57話 星の下で会いましょう
晴れた日の下、征竜軍は歩き、午後には採石場に至っていた。エリーと出会った日、ここまで来て、一緒に竜の尻尾を食った思い出の場所だった。
「あのときのお坊さんが、今では征竜将軍だもんね。なんか、不思議な気分」
エリーが遼四郎に声をかける。たった数カ月なのに、遠い昔に感じてしまう。
「あのときは、手探りで話していた感じだったかな」
遼四郎の答えに、エリーは懐かしそうに笑う。
「お前らにとっては懐かしい場所だが、今後を理解する上では、いい場所だろうな」
割って入ってきたのは、トマスだった。彼は征竜将軍付きという立場なので、基本的に遼四郎と副官のエリーに付いて回ることになる。
「水、少ないもんね。ここ」
エリーがうなずく。採石場だった場所なので、小屋と井戸はある。それは、征竜隊10名には十分だったが、征竜軍500以上には、圧倒的に足りない。
「とりあえず、水は井戸から汲めるだけ補充するしかないな。で、あれだな」
「そう、便所だ。とにかく、やってみよう。経験が不都合を教えてくれる」
遼四郎とトマスで打ち合わせていたことを実行に移す。兵10名単位で井戸の下流になる離れた場所に穴を掘って便所にする。エリーらを含め、女性兵士もいる。簡単な囲いも必要だ。軍の生活部分を、比較的安全なところで実践しておきたいのだ。グレッグやハーマンにも声をかけ、実行に移す。
「じゃあ、僕らも動きましょうか」
陸がイーデンを副官挌に使い、100名程度の兵を動かす。野戦食の準備だった。残った兵はテントを張って野営地を設営し、見張りの人数も必要だ。休む暇はない。
夜になった。ジャスティンらと戦った大戦で、多くの竜を倒したためか、この近辺での竜の目撃はほぼなかった。ある意味、安全圏で最初の夜が過ごせる。
「今日のところは、どうということはないけど、いずれ、苦労するでしょうね。特にトイレと風呂」
ヨーコが陸たちの準備したカレーをつつきながら、ズケズケと言う。別にお姫様的な文句ではない。彼女も元は竜掃使だった。数日の野営などなんでもない。でも、いずれは、そこに不満がたまることは感じていた。
「長旅だからなあ。衛生面は重要だろう」
今日は征竜隊と一緒に過ごすことにしていたグレッグがうなずく。
「やっぱり、川を下っていくルートがいいんだろうな。水は重要すぎる」
「じゃあ、決まりでいいんだな?」
遼四郎とトマスのやりとりで、ルートが決まっていく。元々、それを予定していたのだが、実際にやってわかることもある。グレッグやヨーコもうなずいていた。
夜が更ける。一応、人が集まることも多いので、将軍らしく大きい幕舎を使うことになっている遼四郎。富夫と一緒に起居することになっている。ただし、その富夫は正則らと一緒に兵たちと歌を唄いに行っている。暇な遼四郎は、外で座って、ぼんやりと星を見ていた。
「ね、ちょっと出かけない? たぶん、今日しかできないから」
遼四郎が驚く。エリーだった。
「出かけるって、どこに?」
「どこでもいいけど、歩こうよ。いいところに行けるから」
エリーが遼四郎の手を握る。最初に感じたのと同じだ。剣を振るからマメがある。でも、やさしい、女の子の手。
「散歩なら、いいかな。トマスにでも声をかけておこうか?」
「言っておいたわ。“遼四郎と出かけていい?”と聞いたら、“何もないんだから、朝いれば、それでいい”って」
そう言うエリーを見て、遼四郎は笑う。
「やっぱり、しっかりしてるよな。そういうところは」
「じゃあ、どこがしっかりしてないのかな?」
エリーがわざと聞く。
「おっちょこちょい、と言われ続けてきたところが、あるかもしれないし」
遼四郎がいじわるを言ってみる。でも、エリーは笑う。
「そうよ。私はおっちょこちょい。だから、手を離さないで」
この人らしい言葉に、遼四郎が少しドキドキしてくる。エリーは彼の手をとって、軽く走るように進む。
「で、どこに行くんだっけ?」
野営地から少し離れたところで、遼四郎はエリーに改まって聞いてみる。何か、めざす場所があるんだろうと思う。
「本当にどこでもいいの。でも、なんとなく、あっち方向に30分くらい歩く感じかなあ。あ、私、方角は信用ないから、遼四郎が帰り道はおぼえていてね」
「なんだっけ、超時空少女だよな、エリーって。ケイが言ってた」
「そうよ。だから、場所とか方向は信用しないで。そこは遼四郎まかせよ」
本当はしっかりしているのが彼女。でも、急に時空を超えてしまうのが彼女の半生だった。しかし、遼四郎はエリーと歩いている自分が楽しい。野営地の明かりを背に、どんどん離れていく。
「どこまで歩くのかな?」
軽く聞いた遼四郎に、エリーが少し落ち着いたトーンで話しはじめる。
「遼四郎とヨーコは、この前の旅行で何かあったでしょ?」
聞かれた方は、ガツンとやられた気分になる。そうだ、ヨーコと遼四郎は、夕暮れの瞬間、キスをした。
「い、いや……」
しどろもどろになる遼四郎に、エリーが言う。
「いいのよ。本当はよくないけど、気持ちはわかる。私たちなんか、瞬間を生きてるだけだもん。だから、今日はムリヤリ、そんな時間をつくりたくなったの」
野営地から届く小さな光と星の明かりだけで照らされるエリーの笑み。遼四郎が、アッと驚くほど、その横顔は端正だった。
「ちゃんとした結論なんか、出せないんだ。キミが好きだって、言葉はいつでも言える。でも、そこに何も伴えない」
エリーはそう言う遼四郎の顔の前に、キレイな指を立てる。
「だから、いいの。そのままの遼四郎でいいから、もう少しだけ、一緒にいて」
そう言って、エリーは歩き続ける。どんどん、暗くなる。
「やっぱり、どこまで、行くんだっけ?」
「振り返って、光がみえないところまで、かな」
「何をしに?」
「小さな、光を見に行くのよ」
そう笑うエリー。それでも、歩いていく。そして、振り返る。
「もう少しかな。ね、ここからは、遼四郎がよく見ててね。私たちが歩いてきた方向を、忘れないで」
そう言って、エリーは地面に剣の鞘で線を引く。少し歩くと、また、それを繰り返す。そして、あるところで野営地からの光が途絶える。漆黒の闇。
「さあ、着いたよ。ここが目的の場所。光がない世界」
そう言って、エリーは地面に座る。野営地から届いていた光が、地平線の向こう側になった。星以外の明かりがない。何も見えない。一瞬、遼四郎はぞっとする。ただ、握ったエリーの右手だけが、確かな感覚。闇を見ながら、座ってるのも変な気がする。
「このまま、寝っ転がっていい?」
「方向がわからなくなるから、来た方向に頭は向けておいて」
エリーの忠告に従い、遼四郎はゆっくりと地面に頭を預ける。眼前に見たことがないほどの、星の海。
「ははっ」
意味もなく笑いが漏れる。それくらいに星が溢れている。
「キレイでしょ。私、何も言わないから、ゆっくりと楽しんで」
眼球が動く範囲はすべて星だった。足の先まで、空に包まれる。これまで、天の川と思っていた星の密度が、そうでない場所にさえある。天の川は、小さな光の群体だった。でも、空以外はすべてが闇だった。真っ暗の中、自分の存在がわからなくなる。
「ダメだ。なんもわからない。見えない」
遼四郎は素直に驚きを言葉にする。
「手をね、空にかざしてみて」
エリーの言葉だけが聞こえる。やってみる遼四郎。また、驚く。
「手をかざしたところだけ、星が見えないの。でも、それで自分の手がそこにあることに気づく。生きている、と理解できる」
右手を拡げたり、閉じたり、チョキをつくったりしてみる。どうやら、そこには自分の手がある。それを理解したことが、不思議な自信になる。
「キミの手を握っているから、ひとりじゃないことがわかる。だから、もう一方の手で、空を確かめられる」
「そんな感じかな。あなたの手がないと、私は孤独と不安で倒れてしまうと思う。でも、手を握ってるから、怖くない。星がキレイにも見える」
そんなことをエリーが話している。遼四郎が考えていると、一瞬、目の前が黒くなった。そして、唇にやさしい感覚。ただ、息を呑む。
少しの間の後、エリーがクスっと笑う声が聞こえる。
「遼四郎は目がいいから、闇に慣れちゃう前じゃないと、こうはいかないね」
こっそりと、キスされた。少しの間の後に、遼四郎は理解できた。でも、まだ自分の身体さえ見えていない。そうかといって、変な緊張もない。だから、エリーの手を握る左手に、ちょっとだけ、気持ちを込めてみる。
また、エリーが小さく笑う呼吸が聞こえる。
「あれ? まんざらでもないのかな。私でも、いいのかな?」
エリーの声だけが聞こえてくる。ただ、手には彼女のやさしい感触。
「手を離していい?」
遼四郎は急に言って、その左手を切った。両手は天に向けない。闇の中で、視覚だけが星を捉え、見ている。闇の中に置いて行かれた自分。
「なんにもないと、世界はこんなに不安だったよな」
「うん」
「でも、俺はキミを見つけたんだ」
「うん」
「手を握ったんだ」
遼四郎は闇の中、エリーの手を探した。そして、もう一度、握る。
「うん」
エリーがうなずいた。遼四郎は身体を起こす。声のした方に顔を向けた。何も見えない。でも、唇を重ねた。温かく、心地いい時間。
エリーは、小さなころ、孤独の中に現れた背の高い少年を思い出していた。遼四郎の方は、この世界に来て出会った、美しき女剣士を思い出す。
「キミを見つけたんだ」
「うん」
「キミが好きなんだ」
「うん」
闇はまだふたりを囲んでいた。目では何も見えていない。でも、すべてを伝え合った。理解し合えた。この時間が全部なのだ。
「あなたに会えてよかった。ずっと前も、あのときも、今も」
「この先も、そうだよ」
遼四郎より先に目が慣れてきたエリーが、ようやく相手の表情をうっすらと見てとった。彼女は、それだけで十分だった。こんなに自分を好きになってくれる人は、たぶん、いないだろうと感じた。
不思議な感覚に満たされて、ふたりは少しの間、寝っ転がっていた。でも、そこに何かが動く音が聞こえる。地面から響いてくる。慌てて遼四郎が置きあがって聞く。
「何の音? 竜か?」
でも、エリーはわかった。だから、のんびりと答える。
「たぶん、ヒツジの群れかもしれない。ハーマンが狩ろうと慌てているかも。竜じゃないから、安心していいよ」
「でも、いいのかな?」
「寝っ転がってたら、踏まれちゃうかもね。だから、帰ろうか?」
エリーは荒野の夜をよく知っていた。元々、竜掃使なのだから、そうなのだ。
「うん、帰ろう。秘密いっぱいだけど」
「そうだね。でも、気にしなくていいよ。私の秘密が欲しかっただけ。ありがとう」
隠さないといけないことでもないが、遼四郎はどうすべきかわからない。だから、悩む。
「ね、遼四郎。ムリに結論つくらないでいいよ。私もヨーコもケイも、ほかのみんなもあなたが好き。で、今日は私の番。変だけど、今はそれでいい」
だが、それでは遼四郎がひどい人間に自分を感じてしまう。握った手にその気持ちが伝わる。
「言ったでしょ。今は、って。私はあなたとお別れする準備なんかしてない。たぶん、できない。ヨーコもケイも同じ。でも、今のストーリーはそうなの。だから、許してるだけ」
「ストーリーが変わったら?」
「もちろん、そんなチャランポランは許さない」
しっかり答えるエリーに、遼四郎が観念して笑う。
「まだ、よく見えてないけど、キミがどんな顔をしているかわかるよ。眉間にしわを寄せて、目を閉じてる」
「残念。あなたを見てほほ笑んでるのよ。なんでこんな人を好きになっちゃったんだろう、って」
「ごめん」
周章気味の遼四郎を感じたエリーが、ひとつの提案をする。
「そうね、来年かな。来年になったら、答えを出して。さっき言ってくれた気持ちが、そのままあるのか、やっぱり、ほかの誰かがいいのか、あなたの答えをね」
暗い闇の中、遼四郎がゆっくりと息を吐く。来年とは、どこの世界の時間なのだろう。
「約束よ」
「ああ、約束するよ。嘘は言わない」
この人は、まっすぐなのだ。だから、先のない人間関係で未来を語ったりできない。誰を好きになっても、手も足も出せない。ただ、その瞬間を大事にするだけ。弱さではなく、やさしさなのだ。そう、エリーは思う。
「やっぱり、前言撤回するね。こんな人を好きになってよかった。そう、思うよ」
「ありがとう」
遼四郎はエリーの手を握って歩く。すぐに野営地の明かりが遠くに見えてくる。長い黒髪の女の子が、うれしそうに一緒に歩いてくれる。その幸福だけでよかった。




