できなかった」

 トマスが口を開く。遼四郎と富夫が起居する、大きな幕舎になんとなく人が来る。手狭に感じるほどに、集まっていた。雨に降られているためか、だからこそ、リーダーに会いたいためか。

「仕方ないよ。雨が降るのはわからない。そうなったときにできることを、学んでおけばいいよ。ほら、便所だって、うまく設置できるようになってきたし」

 遼四郎は、あえてのんびりとした感じで答える。トマスが自分のせいにしてはいけない。

「いいんだよ。兵のみんなも、ちっとは酒飲んでもいいことにしたし。一也や正則と歌ばっかやってる。野球の話もしてる。疲労はあるが、耐えられる」

 めずらしく、こういう席にいるひろしもトマスをなぐさめる。

「竜掃使のころは、しんどいのは当然だったからね。征竜軍は楽しいことが多すぎるから、雨くらいで悩んじゃうのよ」

 宙の隣にいたヨーコが、そんなことを言う。広い幕舎なので、小さな火を焚いている。そこで、なんとなく、みんなが温まっている。その火をぼんやりと見ていたハーマンが、思いつく。

「そうだ。城を出てすぐの夜に捕まえたヒツジを連れてきてるだろ? 次に晴れたら、あれを食おう。陸、なんかいけるか?」

 雨でまともな料理ができない陸は、昨日からしょげている。みんなも、兵も小さな火で沸かした少しの温かいものと、冷たい携行食を口にするだけ。だから、することがない。でも、ハーマンの提案はおもしろい。目がギラリと光る。

「いいですね。晴れたら、ぜいたくしない程度に、うまいもの食いましょう」

 ハーマンがニヤリと笑う。幕舎の中のみんなも、楽しくなる。それは、小さな光。

「それ、みんなに言ってあげた方が、元気出ない?」

 ヨーコが顔を上げて言う。ハーマンや陸がうなずく。外はまだ雨が降っている。でも、雨具を軽くかけ、そのまま出ていく。

 トマスも少し、そんなことをしてみたくなった。立ち上がろうとする。すると、ヨーコが言う。

「トマス、アンタはここに残って、遼四郎とエリーを見張ってなさい。なんか、気になるのよね、最近。いい? アンタはふたりの部下なんだから、黙ってここで様子をうかがいながら、ヘロヘロの心と身体を休めてなさい」

 ついでにヨーコは続ける。

「遼四郎もエリーも今日はここにいるのよー。アンタたち、昼間がんばりすぎ。見てられないよ。疲れ果ててどうすんの? そこを考えておくこと!」

 好きなように言って、ヨーコも出ていった。あわてて、宙も続く。ポツンと残ったのは、遼四郎とエリー、そして、トマス。微妙な組み合わせになって、遼四郎とエリーがソワソワする。意味もなく、幕舎の天井を見る。

「その、キミたちは、その、夫婦のようなもんだと思って、私は接しているんだが……」

 相変わらず、いちいち正しいことを最初に言う男の言葉は、遼四郎たちにキツイ。

「ち、違うのよ。そ、そうじゃなくて、私と遼四郎は……」

 しどろもどろのエリーは、何かウソでごまかそうとするように感じた。だから、遼四郎が制す。

「そうなんだ、トマス。俺とエリーは、将来、夫婦になろうと約束している。遠い昔からだ。でも、それは将来があった場合のこと。そうじゃないので、今は普通の関係だ」

 正しいことを言う男に、ウソは通じない。だから、真実をあえて言う。

「なんだ、つまりは許嫁か」

 トマスの理解は、彼の小さな男女間の概念を出ない。だから、遼四郎は逃げ隠れをあきらめる。

「トマス、そんなこと決められないんだ。すぐにいなくなる俺が、エリーと婚約してどうすんだよ」

 遼四郎の一生懸命な言い方に、ようやく、トマスの回路が入る。そして、もう一度理解する。いずれ、遼四郎がいなくなることを。

「それなんだがな……、やはりダメだ! お前がいなくてどうする。俺はお前の下で、やりたいことをやって、この世界を変えるんだよ」

 クスッ、と笑ったのはエリーだった。

「あなたと私は似ているのかも。遼四郎がこの世界にいる未来しか見えないの。違う世界は、見たくない」

「そうだ。その通りだ」

「じゃあ、一緒にがんばりましょう。この人が残ってくれるのが最善。でも、行ってしまう未来もある。そのときには、何をしようか?」

 エリーに見つめられたトマスが考える。そして、答えを出す。

「こいつの全部をおぼえておく。こいつがいたからできたことを、自分だけになっても、できるように」

「うん。私もそう思ってる。がんばろう」

 置いていかれた気分の遼四郎が、火の上のやかんで湯が沸いていることに気付く。

「茶でも、入れるわ」

 遼四郎が立ち上がると、もう一度、エリーがクスッ、と笑う。お茶の準備にエリーもトマスも立ち上がる。小さな共同作業だが、意味はとても大きかった。


「雨降ってる間は大変だけど、ちょっとの辛抱よ。ハーマンと陸が、晴れたらヒツジ料理でもやってみようって」

 兵たちのテントがまとまったところを回っては、ヨーコはそんな言葉をかけていく。宙も一緒に歩きながら、あちこちに伝える。

「はは、それは楽しみだ。あんまり、ヒツジとか食ったことないし」

 兵たちはそんな風に応じていた。身体はいくらか疲れている。しかし、気持ち的にはまだまだ余裕がある。征竜軍のモチベーションは高かった。

 一通り声をかけ終わると、テントの群れが途切れたあたりで、宙がヨーコに声をかける。

「なあ、ヨーコ。言っておきたいことがある」

「ん、ここじゃ濡れるよ。幕舎に戻ってからでよくない?」

「いや、戻ると言いにくい。前も言ったが、俺はキミが好きだという話だから」

 ヨーコは足を止めた。雨はまだ降っている。合羽の表面を水がはねる音が続く。

「ありがとうね、としか言えないけど、うれしいよ」

 フードの奥にあるヨーコの目がやさしく笑った。

「うん、それでいいんだ。別にどうこうしようというわけじゃない。でも、ちゃんと言っておきたかったんだ」

 宙もニヤッと笑う。

「なんでなんだろうね。どうせお別れしちゃうんだったら、好きだな、と思ってれば、それでいいはず。状況はたいして変わらないもんね。でも、どうしても伝えたくなる」

「なんでだろうな。言っておかないと、気分が悪いんだ。最初に会った日に好きになった。見た目も気持ちもキレイな女の子だと思った。ずっと見ていても、気持ちは変わらなかった。そんなことを伝えておきたくなる」

「こんな嫌な感じのお姫様ですけどね」

 ヨーコが自虐的に言うと、宙は思いきり首を振った。フードから水が飛び散る。

「そんな風に感じたことはない。キミがお姫様である境遇を悩んでいることは知っている。でも、キミは必死にそれと付き合っている。とても上手にだ。自分を誇ってほしい」

 ヨーコもこの熱血漢のことを気に入っていた。強気さもやさしさも、隠すことなくまっすぐで心地いいのだ。遼四郎がいなければ、好きだったと思う。

「宙やみんなが、そう思ってくれるから、私は引け目を感じなくなったんだよ。できることを、あなたみたいにまっすぐやって、みんなに喜んでもらえればいい、そう思うようになった」

 そう話すヨーコを宙はずっと見ている。

「俺は、やっぱりまっすぐか?」

「それがあなたのいいところ」

 そう言ってヨーコは宙に近づくと、さっと彼と自分のフードをとる。そのまま、頬に軽くキスをした。

 驚いた宙が、呆然と立っている。ヨーコはフードをかぶり直し、先に歩きだす。

「ごめんね。ほっぺで」

 振り返ってヨーコが言う。宙はまだ驚いていた。



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